【マンマ・ミーア!】8月公開の「ヒア・ウィ・ゴー」公開前に見ておく

2009年公開の作品

私が生まれて初めて興味を持った洋楽が「ABBA」の「ダンシング・クイーン」

だから、公開当初も気になっていたけど、ミュージカル風映画が駄目だったので、やっと観ることができた。

ABBAの名曲の数々

舞台はギリシャ・エーゲ海に浮かぶ島。

それだけでもキレイで素敵だわって感じ。

そこにABBAの曲が盛り込まれている。

メリル・ストリープがすごすぎる。還暦間際の撮影だったってことよね?

2007年とか。今68(今月69)だから・・・

それでも、はっちゃけた感じが凄すぎる。

娘のソフィ演じたアマンダ・サイフリッドもキュートでいい。

キュートって言うのは彼女のような女性に使うんだね。

ストーリーはメリル・ストリープ演じるドナの娘ソフィが結婚式に自分の父親候補の3人を勝手に内緒で招待してしまうドタバタ劇って感じ。

ソフィは自分の父親が誰だかを知りたいのだけど、ドナは教えてくれない。

それならばとドナの日記から父親を割り出して招待状を送ってしまう。

ドナの名前で来た招待状を見て、父親候補3人も島へとやってくる。

突然現れた昔の男に慌てふためくドナ。

結婚式の後まで内緒にしてと言うソフィだが、事態は急展開していってしまう。

全員が「自分がパパだ」と思い始めてしまう。

ママ要素のソフィは父親が誰なのか見当もつかない。

困ったソフィは婚約者のスカイに打ち明ける。

そうすると、スカイは結婚式はただの父親探しだったのかと激怒する。

どうにか結婚式は開催される。

そこでドナは父親を明かす。

それはサムだった。

サムは島でホテルをしたいと夢を語り合っていた。が、婚約者が居たため破局した。

が、ドナを忘れられずに戻ってきたら既にドナは次の男にいっていたために婚約者と結婚したという。

父親がわかったソフィは突然「結婚を延期しましょう」と言い出す。

大勢の人が集まっているのに!

しかしサムが突然、「なら私達が結婚する」と言い出す。

サムは離婚していた。

そのままドナとサムの結婚になって終わるというのが最初の「マンマ・ミーア!」で今年公開の「ヒア・ウィ・ゴー」はソフィの結婚式なんだろうな。

劇場予告だとドナの母親が登場するんだよね。

ヘリコプターで。

「サプライズ!」とか言って。

ちょっと楽しみだ。

明るい気持ちになれるから夏が楽しみだ。

【映画 終わった人】感想。熟年夫婦へ。定年後の生き方を模索しておくべき。

仕事しかしていない人間

あと10年ちょっとすれば我が家にも降りかかりそうな問題。

仕事以外に何もない男は仕事から開放されたとき、何をできるのだろう?

週末、寝ているだけの人が陥るであろう問題だ。

自由にすることの出来ない人たち

60歳定年説。

まだまだ元気な年齢でいきなり昇っていたハシゴを外された人はどう生きるのだろう?

特に大手だけで終わった人は敷かれたレールに乗って生きてきた人生じゃないのだろうか?

舘ひろし演じる田代壮介という人は東大の法学部を卒業し、大手銀行に就職し、15年前までは役員への道が約束されていたはずだった。

が、

レールは切り替えられ、役員の道ではなく子会社へ出向し、専務取締役という役職で定年のその日を迎えた。

黒塗りのハイヤーが廻されて自宅まで送られる。

それはまるで「生前葬」しかも本人主体ではない押し付けられた形の。

まだこんな感じの人がどのくらい残っているのだろう?

年功序列が崩れ、リストラがあったりして最後まで働ける人はどのくらいいるのだろう?

自宅では妻の千草役の黒木瞳と娘役の道子の臼田あさ美とその娘役のしおりの野澤しおりと千草の従兄弟役の俊彦の田口トモロヲが退職のお祝いに駆けつけている。

自分の意思で動けない状況から見ても先行きは不安だ。

今まで忙しかったのだから、ゆっくりしてください。

千草は壮介にそう言う。

壮介は今まで忙しくてろくに旅行にも行けなかったから行かないかと誘うが千草には仕事があった。

温度差のある夫婦。

突然、家にいることになった壮介だが、やることが見つけられない。

しまいには妻の仕事場に迎えに行ってしまう。お抱えの運転手は要らないからと無下にされてしまう。

今までの距離感に慣れた妻が突然自分に構ってちゃんになられたら、「定年ウツ」になる妻が増加するって話もある。

自宅に居て何もしない人間。

人を使うことしかしない人間。

妻を何だと思っているのだろう?な人間。

夫は妻を娘が幼い頃に行った公園へ連れていく。桜が見頃だった。

それを見て「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠み始める。

自分に対するあてつけなのか?夫の真意が理解出来ない妻は不快になる。

壮介が古本屋で石川啄木の本を手に取る。それを広末涼子演じる浜田久里が残念そうに見つめる。

娘に恋でもしてみたら?とけしかけられた壮介だったが、この時点ではまだ何も起こらない。

街中で壮介は高校時代のチームメイトとバッタリと会う。笹野高史演じる二宮だった。

二宮は一緒に飲みに行こうと誘うが、1件用事を済ませてからという。

その間、時間を潰しておこうとすると、用事の場所に連れて行かれる。

二宮はなんとボクシングのレフリーをしていた。

若者の戦いをさばく姿。

勝者の若者に何かをつぶやく。

壮介は飲みながら何と言ったんだ?と聞くと「敗者の気持ちも考えろ」と言ったのだと。

大切だよね。

帰宅した壮介はそのことを妻に聞いてほしくて話す。が、妻は聞いてはくれない。

夫の愚痴など聞きたくないと相手にしない。

壮介は居場所を見つけようとするが、どこに行っても年寄りだらけだ。

そこでジムに通うことにする。そこで出会ったのが今井翼演じる鈴木くん。新規開発のマーケティングのためにジムへ通っていると言う。

そして、壮介の履歴に興味を持って話しかける。そして壮介に「会社を手伝ってもらえませんか?」と切り出すが、プライドが邪魔したのか断る壮介。

ジムは今やちょっと元気な老人の集会だ。

これではいけないと就職活動を始めるが、下町の夫婦経営の会社では高学歴過ぎて使えないと言われてしまう。とても失礼な話。ハローワークから紹介されたときにあまりにも高学歴だから、面接だけでもってことにしたらしい。

高学歴でも仕事がなければタダの人だ。

そして壮介は大学院に入ることを決意する。

千草は大賛成だ。自分だけに向かう興味ってほんと重いし、うざったいし。

うんうん。共感しちゃうよ。

大学院に行く前にコミュニティセンターで勉強することを俊彦に提案される。

コミュニティセンターで石川啄木の講座が2つため、受付で説明を求めると、そこに居たのは本屋で会った久里さんだった。

久里さんは困った場面で方言が出るらしく、お互いに岩手出身ということで意気投合する。

死んだようだった壮介が生き生きとし始める。

久里さんに「恋」をした壮介は久里さんに気に入れられようと「男」として頑張る。

それでも、30も下の女性はすぐには落ちるわけもなく、娘は「そんなね、ご飯だけおごってもらって捨てられるだけよ」と図星をつく。

そこでまた鈴木くんから声を掛けられる。IT会社の社長をしている鈴木くんの会社の顧問を引き受けて欲しいと言う。

ベンチャー企業のデメリットは人脈がなく、信用もないことだ。そこで高学歴で銀行出身の壮介を顧問にすることで融資をもらうことに。

千草が帰宅すると、「髪を染めてくれないか?」と言う。

現役中は毎月髪の毛を染めていたようだ。

千草は喜ぶ。

そして銀行へ行き融資を取り付ける。

全てが動き出したかのように見えた矢先、社長の鈴木くんが突然死んでしまう。

幼い子供を残して。

今井翼〜、今彼自身が休養中でもし元気だったら舞台挨拶に参加してるよねぇ〜って思うだけに役と重なってしまうでしょ。

今井翼としてのキャリアが死にかけているってことで。

壮介は会社を辞めようと決める。自分を採用した鈴木くんが亡き後は新しい社長の体制でいくべきだと。

しかし、社員は「自分では役不足だから社長を引き受けて欲しい」と言ってくる。

真剣に悩む壮介。

それでも勝手に決めてしまう。

千草は大反対する。自分も新しいことを始めようと相談したかったのに、自分のことには耳を傾けようとしない夫。

それでも会社の社長となる。

久里さんから連絡がある。壮介は「熱海で会議があるから良かったら来ないか?」と誘う。ただし、1泊しなきゃいけないがと。

OKを聞き喜び、妄想を広げる。

熱海に来た久里さんと話をすると、久里さんは童話作家として自分が落選し、友達が当選したことを妬んでしまい、そんな自分が嫌だと言う。

壮介は「久里さん、もう童話作家辞めなさい。」と厳しい言葉を言う。久里さんは「やってきた10年が無駄になる」と拒むが、壮介は「今は10年で済むが、辞めなければ一生が無駄になる」と続ける。

そうなんだよね。

始めること、辞めること、諦めること、そのタイミングがほんと大切で。

自分のこの半年も同じ感じだったなと。たった半年だけど残り時間が少ないこの時期には意味が大きいってことも感じたわ。

ホテルへ行くが、久里さんは「駅前のビジネスホテルを取ったので」とやんわりと断ってくる。

うまくはいかないわね。

部屋に入ると千草から電話で「相談したいことがある」と。

浮気?がバレたのかと焦る壮介。離婚か?と悪いことしか思いつかない。

帰宅した壮介に千草は「ハンコ押して貰える?」と。

離婚届か!?と思ったら、自分のお店を持ちたいからと言う。ホッとする壮介。

俊彦の家で内装などの打ち合わせに道子と壮介も一緒に行くとそこになぜか久里さんが。

久里さんは俊彦の彼女だった。

俊彦と旅行に熱海に行くという。野暮用で行ったレストランが良かったと。

野暮用にされてしまう壮介。そんな壮亮の態度に道子は「パパの好きだったの彼女でしょ」とすぐにバレてしまう。

会社はすぐに危機に直面する。ミャンマーの仕事で入金が頓挫したのだ。そして支払われる要素がなくなったという。

倒産するしかない会社。

倒産の日、壮介を心配する社員に「いや、今度妻が店をオープンするから養ってもらう」などといい出す。

社員は反発する。

自分たちは露頭に迷うのに、社長夫人は美容院をオープンする。表だけをみたら誰でも妬む要素満載だ。

そして、社員がオープン前の千草の店へ行き、罵倒していったようだ。

一度、うまく廻ったはずの歯車がまた空回りを始める。

千草は荷物をまとめる。それを見た壮介は「出ていくのか?」と引き留めようとするが、「同じ空気を吸っているのも嫌なので出ていってください」と追い出す。

わかるわ。

自分のこと以外何も考えない人間っているのよ。これで仕事がうまく廻っていたとすれば、周りが優秀なんだろうなって。

私はその周りにはなれないタイプだわ。駄目は駄目。

まぁ追い出すことはしないけど、自分が出ていくわ。

自分より弱者の世話も出来ない人間はろくなものではないと考えております。

そして追い出された壮介は自分の母校の高校のラグビー部が県の決勝に進出していることを知る。

二宮に連絡をつけて久しぶりに地元へ行く。

そこには後輩の姿が。

壮介はラガーマンであだ名は「ラガン」キャプテンだった。

先月のアメフト部の問題とオーバーラップするようなセリフ。偶然なんだろうけど。

キャプテンとして勝たせたいと思うあまり「反則してでも勝つ!」と喝を入れるが、「16番」と呼ばれていた選手に「そんなラフプレーで勝ったところでどうなるんだ」と反対されて揉める。

「16番」はチームの監督の息子だった。

この「16番」のような選手が一人でも日大アメフト部に居たら、こんな国を巻き込んでの大騒動にはならなかったのに。

チームは負けてしまう。

そして壮介は「16番」の自宅を尋ねる。そこには監督とそっくりに成長した「16番」の姿と痴呆になってしまった監督の姿があった。

飲み会には大勢のOBが集まっていた。

そこで壮介は自分のことを語りだす。地元へ帰ってこれなかった自分。

キャプテンで東大に入学して銀行に入ってと出生コースを歩んでいたことでそこを踏み外した自分をどうしても見せることが出来なかったと。

それでも周りは同じようなおじさんだという二宮。突然、カツラを脱ぐ。

だよね。笹野高史さんなのにズラってって思ってたんだ。

そして、地元のNPOを助けてほしいと言われる。

実家には母親と妹役で高畑淳子さんがいる。ちょっとイメージがソフトになった感じがする。

東京に戻り、千草の店を尋ねる。

そして「離婚しよう」と切り出す。壮介が考える最良だったのだろうけど、相談とか話し合いという単語がないだけに話が突然すぎる。

千草は「私、離婚しないから」と言う。まぁ、離婚するデメリットはあるかもしれない。

そんな両親を見た道子は母親を凶弾する。勝手すぎると。自分にも子供がいる中、両親の離婚を後押しするような娘。

まぁ離婚しても自分にとって親は親だしね。

好きでもない関係の二人が夫婦でいることが現代社会においてはナンセンスなのかもしれない。

そして二人は「卒婚」することに。壮介は地元に帰る。

春の季節。

桜が満開の頃、声を掛けられる壮介。千草の姿が。

千草は「髪の毛を染めに来た」と言う。そして、「2ヶ月に1度染めに来るから」と。

離れてみてわかるお互いの良さがあると思う。

近すぎて見えないもの、負担に感じるもの、それら全てから開放されたい願望がある。

2年前から自分の中で還暦をどう迎えるかを考える。まだまだ先の話だけど、それでも今に不満があるから考えるのだろう。

なぜなら何もしなければ彼の蓄えを気にして自分が生活をしなければいけないかもしれなくなるわけで。

そんな自分にはなりたくないと思った。

千草のように自分のお店を持つまでの気概は持てないけど、自分でどうにかなるようにはしておきたいと思っている。

それが夢に終わるかどうかはわからないけど。

「卒婚」まぁ我が家には子供もないからそういう感じはない。

共同生活の解消って感じになるだろうか。奴隷契約の解除だろうか。

男の人の家事に対する対価が低すぎるし、家に縛り付けていることへの罪悪感の欠如に驚く。

私は私の生きたいように生きる!

「終わった人」は何を終わりとするのかわからないけど、現役中に模索していない人はその時になって振り回されてしまうことを知っておくべきだ。

現代社会で「終われる」のはいつなんだろう?

病気になったとき?

死んだとき?

舘ひろしと黒木瞳の夫婦役。

もう68歳になった舘さんだけど、63歳の設定。それでも彼の雰囲気や立ち居振る舞いが年寄り臭さを感じない。

黒木瞳さんはかわいいおばさま路線になって、変わらずキレイ。

カッコいい、美人な役者さんだった二人の年齢なりのチェンジを楽しみにしている。

舘さん、あと少しで70にはほんと見えない。

【映画 「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」】感想。月が綺麗ですねを知らないと大変だ。

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夫婦という名の他人の関係

この映画のニュースが出たときにタイトルがすごかったので、原作を漫画化されたものを読んだ。

その時は、なぜ死んだふりをしているのかってことまで読んだっけ?

妻はなぜ死んだふりをしていたのだろう。

ちょうど1年前の5月に公開が決定し、11月に小出恵介の出演シーンが代役になった。

主演の二人はどんな気持ちだったのだろう。

それでも、大谷亮平になって良かったと思う。うん。

「月が綺麗ですね」

国語の教科書で教えるべきだわ。夏目漱石を教えるなら。

そうしないとこの夫婦のように気持ちが伝わらない。

妻のちえさんの榮倉奈々。この映画の最初の報道の時は出産前だったんだ。

2017年5月25日にこの映画化が報道されて出産が6月12日。

まぁドラマ出演中に出来婚しちゃったってことで、仕事関係では多大な迷惑をかけたから、キャンセルすることは出来なかったのだろう。

それにしてもいつから撮影が始まったのかわからないけど、体型が全然変わらない。

胸も全然大きくなってないし。すごいな。

ちえさんはお父さんと二人暮らし。お父さんはお寿司屋さんの職人さん。

出会いのシーンが映画用にもう少し詳しくなっている。

そして、ちえさんと安田顕演じるじゅんさんは2年の中距離恋愛を経て結婚する。

でも、じゅんさんはバツイチであることがある意味トラウマになっていた。

そのことで結婚前に「3年目にお互いにその後を話し合おう」ということになっていた。

その3年が近づいた頃からちえさんの「死んだふり」が始まる。

おっちょこちょいの予測不能妻に冷静夫はついていけない。

それでも、ちえさんのことを好きな気持ちはあり、じゅんさんは「ちえさんのこと、好きだよ」と言う。

それに対してちえさんは「月が綺麗ですね」と返してしまう。

すれ違う気持ち。

この言葉を知らない人にとっては、はぐらかされているような気分になるのだろう。

平穏な暮らしを求める夫に日々過激さを増す「死んだふり」の出迎え。

それにしても、なぜ、鍵を持っているのに、チャイムを鳴らすのかが私にはわからない。

帰るメッセージはいい。

でも、夕食の準備をしているのになぜ鍵を開けさせ、ドアを開けさせようとするのだろう?

日本という文化なのか?

不思議でならない。

ちえさんはそんなことが不服だったわけではないのだけど。

不服があったのかって言えばそうでもない。

ちえさんはちえさんなりに考えた行動で、理解して欲しいとかって気持ちはないのかもしれない。

初めての死んだふりをされたじゅんさん。

驚きのあまり、救急車を呼ぶのになぜか「117」で時報が聞こえる。

人間、焦るとそんなものね。

じゅんさんは会社の後輩の大谷亮平演じる佐野壮馬に不満をぶちまける。

他人から見たら、惚気に聞こえる。が、それが何日もとなると、気持ち悪がられる。

どうしたら?と悩んでいるじゅんさんに佐野は「花とかケーキとか買ってあげたら」と提案する。

じゅんさんは一人でいることに対する不満なのかとクリーニング店のパートの仕事を持ち帰っていた。それをじゅんさんがリストラされたと勘違いするちえさん。

あまり乗り気ではないものの、クリーニング店へ行く。

そこには猫を抱いた女性が受付にいたので、挨拶をすると「私は違うわよ」と言われてしまう。そこに戻ってくる店主役の品川徹。似合ってるわ。

一人暮らしの老人でコンビニまで弁当を買いに行っている間の留守をお客の女性がしていた。

気が乗らなかったパートだが、父親とオーバーラップしたのか、行くことに。

そのお祝いとしてじゅんさんが花とケーキを買って帰ると、「死んだふりはやめてくれ」と言われたちえさんは今度はゆうれいをしている。

それに付き合って、花とケーキを墓前にお供えするじゅんさん。

気持ちは暗くなる。

どうしたら普通に待っててくれるのか。答えが見つからない。

そんなじゅんさんに壮馬が「一緒に食事でも行きませんか?」と誘う。

そこには壮馬の妻の由美役の野々すみ花も来る。

佐野夫婦は結婚5年目になるという。

そして壮馬は二人の馴れ初めを聞く。ちえさんはじゅんさんを「なんとなく半分こが良かったから」と言う。

由美はちえさんに二人でランチに行くことを提案する。

なぜかバッティングセンターでハイヒールでバッティングをする由美。

問題のなさそうな夫婦だが、もしかしたらちえさん夫婦よりももっと深い闇があるようだ。

ちえさんはなかなかバットにボールが当たらないが、由美はホームランを狙っている。なかなかうまくいかないと言う。

「よく来るのですか?」と聞くちえさんに由美は「病院の帰りに」と言う。

病気なのかと心配するが、そうではないと。

気づくちえさん。

それでも慰める言葉はかけられないと正直に申し出るちえさん。

そんなちえさんに感謝する由美。ちえさんは「優しい言葉はかえって相手を傷つけるから」と言う。

優しい言葉がほしいわけではない由美にとってちえさんの言葉は良かったようだ。

なかなかそれでもいろんなことが止まらないちえさんにじゅんさんが「何が言いたいのか言って」と言う。

ちえさんは「だったらお願いがある」と言う。

それは佐野夫婦を自宅にお招きすることだった。

元気がなく約束をキャンセルした由美を気遣ってのことだろう。

表向きばかりいい夫とそれに従う妻という役割に限界がきていた夫婦。

由美の知らない面が明らかになり、自分が知らないことが多かったことに気づく。

そんな夫婦は終わりにすることになった。

由美から別れることを知らされるちえさんと壮馬から聞かされるじゅんさん。

夫婦それぞれがいろんな気持ちを抱えていることがわかる。

壮馬は不妊治療に行き、妻ではなく自分が原因で不妊だということを医者から告げられる。その瞬間にホッとした表情になった由美の顔が忘れられないと。

不妊は妻の責任のように思われる現代社会だが、その要因なんてどっちにあるなんて関係ない。子供がいなければ夫婦じゃないのか?なぜお互いの存在だけで十分と思えないのか?

世間は勝手に心配するフリをして傷つけていることを認識すべきだ。

そして離婚にいたってしまう夫婦は多いだろう。

酔っ払ったじゅんさんを車で迎えに行くちえさん。真っ直ぐに自宅へ戻らないことに不審に思うじゅんさんだが、「道は繋がっているのだから、いつか家には着くのです。」と言うちえさん。

翌朝、じゅんさんはちえさんに「どこか行かないか?」と言う。ちえさんは「じゅんさんはどこへ行きたいですか?」と聞き返すが、返せない。

夫婦の関係ってどっちかが主導権を握って動かさなきゃどこにも行けない。

ちえさんのスマホが鳴る。それはお父さんが倒れたことを知らせる電話だった。

大急ぎで病院へ向かう二人。

発見が早かったから後遺症は残らないけど、年は取ってきているから気をつけてくださいと医者から告げられる。

ちえさんはなかなか病室に入れない。

それを見ているだけのじゅんさん。

ちえさんは「お父さんには私だけなんだから」と言わせてしまうじゅんさん。

違うだろ?

家族になるってそういうことじゃないだろ?って思う。

じゅんさんもお父さんの家族なんだってことをじゅんさんがもっと認識しなきゃってことなんだと思うんだ。

じゅんさんも気づき、ちえさんの手を繋ぎ病室へ。お父さんと会話をし、入院手続きをしてくると部屋を出るちえさん。涙が止まらない。それを受け止めるじゅんさん。

手続き中、お義父さんと会話をするじゅんさん。

お義父さんはちえさんが泣くのは母親が亡くなったとき以来だと言う。

小さかったちえさんと二人になり、寿司職人だったお義父さんは大変だったと。泣いてしまったこともあったと。

そうしていたら、ある日から突然家に戻るとちえさんがかくれんぼをし始めたと。

疲れているのに探さなきゃいけなくて大変だったと。

ちえさんのしていた行動は幼少期から続いてきたことだった。

お義父さんはまぁめんどくさかったけど、それでもやらせていたと。

子供なりにお父さんを元気づけたかっただけなんだろうな。

二人は実家に泊まることに。

そこでじゅんさんはやっと「月が綺麗ですね」という言葉の真意を知る。

そしてずっと自分に気持ちを伝えていたことも。

じゅんさんは行きたい場所を告げる。

それは二人が結婚前にデートした場所。

飯能市の「あけぼの子どもの森公園」だな。きっと。

そしてそこで今度は「わたし、死んでもいいわ」と告げる。

「月が綺麗ですね」の返答のような言葉らしい。

二葉亭四迷って人が言ったらしいのだが。

お父さんが結婚をするときに二人に「夫婦なんていつか夫婦になる」と言っている。

ちえさんがなぜ死んだふりをしていたのかはわからない。

ちえさんはじゅんさんが結婚3年目にトラウマを持っていることを感じていて元気づけたかった。また、死んだふりをしている間は3年目以降の話にならなくて済んだ。などなどいろんなことを考えていたのではないだろうか。

これが実話ってことだからほんと驚く。

すごい死んだふりのバージョンがあり、笑える。

それでも、身につまされる。

ちえさんの望む家族はクリーニング店のお客さんのご夫婦なんだろう。

「あれ」でわかり、「それ」で気づく。

2010年にYahoo!知恵袋に投稿された実話ってことで、それから8年。本当のじゅんさんとちえさんはどうされているのだろう?

夫婦のあり方を考える機会になるかもしれない。

【映画 Vision】感想。吉野の山奥にある精神を浄化する場所

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舞台挨拶ビューイング

公開初日は関西方面での舞台挨拶だったらしい。今日は関東で130会場に中継されるライブビューイング舞台挨拶。

日本人には興味がむかないのか?舞台挨拶付きなのにほとんど客が入っていない。

残念だ。

今の日本に大切な何かがある映画なのに。

全てに繋がりがある

ジュリエット・ビノシュというフランスの女優さんを私は実は知らなかった。

それでもカンヌ映画祭ではいろいろな賞を受賞されている女優さんだ。

そんな女優さんが主演で日本の吉野という人里離れた場所の物語だという。

河瀨直美監督は奈良のご出身ということでビジョンがあったのだろう。

そして生まれた「Vision」という作品。

奈良の山奥、鹿を狩るシーンから始まるが、それが意味することは?

最初から最後まで全てに繋がりがあることがわかるのは終わってから。

2度見て確認したい感じになる。

それでもセリフということよりも人間の繋がりが紡がれていく作品だ。

劇場予告を見て、永瀬正敏が主演の映画だと思っていた。

一人山を守るために20年前から住んでいる智という男性だ。

木を倒し、薪を作って夏木マリ演じるアキの自宅へと届ける。

舞台挨拶に登場した夏木マリは派手な衣装と派手な髪型がカッコいい女性だが、アキは髪の毛も短くし、一人で生活している老婆?でもないが、そんな感じだ。

アキにお茶を入れてもらい雑談する二人。

アキが智に「いくつになった?」と問うと「もう忘れた」ととぼけるが「48」と答える智。

智もアキに年齢を聞く。

アキは「ワシは1000年前に放出された胞子だと」

嘘なのか、本当なのか。

そんな雰囲気が漂っているアキ。

アキは智に「雨がくるぞ」と言う。晴れた空に雨の気配はない。が、じきに雨がやってきた。

アキには自然が見えている。

お互いが一人で生活しているが、お互いの存在は必要なのだろう。

智にはコウという猟犬がいるけど。いつも一緒に山に入るコウの存在がとてもいい。

ジュリエット・ビノシュ演じるジャンヌが電車に乗って吉野を目指している。

連れには通訳の美波演じる花がいる。

花はジャンヌの旅行記などに感銘をうけていることを告げる。

美波は役としてフランス語の通訳をしていると思ったら、舞台挨拶でも通訳をする。たまたま通訳さんが聞き逃したジュリエットの言葉を翻訳してくれた。

とても素敵な言葉だった。

ジュリエットさんはとても言葉が豊富で通訳さんも大変だったと思う。

司会者の言葉はわからないから突然話し出してしまったりするわけで。

それをフォローした美波さんに感動した。

ジャンヌと花は春日神社の前で智と出会う。

智に何かを感じたのか?ジャンヌは「Visionという薬草を知っているか?」と聞く。

知らないと答える智にいろんなことを尋ねる。

人嫌いなのかと思っていたが、人がいなかっただけだ。きっと。

智は20年前にいろんなことに疲れてこの地にやってきて、山の守り番をしていると告げる。

何かを感じるジャンヌ。

二人は智の住まいへと一緒に行き、しばらく宿泊させて欲しいと言う。

受け入れる智。

Visionとは何なのか。

智の思うものは感じることが全てだと。

そのシーンがとてもいい。

劇場予告でもあるけど。

森へと行っていたジャンヌと花をアキを乗せて車で走っていた智が追い抜かす。

アキが「いいのか?」と聞くと智は車を止めて二人を待つ。

アキはジャンヌと話、「あんたがそうか」「待っていた」と意味深な言葉を告げる。

アキの家でで薬草のことを聞くジャンヌ。

Visionという薬草のことは知らないが、1000年に一度のことが起こる気配を感じるというアキ。

それは何なのか?

智も山に少し違和感を感じていた。

アキは目が見えない。それでもいろんなことを感じていた。

目の見えない演技。

山の景色、紅葉の時期もあって、赤く染まる山。そして森に注ぎ込む光。

全てが美しい。

花が一人山を降りて帰った。おばあさんのところへ行くという。

二人きりになった智とジャンヌ。

そして結ばれる二人。

だけど、ジャンヌの想像にはなぜか森山未來演じる岳が重なる。

岳とは誰なのか?

フランス人だからなのか?激しい絡みのシーンではないが、官能的な描写がすごい。

アキが自宅を閉めて森へと行く。

アキは1000年に一度の訪れを求めているのか?神々しい光の中で舞う。

神々しい神木の前で。

そして神木の前で息絶える。

それの意味するものは?

アキが姿を消し、そしてジャンヌも仕事で帰国するという。

「まもなく”ビジョン”が現れる」と言い残して。

秋になり、一人の青年を保護する。岩田剛典演じる鈴だ。

鈴は足を怪我していた。自宅へ連れて帰り彼らは次第に心を通わせる。

智の林業を手伝う鈴。

一人では出来ない作業も二人ならできる。

1ヶ月ほどしてジャンヌが戻ってくると、自分の居場所がなくなっていることに気づく。

それでも、男女は結びつく。

結びつけば結びつくほど岳の姿が出てくる。

彼は誰なんだ?ジャンヌの心の傷なのだろう。

満月を見上げる寂しそうな鈴を見つめるジャンヌ。

翌朝、コウの姿が見えないことに気づく智は鈴まで姿を消したことに気づき、後を追う。

見つからない。

しばらくして、鈴が戻る。腕の中に息をしていないコウを抱いて。

犬が亡くなるシーンは駄目だ。泣ける。きっと麻酔とかで気を失わせているのだろうけど、智の悲しさが伝わってくる。

何がビジョンなのか?

映像の中にあるビジョンが何なのか?

鈴が森へと入る。ジャンヌは鈴にビジョンについて教える。

1000℃ => Vision => PAIN

この意味するものは?

明らかになる繋がり。

岳は智の前の山の守り人だった人間なのだろう。しかし、田中泯演じる源に鹿と間違って撃たれてしまう。

ジャンヌのお腹には岳との間に命が宿っていた。

神木の前で出産するジャンヌ。

そのまま神木の前に置いて姿を消す。

赤ちゃんに気づいたのがアキだった。

アキを自宅に連れて帰るが、なぜか自分で育てるのではなく、源の自宅へと置いてくる。

源が育てたのが鈴だ。

鈴は自分の母が誰なのか次第に気づく。

そして1000年のときなのか、森が火に包まれる。火の中にいる鈴。

助けようとする智に「大丈夫だから」と。

火は収まり、平穏が訪れる。

ビジョンとは何だったのか?

山はトンネルが出来たことで人の流れがなくなったと言う。

時代の変化で忘れられた場所がある現実。

それでもそこには太古から息づくものが今でもしっかりと根を張っている。

なぜ人は疲れると森へ行きたくなるのだろう?

この映画を見ていて、自分の疲れを感じた。

あぁ羨ましいなと。

ビジョンに包まれて生活することを目指した智が羨ましいなと。

心が浄化されると舞台挨拶で永瀬正敏は言った。

浄化だろうか?

それでも人間とは不思議な生き物だと思わせられた。

舞台挨拶でフランス人のジュリエット・ビノシュによって日本の良さを再確認させられた。

通訳役の美波はジュリエットの探究心に日本人であるのに知らないことが多すぎて大変だったと言っていた。

一流であることがそこにあると。

河瀨直美監督は最後に「万引き家族」と公開日が同じであることに言及した。

同じ時期から似たような雰囲気を持つ二人だと思う。

そして「万引き家族」も「Vision」も現代社会において見えていない影の部分を探しているような作品だ。

光が大切だと言う。

光があるから、影ができる。

その影を感じる作品なのだと思う。

映像はキレイで神々しく、ISO感度10000くらい?って感じの世界観。

過剰な演出もなく、自然な生活の1部を切り取っているような作品。

岩田剛典・・・で良かったのか?

また違う一面が見られたが、彼の笑顔がない作品の方がいいと思ってしまう。

彼の笑顔は邪魔だ。

彼の笑顔は悲しく見えてしまう。

なぜだろう?

まぁ鈴という役はそんな役だったのかもしれないけど。

もう一度観に来なきゃな作品だ。

散りばめられている様々な要素を確認しながら。

観たいと思う作品だ。

週末興行ランキングで10位に入るかどうかはわからない。

日本人が目を向けたがらない要素かもしれないから。

【映画 羊と鋼の森】感想。若さゆえの歯痒さとひたむきさと。

エンディングテーマに鳥肌

調律師がメインの作品は初めてで、ピアノというものの維持の大変さを感じた。

ピアノの音色が心地よいのだが、最後のエンディングテーマに鳥肌。

誰も席を立たない。

エンディングを聴けただけでもいい。

あ、映画もいいんだよ。

山﨑賢人の等身大の作品

23歳になった山﨑賢人。まだ高校生作品が多く、2017年は4本主演作品があったけど、すべて実写映画化の高校生役。

2018年最初の作品の今作はほんと主人公の外村直樹のままなんじゃないかと思うくらいだった。

若さゆえの葛藤。

誰しもが通る道なのだけど、できる人を見てなぜ未熟さを「自分は出来ない」としてしまうのか?

人間の弱さなのだろう。

この作品は「森」があるから彼がいるというところがいい。

旭川市のレトロな楽器店。

街並みが旭川市というより、美瑛町の街並みに見えたのだけど。

気のせいか。

高校で三浦友和演じる板鳥宗一郎と出会えたことで彼の人生が変わる。

外村は山と森しかない場所で育ち、自分の未来なんて考えてなかったのだろう。

体育館で調律を初めた板鳥の鳴らした音色に森を感じる外村は、何の経験もないのに調律師になることを決意してしまう。

そして生まれて初めて北海道を出て本州の調律師養成の専門学校に2年行き、板鳥の在籍している楽器店に就職する。

調律の技術を学ぶ

自分がきっとエンジニアとして言語を学んだと同じで実践には程遠い段階。

自分が何をすればいいのか。

調律の練習をしているだけで音の森へ迷い込む外村。

それを見ていた板鳥はそんな外村に「コツコツとすればいい」と言う。

真面目で要領がいいわけではない外村はその言葉に惑う。

事務員の堀内敬子演じる北川に「あの〜調律師でコツコツするって・・・」と聞くが、間が悪すぎて怒られてしまう。

光石研演じる秋野に尋ねるが、相手にされない。秋野は鈴木亮平演じる柳に教育係を命じる。

柳は外村の不器用さも寛大に受けとめる。

先輩として頼りになる存在だ。

そして外村の真面目すぎる部分にも彼なりに試行錯誤する。

双子の姉妹の佐倉家。姉の和音を上白石萌音。妹の由仁を上白石萌歌という本当の姉妹での共演。

息が合わないはずがない。

息の合った音色の連弾。

それでも姉妹としての葛藤がある。

姉の和音は妹には敵わないと思っている。自分がどんなに努力をしても拍手をもらうのは妹だと。

妹の由仁は天真爛漫で明るい曲を奏でる。

姉の和音は外村に森の景色を感じさせる曲。

妹は言う。「もう少し明るい感じになりませんか?」

外村は姉妹の曲調が違う調律は難しくないかと柳に聞くが、柳は言う。

「お姉ちゃんのために言ったんだろうな」

外村には意外に思えた言葉。それでも真意がわかり納得する。

この姉妹はまだ何も出来ない外村には劇薬だった。

まだ自分の音や調律に自信がない時期には。

柳の同行を続けていた外村が一人のときに、由仁に呼び止められて自宅へ行く。

季節の変わり目で軸の間接部分が固くなっていた。その修理はできるものの調律となると別だ。

姉妹の要求に応えようとする外村。

しかし、彼は迷路に迷い込み柳に電話で翌朝の調律をお願いすることとなる。

自分の位置を確認する外村。

しかし板鳥はそんな外村に「ここからがスタートだ」と道具をプレゼントする。

もうさ、友和さんがカッコ良すぎなわけ。私の中で最初にカッコいいお兄さんは友和さんで、従姉妹のお姉さんが大ファンだったからポスターとか貼ってあったし。初めて観た映画はまだ小学生に入ってないのに山口百恵との何かの映画だし。「風立ちぬ」だったのかなぁ〜。

外村は柳について周りながらも愚直にいろんなことを書き留める。

そして柳から「お前に必要なのは1台でも多くのピアノと向き合うこと」と新規のお客様に一人で行くことに。

そこには生気をなくした森永悠希演じる南隆志が、何も言わずにピアノの元へ連れていく。

幸せなピアノしか見てきてなかった外村は戸惑う。

それでもピアノの調律を始める。

最後の調律から14年経過したピアノ。

何かが止まっていた。

ピアノを解体し、隅々までキレイにしていく外村。

それを隣の部屋で聞いている南。

調律が終わり、確認をしてもらうと南は変わっていく。

そこには幸せだった頃の自分と両親と犬の姿が。

14年前に両親が他界したのだろう。それ以降、犬との生活を送っていたようだけど、その犬も居なくなってしまった。

残されたのはピアノだけだったのだろう。

生気を取り戻す南だった。

経験を積み、佐倉家の担当となる。

和音が出迎えて和音の音に合わせた調律を進めていたところで由仁が帰宅し、姉が音合せを待っているのに、「弾いていいですか?」と弾き初めてしまう。

姉はそれを咎められない。

そして弾き終えた由仁は「いい音ですね」と言って2階へと上がってしまう。

発表会があり、そこで入賞するとコンサートが開けることを目標としている和音。由仁はそういうことは言わない。

自信がある妹に嫉妬している姉という感じが自分と重なる外村。

自分にも優秀な弟がいると。

調律師になることを家族に告げた場でも兄の言葉を軽く流してしまった弟に好感を持てずにいるようだ。

そして、調律というものが世界とつながっている感じがするという言葉も冷やかされてしまう。

森の中を彷徨う外村。それを森の入口で待っている祖母の吉行和子。彼女は何も言わずに外村を見つめる。

発表会の日、結果を知りたい江藤楽器店の面々。きっと連絡があるだろうと思って待っているとそこには悲しい知らせが。

由仁が弾けなくなってしまってしばらく調律はいらないという内容だった。

自分の調律で壊してしまったと自分を責める外村。

柳は自意識過剰過ぎだと咎め、しばらくは自分が担当すると言う。

行ければなと。

調律師としての自分に自信が持てない外村は、祖母の死で帰省することになる。

調律を辞めるつもりなのか?板鳥にもらった道具を板鳥の机に載せて。

久しぶりに会う弟ときちんと話ができない外村。弟はそんな兄にキレる。

兄の煮え切らない態度。祖母はそんな兄のことを「直樹は森に入っても迷ってもきちんと帰ってくる」と言っていたと。

心を閉ざしていただけの自分。

外村は板鳥のコンサートの調律を遠くから見ている。

板鳥の細かい気配りを目にする外村。

そして板鳥の調律したピアノのコンサートを聴く。

感動しかない外村は再び、板鳥から道具を受け取る。

再び働き始めたところに由仁が来る。

心配させたことを謝りに。

由仁は最初は凹んだけど、もう立ち直っているのに、ピアノを弾かなきゃいけない和音が全然弾かないと言う。

夜、北川、秋野、柳にその話をする。秋野は元々ピアニストを目指していたが、なぜ辞めたのかを北川が聴く。

秋野は「耳が良すぎて自分がトップピアニストの音になれないことがわかってしまったから」と。

いろいろあるなぁ〜。

柳にも過去はある。それを最後に結婚することになる仲里依紗演じる濱野絵里が語る。

ジャズバーのピアノ調律を柳から変わったが、見習いではダメだとダメ出しされてしまった外村をライブへ誘う柳。

そこにはバンドのドラムをしている柳の姿があった。

柳はメトロノームのままドラムを叩くらしい。

昔はいろんなものがダメで、メトロノームに救われたとかって。

人に歴史ありなんだよ。

仲里依紗が・・・ちょっと雰囲気が変わった感じだったね。

和音が江藤楽器店のドアの前まで来るが、中には入れないで、外村の姿を見ていた。そこに柳が戻ってくる。

柳は同僚に「今度結婚式をします!」と招待状を渡す。

そしてピアノを演奏するから調律を外村に依頼する。

そんな場面での大仕事に躊躇する外村だったが、ピアノは和音にお願いしたからということで、「やらせてください」とお願いする。

今までと違う場所での調律。

準備が始まる前には通っていた音色が止まった感じがすると和音。

天井の高さや奥行き、ドアなどなどいろんな要素を感じる初めての場面だった。

由仁は柳に「ピアノはどうした?」と聞かれ、「調律師になりたい」と言う。ピアノは弾き始めたら1人で孤独でそんな人を全力で支えていきたいと。

そんな由仁が外村に協力して端の席まで音を届けるように努力する。

披露宴が始まり、ピアノの音がどこの場所からも心地よく聴こえる。

外村はそれまでなかった「コンサートチューナーを目指す」と宣言する。

いろんな成長を感じられる作品。

外村のような自分に自信がなく何もできないと思ってしまう世代はとうの昔に過ぎてしまっているが、誰でも通ってきていると思う。

それを森を随所に取り入れて映像がとてもキレイだ。

まぁ美瑛だし。

美瑛らしい場所はないけど、美瑛から旭川に向かうあたりだと思うんだよなぁ〜。

また行きたくなってくるわ。

こんな人間関係の職場は理想だな。

優れた上司とちょっと嫌味な人と人の良い先輩と、口うるさい感じの事務員さんと。

いいなぁ〜って余韻の中で始まる辻井伸行のピアノの音色。

The Dream of the Lambs

The Dream of the Lambs

  • 久石譲×辻井伸行
  • サウンドトラック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

それまでもピアノの音色はいいのだけど、やっぱりね、エンディングテーマにはかなわない。

ほんと鳥肌たつくらい良かった。

世界観がそのままだから?

エンディングはそんなに長くないから最後まで聴くことをオススメします。

【万引き家族】感想。現実の事件とオーバーラップする映画

パルムドールを獲得しただけでも

カンヌ映画祭で名誉な賞に輝いた作品というだけでも興味を持てる作品だ。公開初日、ほぼ満席であった。

でも、今週発覚した事件がオーバーラップして余計にいろんなことを考えさせられた。

家族とは?

この作品が世界の人にどう映ったのだろう?

海外から見た日本はどういう国だろう?

環境客が増え、裕福な感じを与えている国の現実として、受け止めてもらえた結果がこの受賞だとは思うのだけど、海外でもある話なのだろうか?

父役の治がリリー・フランキーで妻役の信代が安藤サクラ。

息子役の祥太が子役の城桧吏くん11歳。小学6年生。

妻の妹役の亜紀が松岡茉優で、母親役の初枝が樹木希林。

彼らは家族の役目を演じている家族だ。

どこにも血の繋がりはない。それでも、お互いの利害の一致なのか?一緒に暮らしている。

治が祥太とスーパーで連携で万引きをしているシーンから始まる。

このような光景にあまり驚かない。教えられることは「万引きだけ」そう言ってしまう治なのだから。

コロッケを買って帰る途中でアパートの玄関の前に寒い中、座っている女の子に気づき声をかける治。

「コロッケ食べるか?」

女の子は自分の名前を「ゆり」と言う。子役の佐々木みゆちゃんが小さい頃の芦田愛菜のようで可愛い。小学1年生になったところだろうか。

治は寒い中、可哀想になりゆりを連れて帰る。狭い部屋に母親、妻、妻の妹、息子がいるのに、お金の匂いもしないゆりを連れてきたことに、母親は「もっとお金の匂いのするもんを拾ってくれば・・・」とボヤキながらも、世話をする。

名前を聞き、身体に多数の虐待の痕を見つける。

それでも、誘拐にならないようにと信代と治は団地に返しに行くが、そこにはゆりの両親の言い争う声が聞こえる。

その中に「産みたくて産んだわけじゃない」と言うゆりの母親の声が聞こえ信代はゆりを残して帰ることができずに、連れて帰る。

ゆりは良かったね。

虐待されていても拾ってもらえて。他人のおせっかいで助けられた命がまた奪われた事件が報道されている。

何に反省してゆるしをこうていたのだろう?メモにいたたまれない気持ちしか残らない。

現実に起こってしまった事件が悲しくてしょうがない。映画だけの世界の話としておきたいのに。

治は日雇いの工事現場で働いている。信代はクリーニング店。祥太は学校には行かずにゆりを連れ、駄菓子屋で万引きをする。

店主役の柄本明は知らないふりをしているだけなのだろう。

初枝は亜紀を連れて年金を下ろしに行く。亜紀はJK見学店というマジックミラー越しにサービスを行う店でバイトをしていた。

最近のバイトって・・・これって海外ではどう受け止められたのだろう?そういう観点でしか見られなかった。

まぁチャットレディーとかと変わらないのか?結局は男性の要望によって、女性側のオナニーシーンを見せるというスタンスなんだろう。

意味がわからない。

ゆりは家族に馴染んでいく。身体の痣を聞いても「ころんだ」と嘘を言う。そこには明らかに火傷とわかる痕もある。

春先にやっとゆりが行方不明というニュースが報道される。

両親は2ヶ月以上「親戚に預けた」と言っていたがそれを児童相談所が怪しく思い、警察に届け出ていた。

児童相談所も映画の中では機能しているのに。現実では機能しきれないケースが多すぎる。悲しい。

ゆりの本当の名前は「じゅり」だった。それでも名前を再び「りん」とし、髪の毛も切ってしまう。

りんは戻りたいとは言わない。

子供でも選んだ家族のほうが「キズナ」が強くなると信代は言う。

治は怪我を理由に働かず、信代もクビになってしまう。

信代はりんの存在を知られたことでクビを受け止めざるを得なかった。

万引きしてきた水着を着て信代と一緒にお風呂に入るりん。

りんは洋服を買ってもらうことは虐待されることと同意だった。

そんなりんを不憫に思う信代。

そしてりんが着ていた着衣も燃やすことにした。

夏になり、家族で海へ出かける。

楽しそうな家族の模様。

駄菓子屋で祥太は自分が壁になりりんに万引きをさせる。

駄菓子屋の店主はそのことに気づいたが、祥太にお菓子を渡し、「妹にまでさせるな」と釘をさす。

祥太には最初からりんに万引きをさせることに抵抗があった。

しかし、治は万引きの場にりんも連れて行った。そして祥太の意見に「りんだって何かしてないと家に居辛いだろう」と言う。

祥太の中で膨れ上がる疑念。

そんなとき、初枝が起きない。既に死んでいた。救急車を呼ぼうとした治を止める信代。既に死んでいるのだからと。次のことを考えなければならなかった。

なぜならそこは初枝の家であり、自分たちは「他人」であり、初枝の年金だけが頼みの綱なのだから。

自宅の部屋の中に穴を掘り、埋葬することに。

治は祥太に言う。「この家には最初から5人しかいかなった」

祥太はスーパーに万引きに行くが、りんには表で待つようにと言う。

しかし、後ろを向くとりんが万引きをしていた。

気づいた祥太は陳列棚から物を落としてみかんを盗んで店を出る。

その間にりんも表に出る。

祥太は追い詰められ、飛び降りる。

骨折をし、入院する祥太。聞き取りを受ける治。そこに信代も登場し、一度自宅に着替えを取りに戻ってきたいとその場を後にする。

身の危険を感じた「家族」は夜逃げをしようとしたところで捕まってしまう。

バラバラにされる家族。

りんは海へ行った絵を描いていた。そこには5人でジャンプする家族の絵。捜査員が「何人で行ったの?」と聞くがおばあちゃんのことは言わない。

りんは両親の元へ返された。マスコミが取り囲む中、両親が何食わぬ顔で無事に安堵している。

祥太は子供だけの施設へ行くことになる。祥太から初枝のことを聞き出そうとする捜査員だったが、口を割らない。そして一人で車での中で生活していたと言い張っていた。

亜紀は初枝が「家に来ない?」と言われて家族になっていた。

亜紀の祖父が初枝の元彼?という間柄なのか?度々、亜紀の実家へ行き、線香をあげていた。亜紀のことは知らせずに。

亜紀もそのことは知らず、お金のために利用されたと気づく。

治は誘拐を信代のしたこととした。

この二人の関係性は?

治は信代の元夫を殺害していた。そのため、信代が罪を被ったほうが軽いと判断した結果のことだった。

信代は捜査員役の池脇千鶴から「母親になりたかったんでしょ」と言われる。

女性同士、きつい。

子供から「お母さん」と呼ばれていたのか?など彼女を追い詰めていく。

りんが自宅に戻されたと言われ、なぜ虐待のことを言わないの?と思ってしまった。

りんは自宅に戻り、母親にまた冷たくされていた。りんは信代にしてもらった優しさを母親に向けるが、母親には怒られてしまう。

母親は「じゅり、お洋服買ってあげるからおいで」と甘い言葉を言う。きっとそう言って来たじゅりを叩いていたのだろう。じゅりは首を横に振って近寄らない。そして一人玄関の外で迎えに来てもらえないかと待つ日々になっていた。

祥太は施設から治といっしょに信代の面会に訪れていた。

信代はそこで祥太の過去について告げる。

「あなたは松戸のパチンコ屋の駐車場に居たの。習志野ナンバーの赤のビッツ」

「本当に探せば本当の両親が見つかるから」と。

偽家族を解体した瞬間だったのか?

祥太ももしかしたら、この二人に助けられていたのだと思う。

パチンコ屋の駐車場で熱中症で死んでしまう子供になるところだったのかもしれない。

だから祥太には記憶はない。

そのくらい小さい頃からこの二人に育てられていたのだろう。

その日の夜は治は祥太を一人暮らしているアパートへ連れていく。

そして治は言う。「お父ちゃんからおじさんになる」と。

翌日のバス停。祥太は言う。「僕、捕まろうとした」と。

きっと教育をされなくても善悪というものはわかってくるのかもしれない。

りんという存在を守らなければと思ったときに正義が出てきたのだろう。

家族が終わった。

それでも亜紀は行く場所がなく、一人、元の家に行く。

そこにみんな戻る日があるのか?そんな想像をさせられる最後だった。

エンディングテーマもない。

この映画のメッセージを海外ではどう受け止めたのだろう?

そしてこれから観る日本人はどう受け止めるのだろう?

重いテーマ。

リアルに抱えている問題。

映画が評価され、問題の解決になることを期待するのだけど。

【映画 Blank13】感想。ロングランヒット中の作品をやっと観に行けた。

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キャストかぶりで

リリー・フランキーさんと松岡茉優が出ていて、しかも昭和で「万引き家族」か?って感じだったけど。

存在感のある役者さんってことなんだろうな。

雰囲気のある映画館で

先行上映は確か2月の最初の頃だったと思う。そして2月24日から順次全国ロードショーってことで、約4ヶ月待ってしまった。

新宿に行っても良かったのだけど、この「スカラ座」に行ってみたい気もしてたから。

川越スカラ座。「時の鐘」の裏辺りなんだけど、見かけたこともなかった。

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表側はちょっと手を入れたのだろうね。募金箱もあった。改修費用募金ってことみたい。

ちょっとした体育館のような感じのところに200席弱のシート。

最近の映画館って段々にしてあるからあまり前の人の頭が気になることもないけど、身体をどちらかに預けないとがっつり頭だった。

後ろの人、ごめんなさい。席を移動されてた。そうだよね。

そんな映画館だけど、3割程度埋まってた。

予告もあまり観ていない感じの分野でまた興味を持てる作品があって困ってしまう。

物語は・・・

どうしようもない父親が失踪して13年後に余命3ヶ月で再会したものの心の溝を埋めることなく死亡してしまい、そのお葬式で数人しかいない参列者一人ひとりからお言葉をもらうという展開。

あまりないんじゃないかって思うけど。

どうしようもない父親。

父親という立場に求めるものは何なんだろう?

家族ができるとはどういうことだろう?

母親はなぜ苦しい立場でも自己犠牲の上で子育てをできるのだろう?

まぁ一概に全ての人が当てはまるわけでもないのだけど。

よくある話としては、博打に明け暮れる父親が借金をして借金取りが家に押しかける。

その状況で息を殺して生活をする家族。

父親役のリリー・フランキーさん。ぴったりなんだよね。

だらしないわけでもないのだけど、肩の力がいい具合に抜けているから、わかりやすい。

ちょっとずるいな。

リリー・フランキーさんって人がそういう人ってイメージがそのままなんだもん。

母親役が神野三鈴。この人もね、幸薄そうな女性がピッタリで・・・。

斎藤工と高橋一生が兄弟という役柄。それでも13年前はまだ中学生と小学生の兄弟ってことで、子役。

弟役の子役が可愛い。大西利空くん。今後期待。

まず火葬場のシーンから。

火葬にする意味なんて考えたことがなかった。

国土が狭い国では火葬にすることが多いって。そうかぁ。アメリカは土葬だもんなと思ってた。

そしてセミを火葬する。

うーん。うーん。うーん。

弟のコウジが暑い夏の日、父親を探して自転車で雀荘を巡っている。

そして、自分が書いた作文が表彰されたことを報告する。

麻雀に忙しい父親はそんな息子の存在を無下にするわけでもないが、作文をすぐに読もうとはしない。

作文は父親と初めて甲子園を見に行ったことを書いたものだった。

コウジの記憶の父親は自分と野球をしてくれた記憶が残っている。

それでも日々取り立て屋がアパートのドアを叩き、叫ぶ。

息をひそめる家族。

それもいつしか限界がきて父親が家を出ていく。雰囲気を察している母親とコウジ。

父親は帰らなかった。

そんな父親でも居るだけマシだったのか?

その日から母親は懸命に働く。朝早く新聞配達へ行き、夜は水商売へと行く。

ある日、新聞配達の途中で車に自転車で突っ込んでしまうが、時間がないと病院へも行かずに腫らした顔に化粧をして夜の仕事へ向かう母親。

倒れたのか?翌朝、兄ヨシユキとコウジが新聞配達をし、ヨシユキがお弁当を作っている。

遠足に間に合わないと言い出すコウジに「なんでこんなこと自分がしなきゃいけないんだ」切れるヨシユキ。

子供時代の象徴的な場面だったのだろう。

13年後、大人になった兄弟と母親が久しぶりに対面している。

って言っても、かなり無理のある年齢設定でしょ。

13年ってことはお兄ちゃんが28歳くらいで弟が23歳くらいなんだけど・・・二人共30代後半よね?

そんなことは気にしないでと。

ヨシユキが父親が入院していて余命3ヶ月であることを告げる。

見舞いに行くかどうかという相談らしい。

ヨシユキは即答気味に「俺は行かない」と言う。

母親も「私も・・・」

コウジは何も言わない。

なんだろう?「親はなくても子は育つ」と言う話はあるもので、自身がきっちりとしたことをしていればきちんとしたところへ就職は可能だ。

兄は大手広告代理店勤務、弟は現金輸送車の運転をしていた。

兄弟は父親の背中を見て反面教師にしている。そして母親の苦労も見ていたのだろう。きちんと母親にお金を渡している。

コウジは一人父親を見舞う。

そこで会った父親は昔のままにお金の工面をしている姿。

失望。

家族の溝が埋まることなく、お葬式となる。

お葬式の場は、お寺の本堂ではない場所。そこに受付をするコウジの彼女の松岡茉優演じるサオリ。

奥の本堂では大規模なお葬式をしていた。同じ名字。

間違えて受付しようとする人に頭を下げるサオリ。

お葬式は必要なのか?と思ってしまったのだけど。

父親のお葬式の参列者はいずれも素性のわからない人々。

読経の後、それぞれに一言をもらうことに。

家族のことなど気にしない面々。

自分と父親の雅人との関係を語りだす。

そこには家族の知らない父親の姿が浮かび上がる。

借金をしていた父親。その多くは他人のために借りていた事実。

子供のためにマジックを覚えようとしていた父親。

そして、入院していたところに自分の作文を大切にしまっておいてくれた父親。

人間の本質というものは?

奥の本堂のお葬式には雇われたおばあさんが大泣きの演技をしていた。

そんなことをさせなきゃならない人間性と。

家族には本当の姿は見えない。

母親も喪服に着替えながら、お葬式の場には現れない。

どんな相手であってもきっと母親の中には悲しみがあるのだろう。

憎しみではないだろうって思う。

憎しみしかなかった兄は参列者の言葉を聞き、喪主挨拶も出来なくなっていた。

その後を継いで語りだす弟。

13年って言う期間はあっという間だと思う。

子供の中の13年はそうでもないのか?

などなどいろいろ考えることが多い映画だ。

齋藤工の監督作品。

撮られる側のプロが撮る側にまわった時の表現って面白いと思う。

こんな小さい劇場で2週間くらいで1日1本って割合しかしていないのに、ロングヒットで1億円突破はすごいと思う。

若い人というよりは年配の人。

斎藤工という俳優を知っている方だろうけど、年配のおじさんとかもいて、どういう経緯で来ているのだろう?とかって考えてしまった。

【映画 OVER DRIVE】感想。日本であんなラリーの大会があるの?

メカニックがカッコいい

日本国内をラリー場として本当に撮影しているのだよね?

首都高とかカッコいい。

一番カッコいいのはドライバーになりがちだけど、この映画は「メカニック」

男性が多かった感じがする。

ターゲットは?

この映画のターゲットはどの層なんだろう?

若者の車離れが言われている現代にあの映画はどの年齢層がターゲットなんだろう?

新田真剣佑演じる檜山直純と東出昌大演じる兄の檜山篤洋の兄弟の話が根底にある。

ドライバーの直純は兄がメカニックをしている「スピカレーシング」に所属している。

メカニックの篤洋の言葉に耳を貸さずに対立する日々。

ラリーの花形はドライバーだろうけど、それを支えているメカニックをないがしろにしているように見えてしまう。

そこに直純のマネージメントにされた森川葵演じる遠藤ひかるが配属される。

ラリーも自動車レースについても興味のないひかる。それでも仕事として直純に張り付く。

直純にも相手にされず、メカニックの邪魔になることしか出来ない。

スポンサーのこともあり、スポンサー名が隠れないようにという事にだけ心血を注いでしまう。

メカニックが1秒を削るためにパーツの整備をし、テストを繰り返す。

デザイナー志望の若手には繰り返すテストが理解できない。

それを見たひかるも自身のしていることと重ね合わせて助言するが、それを直純に聞かれてしまう。

直純はひかるに冷たくあたる。

ひかる自身は高校生ゴルファーのマネージメントをしていて、その子が気になってしょうがない。

自分を削るように走る直純を心配する周囲。

直純は約束を守りたいのだと言う。

幼い頃に誓った約束。

お互いの存在がずれてしまっている兄弟。

ライバルチームのドライバーの北村匠海演じる新海はメカニックとも話し合いをして協力していることで成績を伸ばしているが、自分勝手な振る舞いしか出来ない直純はマスコミからも叩かれる。

結果だけを追い求める直純は孤立していく。

その原因は何なんだろう?ひかるは直純に聞く。

直純から出てきた言葉を検索してあることを知る。

直純の想い人は既に亡くなっていた。ボストンへ留学し、そこで銃の乱射事件に巻き込まれていた。

兄弟の不仲の原因は彼女だった。

幼馴染の彼女を好きになった直純は世界一になると宣言する。

世界一になれば彼女が自分を好きになると思っていたのだ。

それでも自分へは向かない想い。彼女は篤洋を好きだった。

そしてひかるもまた篤洋に目が向いていた。

優しい兄にやんちゃな弟。

よくある構図。

ひかるは自分がマネジメントをしていた選手のマネジメントから外されたことを知る。

自分はどこに向かえばいいのか?

その答えが出ずに篤洋に聞く。

篤洋は自分の失敗した過去を話しだす。

ひかるは自分でどうにかしなければとラリーについて勉強を始める。

いろいろなことがいい方向へ向かい出す。

最終戦の北九州の初日、事故で車が湖に落ちてしまう。

篤洋は直純に言っていた言葉を思い出す。「すぐに直すから」

車を引き上げて5分のペナルティを加算されても急いで次の日に間に合わせる。

そして直純へのアドバイスは「攻めてこい」

攻めることしかできないのだからそれにあった仕様に仕上げてドライバーが気持ちよく走れることを優先させた。

そして優勝。

2時間でいろんな想いが錯綜していてひとつひとつが重たくて。

それでも大事なものがあるってことがわかった。

続編あるの?

あっても不思議じゃないけど、この兄弟、カッコ良すぎよ。

森川葵がいろんな顔がありすぎて?まだ彼女の個性がわからなくて誰だかわからなかった。

ラリーのシーンは迫力満点でカッコいい。ほんと。

日本でもラリーってあるの?

【50回目のファーストキス】感想。お笑い要素と切ない要素と。

もし今日の記憶が残らなかったら

記憶の定着がないパターンはドラマ化もされた「掟上今日子シリーズ」が思い浮かぶのだけど、今回はまるで別の話し。

ハワイの雄大な景色と星空と。

それだけを見るのも大変良かったと思う。

夢の実現か恋愛か

元々はアメリカで2004年に公開された映画のリメイクなんだ。

初めて知った。

日本版ではオアフ島でツアーガイドをしている山田孝之演じる弓削大輔が変わっていく様子が面白いのかもしれない。

ツアーガイドの大輔は日本からの旅行者と1夜限りの関係を遊んでいた。

お互いに持ち腐れのない関係。

久しぶりの山崎紘菜が大輔の同僚役で出ている。「チア☆ダン」の頃とちょっと感じが違っててわからなかった。

そしてそのツアー会社の上司役が勝矢。地元の人でも十分通じるな。あおの濃さ。

ツアー会社は和気あいあいとしていて最初から面白い。

でも大輔の本当の顔は天文学の研究者。ハワイに来た理由も天文学を研究することだった。

そんな大輔の車がエンストしてしまったことでロードサービスを待つ間に入ったカフェ。

そのカフェで注文は?と言われ、朝食は食べたからコーヒーだけでいいと言う大輔だったが、なぜかスパムバーガーを頼まされてしまう。しかもピーナッツバター入りで。どんな味よ。

その大輔の顔に反射光が当たる。

そこに居たのはワッフルを切る長澤まさみ演じる藤島瑠衣がいた。

瑠衣はワッフルを切って建物を作っている。

一目惚れをする大輔は翌日もまたカフェに行くと瑠衣の姿が。

ワッフルで作っている家のドアをどうしようかとしているのを見て、大輔は爪楊枝で「こうやればいいよ」と助ける。

瑠衣はその行為に感謝し、一緒にどうぞと相席をすることに成功する。

大輔は星の話しで瑠衣を笑わせる。

お互いに自分の車に戻るとそれぞれにいい相手と知り合えたことを体いっぱいに喜びを表していた。間に居た車がいなくなると、お互いちょっと気まずい感じ・・・

そしてまた翌日、カフェに行く大輔。

カフェの店員が大輔に「話がある」と言う。が、その前に瑠衣が来て、前の日の感じのまま瑠衣の前に行く大輔。

突然知らない男に言い寄られた感の瑠衣が騒ぎ出す。

店員は大輔を外に連れ出す。

そして瑠衣のことを教える。

瑠衣は1年前に交通事故にあい、「短期記憶喪失障害」というその日の出来事が1晩でリセットされてしまう状態であった。

自分のことを忘れてしまっている瑠衣に大輔は落胆する。

それでもどうにかして瑠衣と仲良くなりたいと必死になる大輔。

英語が読めないフリをして助けてもらうとか。

瑠衣は荒手のナンパだと思いながらも助けたりしていた。が、それ以上を要求しない大輔に怒り出す。

大輔は慌てて彼女の後を追う。

瑠衣の父親役が佐藤二朗で弟が太賀。この二人がヤバすぎるくらい面白すぎる。

瑠衣は父親の誕生日にパインナップルを取りに行く途中で父親の運転している車が道路に出てきた仔牛を避けて木に激突したことで頭を強打して怪我をしてしまっていた。

その日から父親と弟の努力の日々が始まる。

記憶がリセットしてしまう姉のために、生活もリセットする。

そして毎日が父親の誕生日になっている。

弟の慎太郎はなぜかミートソースを作りながら、鉄アレイを持って筋トレをしている。変な声を出しながら。

それを見た父親の健太郎は心配する。

「え、お前・・・ゲイなの?」

「鍋の中にお前の汗がいっぱい入ってるんじゃないの」

掛け合いが面白すぎる。

瑠衣の誕生日プレゼントはピコ太郎の衣装だった。なんかまだ2年だけど懐かしい感じしかないんですけど。それを来て健太郎がまぁ生のパインナップルとココナッツを持ってするわけですが、何百回も見ている慎太郎が未だに大爆笑することに健太郎は「お前、もう何回も見てるのに何がそんなにおかしいわけ?」とマジツッコミになってる。

カフェの店員は健太郎に大輔のことを電話していた。

そこに大輔が登場し、瑠衣のことをカルテも含めて説明し、「娘には近づくな」と釘をさす。

そこに慎太郎が「僕はいいよ」となぜか自分を売り込もうとする。

健太郎はそんな息子に「顔をこの辺に持ってきて」といい、出された顔にピンタする。

まぁパニックのような感じで面白いの。

この面白さがないときっとしんみりしちゃって家族にとっても苦痛にしかならない。

そして健太郎は大輔に「カフェには行くな」と言う。

健太郎は美術の講師だった瑠衣に真っ白にした壁に絵を描くようにと毎日頼む。そのため、瑠衣が寝た後に健太郎と慎太郎は二人でまた白いペンキを塗って白い壁を作り直す。

新聞も事故の日のもののまま。

事故直前の記憶しかない彼女にはちょっとした違いもパニックになるらしい。

大輔はカフェに行くなという言われたからと今度は彼女が帰ってくる道端で会うようにいろいろと仕向ける。

そこには友人のムロツヨシのウーラも巻き込んで。

熱意に健太郎が折れる。

ある時、カフェにいるときに瑠衣の車が車検切れで取締を受ける。

彼女の記憶ではまだ先のはずの車検が切れていた。

彼女は悲しみの中で家に帰り、健太郎から説明を受ける。きっとこれまでも何度となく繰り返されてきたのだろう。

お医者様にきちんと聞きたい。

健太郎にしたらもう何度となく聞いているからと思うが、瑠衣は聞きたいという。そして大輔も。

病院で大和田伸也演じる名取医師から説明を受ける。

瑠衣は悲嘆しながらも大輔に「今日はありがとう」とお礼を言う。

そして、「明日声をかけるときには "ユリ” をキーワードにしてみて」と言う。

大輔は大輔なりにどうにかしなければと考える。

家族は家族でいかに瑠衣がパニックにならないかという結論で生活をリセットしてきているが、それは重荷である。

翌日、大輔はユリの花束とDVDを瑠衣に渡す。

そのDVDには瑠衣の状態と今をつなぐニュースが散りばめられている。

瑠衣が事故にあったのはトランプ大統領が決まる前だった。だからまだトランプ大統領になったということは記憶にない。そのため、普通のニュースは見られない。

その中になぜか「藤井聡太四段の29連勝」のニュースもある。ハワイに住んでて必要か?

新しい試みで大輔との距離は縮まる。

そして「ファーストキス」する。

瑠衣は記憶の無くなる前に「ファーストキスって素敵」と思っていたのか、記憶がリセットされるから毎日がファーストキスとなっている。

この辺になるとね、大輔の努力がほんと健気でそれまでの行為は1夜限りだからという関係を好んでいたわけだけど、今は自分がそうされている。

しかも自分の中には積み上がっていく記憶。

瑠衣とは別に元々の研究結果が認められる段階まできていた。

でも、瑠衣に「結婚しよう」と申し出る。

そのまま寝ないで朝を迎えられたら・・・夜明けの星空を見せたいと言う大輔。

寝てしまった瑠衣。記憶はリセットされ、パニックになる。

健太郎は大輔に聞く。「ハワイにはいつからいるんだ?」

10年前から天文の研究のために来ていることを告げる大輔。

健太郎は「もしその研究が認められたらどうするんだ?」と問いかける。

それを聞いていた瑠衣は日記に書いたのだろう。

翌日、仕事をしている大輔のもとへ行き、「大輔をリセットする」と告げる。

瑠衣は自分が大輔の重荷になっていることを気にしていた。

瑠衣の気を引くために奔走している大輔。「望遠鏡を覗いたのはいつ?」と聞かれて言葉に詰まってしまう。

夢をとるか、愛をとるか。

瑠衣の希望で日記の大輔の行や、スマホのデータを削除する。

そして「最後のファーストキスを」と言われてファーストキスをして別れる二人。

帰った大輔の元に研究所から招待がきていた。

ハワイから旅立つ日、健太郎と慎太郎も見送りに来ていた。そこで瑠衣が入院していることを聞く。

「これ以上重荷になりたくない」と。

慎太郎は最後の最後までハグしてキスまでしようとして健太郎にピンタされて終わるという一連のコメディ。

飛行機に乗った大輔はパソコンを開く。そこには自動転送されたんだろうね、画像データが削除されずに残っていた。

それを見た大輔は飛行機から降りて瑠衣の元へ。

入院している瑠衣は同じ症状の方へ美術指導をしていた。

そこへ大輔が登場するが、「あなたの名前は?」と冷静だ。

「大輔」と告げると「大輔、ついて来て」と病室へ連れていく。

そこには瑠衣がが描いた大量の「大輔」があった。

瑠衣は誰だかわからないけど夢に出てくる人物をずっと描いていた。

感動しちゃうよね。

で、終わりになるかと思ったのだけど、また瑠衣の寝起き。

そこにはスマートスピーカーの存在があり、DVDをプレイする。

それを見て瑠衣は外へ。

そこには夜明け前の満天の星空と大輔と一人娘が。

もう良かったねぇ〜っておばちゃん気分だわよ。

山田孝之の普通の役?って久しぶりって感じでやっぱりカッコいいわねって感じ。なんか髭面だったりヤクザだったりって感じのイメージが強かったのだけど。

長澤まさみは30であの脚の綺麗さって何なの?ってくらい細いわ長いわ。

最近は「散歩する侵略者」「嘘を愛する女」ときて今回の作品と言い、健気な女性像って感じ。ちょっと強いんだよね、どれも。でも素直に幸せになれない感じで。

オアフ島に移住したくなった。うん。

みんな英語がうまくて驚いたんだけど。長澤まさみなんて中国語まで喋ってたけど。

【海を駆ける】感想。ディーン・フジオカの存在感

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「月が綺麗ですね」

この言葉を知ってますか?

私は、ドラマ「相棒」で知りました。

夏目漱石って英語の教師だってことも知らなかったのだけど。

インドネシアの海と人と

 

インドネシアという国は近くて遠いところ。

なかなかインドネシアという国について知ることはなかった。

地震、津波の被害があるという場所というイメージ。

観光地でもある地域もあるのだろうけど、私は行ったことががないからね。

舞台はインドネシアのアチェという場所。海に打ち上げられる日本人。

それがディーン・フジオカだった。

記憶を無くしているのか?自分のことが誰なのか、どこから来たのか。

アチェにNPO法人の災害支援で移住してきている鶴田真由演じる貴子と息子のタカシ役の太賀。

二人共インドネシア語でセリフを話している。ネイティブスピーカーよ。

最初のシーンは太賀の大学の同級生のクリスとクリスの幼馴染のイルマによる取材シーンから。

スマトラ沖地震の地震で被災した人への取材、NPOで来ている貴子への取材、そしてタカシへの取材。

取材の途中で貴子へ電話が入り、海に日本人が打ち上がれらていることが知らされる。

貴子はそこに行かなければならないからとタカシに姪のサチコを空港に迎えに行くようにタカシにお願いする。

タカシは足がないため、クリスにも頼む。

空港で待つタカシのもとにサチコ役の阿部純子。「孤狼の血」にも出演していたなぁ〜。眼力はあるけど、全然雰囲気が違う。サチコはなぜインドネシアに来たのか?

何をしに来たのか?

大学を突然辞めてしまい、突然インドネシアに来たいという事になったという。

海に打ち上げられて日本人を「ラウ」と呼ぶことにし、貴子親子の家で面倒を見ることになった。

ラウは誰なのか?

インドネシアの漁師町なのだろう。海辺から送ってもらうトラックを見かけた漁師が途中で乗り込んでくる。

釣った小魚をかごにいれて。

トラックの荷台にラウは立っている。突然ラウが何かを唱えだす。

そうすると死んでいたはずの小魚が突然跳ね出す。

川べりに親子の姿を見かけた運転手がブレーキをかけて車を停めると姿が見えなくなってしまう。

ラウの起こしていることなのか?

ラウが水道管に触れる。

水しか出ないはずのシャワーからお湯が出てくる。

ラウは何者なんだろう?

まぁセリフはほとんどないよ。おディーン様の。

ただ、居ることの存在感は感じる。

ラウの身元を探しに情報を探しに行く。そこには年配の人も居る。日本の軍歌を歌い出す彼ら。

日本が戦時中に支配していたことをあまり良く知らないけど、インドネシアでオランダ軍が戦っていたらしい。

ラウを見かけた人がいないか探している時、サチコは一人写真の写された場所を探している。気になるクリス。写真の場所に見当をつけて連れて行くがちょっと違うかもというサチコ。

記者になることが夢だというイルマはラウのことを撮影しながら探していく。

帰ろうとした時、熱中症で倒れた少女を見かける。水を取りに車に戻ったり人を呼びに行ったりしている中、ラウは少女に寄り添い、手のひらに水の塊を作って、少女に飲ませて少女を助ける。

イルマはそれを撮影していた。

大学生の男女4人がメインになっていく。

幼馴染のクリスとイルマ。従兄妹同士のタカシとサチコ。

クリスはサチコのことを好きになったとタカシに告げる。

タカシはクリスに「結婚したら俺たち兄弟になるのか?」とおちょくる。

でも、インドネシアだと宗教の問題で簡単に結婚出来なそうな感じ。クリスとイルマは宗教が違うという理由で付き合わなかったとイルマは言う。

サチコの歓迎パーティに来たクリスはモジモジしながらサチコに「ツキガキレイデスネ」と片言の日本語で思いを告げる。

日本人の母親とインドネシア人の父親の間に生まれ、日本に行ったことはないが、日本語の読み書きはできるタカシにサチコが日本語の本を数冊持ってきていた。

そして貴子がタカシに夏目漱石の話をしていた。

英語教師だった夏目漱石が「I Love you」を「我君を愛す」と訳した生徒さんに明治時代、そんなことを言う日本人はいないってことで「月が綺麗ですね」くらいにしたらという話があると教える。

日本を知らないタカシは日本では「好き」ということを「月が綺麗ですね」と言うものだと思いこむ。

はっきり言えば、そんなことを知っている日本人はどのくらいいるのだろう?私は数年前にドラマで右京さんが言っていたから知ってたけどってことでサチコには本当の思いが伝わらない。

クリスはサチコの態度に振られたと思う。

クリスはイルマに「変なことを言ったんじゃないの」と言う。以前イルマと付き合うときにイルマとしたら言われたくなかったことを言われたらしい。

津波で母と妹と家を失ってしまったイルマ。それを気の毒だと思うクリスの優しさが逆に彼女を傷つけていた。

難しいね。どこの国でも。

記者希望のイルマに貴子は友人のジャカルタの新聞社の記者のレニを紹介する。

記者になりたいと思うイルマはラウの映像をレニに見せる。

ラウが水の塊を作りだした映像。地元の新聞社に送ったら手品だろと相手にされなかったためにわかって欲しいって気持ちがあったのだろう。

レニは映像をもう少しちゃんと見たいから貸して欲しいと言う。

渋々了承してしまうイルマ。

どこの世界でも成功する人間はずるいのです。

サチコは高熱を出して寝込んでしまう。

熱にうなされるサチコをラウは海へと引き連れていく。海で漂いながら、写真に写っている場所を確認するサチコ。

眠りから覚めたサチコの熱は下がっていた。

心配したクリスが朝からお見舞いに来てくれた。サチコはクリスに夢で見た場所を確認する。そしてそこにどうしたら行けるかと聞くと連れて行ってあげると言われるサチコ。

約束を取り付けたクリスはウキウキだ。

テレビを見るとラウとレニが会見をしている。イルマの撮影したものを自分で撮影したものとして流してしまうレニ。

それを見て固まる従兄妹たち。

会見中、「疲れたので帰ります」と会見場を後にするラウ。

追いかけるレニの前にラウの姿は消えている。

そしてタカシとサチコの目の前に現れるラウ。

「どこでもドア」か?

タカシは自宅のドアを開けて確認する。

タカシの行動が面白い。

バンダがサチコの探しいている場所ということで船乗場へ向かうサチコとタカシ。そしてラウ。

貴子の働いている場所で車を降りてしまうラウ。

ラウを置いて船乗場へ行く。サチコはクリスと待ち合わせをしているというが、クリスの姿はない。

タカシはなぜか「クリスは来ない気がする」とサチコを絶望させる。二人で船に乗り込む。

その頃、クリスが現れ、イルマも一緒だ。元々イルマがクリスを誘って行くことになっていたのだが、結局4人とも同じ船に乗船することになる。

船の中でクリスを見かけたサチコはイルマと一緒のクリスに勝手に裏切られたと思い、ビンタしてしまう。

意味のわからないクリス。

そこにタカシも来る。

クリスは先に僕を振ったのはサチコだと言う。

何がそうなったのかもわからないサチコ。そして「月が綺麗ですね」とまた続けるクリス。

勘違いしたことに気づくサチコは笑いだし、4人でもとになり、「幸せなら手をたたこう」を歌う。

言葉は違うけど同じ歌を歌っている彼ら。

バンダに着くとなぜかラウの姿がある。

また固まるタカシとサチコ。

ラウって何者なんだろう?

でもサチコはラウに自分がここに来るようにしたのはラウだよね?と確認する。

サチコが探していた場所は亡くなった父親の影を探して遺灰を散布することだった。

タカシはイルマに「月が綺麗ですね」と言い、海へと入っていく。

散布するサチコ。

撮影するイルマ。

どこからかラウの唱える声。

子供の唱える声。逆流する滝。

何が起きているのか?

人々が棺を抱えて歩いていく。子供が4人川に流されたと。

ラウが子供を川に引き込んだと言う。

ラウは「そろそろ帰ります」と海へと駆けていく。

遠浅の海なのか?

その後に続く4人。

途中で消えてしまうラウ。

かなりのところまで行ってしまっている4人。波に流れてしまっている。

ラウは本当はこの4人を道連れにしたかったのではないだろうか?

そのかわりが子供4人だったのではなかったのだろうか?

ラウの行動は良いことをしているだけではない。

痴呆のすすんだ老人に手をかざしていた。その夜にその老人は亡くなってしまう。

船乗場へ来るときに貴子のところで車を降りていたが、なぜか貴子を気絶させてしまう。その後の貴子は?

そして子供を川に引き込んで殺してしまっている。

ラウの目的は?

この映画にはきっと明確な結末はない。

「心揺さぶる美しきファンタジー」

が何を意味していたのか。

私にはわからなかった。

ラウは何をしに来た誰だったのだろう?

海に入った4人は岸に戻れたのだろうか?

かなり結末が気になる終わりだった。

おディーン様、前作の「結婚」の最後も海に消えるシーンだったな。

おディーン様の映画はとてもいい感じなんだけどね。

綺麗だし。彼が綺麗なんだろうけど。

筋肉があるわけではない。年齢よりもちょっとぽっちゃり系な感じよ。

次の「空飛ぶタイヤ」は一転カッコいい役。ラウは不思議な役。

セリフは・・・ほとんどない。

太賀がほとんどネイティブインドネシア人。

鶴田真由は変わらず綺麗。

阿部純子もこれから期待したい女優さん。

サチコの父親の死因が東日本大震災の津波であればスマトラ沖地震の津波被害の地域へ来ることも納得なんだけど、そこも想像するしかない。

そんな映画。