いろんな経験をしておく
私自身、短大時代、フリーターのようにバイトの掛け持ちをしてました。
勉強もしてましたよ。
卒業できなきゃ本末転倒ですからね。
私の入社1年目から最初の退職まで
会社に入るとまず何をしていいのかわからない時代が2~3年あります。
会社は自分を必要なのか?と不安になります。
私の入社はバブル後半、入社した年に損失補填が社会現象となりました。
最初の1ヶ月は他社の研修センターでいろんな会社の合同のCOBOLの研修でした。
2ヶ月目から会社に出社になりましたが、システム会社とは言え、常駐専門の会社だったため、会社での作業はありませんでした。
ただ、たまに掛かってくる電話応対を何も教えてもらうことなくやってました。
夏前くらいにやっと先輩の常駐しているところに2週間ほど行かせてもらえました。
COBOLなんてね、全然わからないから、何も出来なかったし、相手にもされませんでした。
夏に損失補填のニュースが出て来ました。
秋になり、 兄弟会社と合併しました。
兄弟会社はパソコンでのシステムの対応をしているところだったのか?今でも知りません。
ただ、常駐ではないため、人がいきなり増え、中目黒の格好いいビルに引っ越しました。
そこで私はCADオペレーターの仕事をすることになりました。
半年間、何もせず給料泥棒状態からやっと抜け出せました。
CADオペレーターもやったことのないことでした。それでもまだバブルの余韻が残る建築業の仕事はたくさんありました。
この仕事のおかげで20代の前半は社会人として働けました。
合併1年で会社もいよいよ傾いてたらしく、私はCADの仕事を出してくれていた会社に引き取られました。
ただラッキーだったのかもしれません。
バブル後のしばらくシステム業界は冬の時代でした。何も出来ない自分では途方に暮れてたと思います。
引き取られた会社はまだ5年くらいの商社でした。主力商品のCAD化とその納品先の企業からの依頼が私の仕事でした。
その時代、まだ会社にパソコンは1台しかなく、見積書をやっとパソコンで出すようになった時代でした。
CADオペレーターの私には専用のパソコンを与えられました。
はっきり言って、パソコンもまともに使えるわけもなく、会社も見積書が入力出来るくらいしか求めてませんでした。
でも、私はなぜかそのパソコンを使いこなそうとし始めました。
まだMS-DOSの時代。見積書もLotus1-2-3でした。ワープロは一太郎ね。
CADソフトはASCIIのCandy4という簡易CADソフトでした。
その頃、出入りしていたパソコンリースの方と仲良くなりました。唯一、パソコンのことを知ってる人ですよね。
その人が、あるときWindows3.1をインストールしてくれました。
私のWindows人生の幕開けです。
WindowsにはExcelが入っていて、Lotusよりも表計算を意識しやすい作りでした。
私は勝手に会社の過去の財務諸表をデータ化しました。そうしてExcelの使い勝手を身につけました。
その1、2年後にWindows95が発売になりました。
いよいよ今の時代の幕開けが来たのです。
Windows95搭載パソコンをいち早く購入してました。
オフィスもプラスも全て揃えてて。
会社のパソコンのOSの入れ換えをした記憶はないので、会社はまだそのままだったと思います。
が、Accessの存在を知り、自宅にもソフトがあり、独学で販売管理のシステムを作りました。
しかし、会社の買ったものではなかったわけで、そのシステムの活用には至りませんでした。
その頃になるとバブル景気だった建築業界も他と同じく低迷に入ってました。
ここで初めて転職を考えます。
テレビのCMでは「オー人事、オー人事」とやってました。派遣社員というのが身近になってました。
それでも、何もないところからいろんなことに挑戦できた20代前半。
正社員だったけど、ボーナスとか昇給とかそんなものは何もありませんでした。
それでも私は大きな財産をいただき退職しました。
26でした。
主任までさせていただきましたが、管理職という存在になる自分に何のめり込んも魅力も感じてませんでした。