邦題と原題と
the Sense of an Ending
原題だと「終わりの感じ」的なニュアンスだろうか。
なのになぜ邦題を「ベロニカとの記憶」にしてしまったのか不思議だ。
新宿武蔵野館
この映画館の存在はたぶん1990年代から知っていたはずだった。
でも一度も行ったことがなかったので、新宿駅を出て何も見ないで感覚で行ったら、自分の感覚が違っていた。
初めての武蔵野館。
自分が行き慣れている映画館と違うレトロ感と重厚感。
行き先案内が針金アートだったり・・・
いいなぁ〜。トイレの内装もおしゃれな感じ。
今日はファン感謝デーということで1000円ということで今日にしたのだけど、案外混んでいる。
朝10時前の開始時間で8割くらい埋まっていた。
この映画、どうやって皆さん知られたのだろう?
私は、Twitterにすごい上がっていて興味を持ったのだけど。
先週の20日公開開始だったわけだけどね。
ファン感謝デーを狙った層はわかるけど、シニア層がかなりいらっしゃったので驚いたのだけど。今日じゃなくてもいいわけで。
ま、そんな感想はともかく内容の感想を。
主人公トニーは中古のライカを売っているおじいさん。
でも、娘が36歳で出産間近ってことだからおじいさんは言い過ぎか?60過ぎってことだけど。
物語は最初は意味がわからない。
人間関係が交錯し、そこから昔を懐古する展開だ。
トニーの元に知らない弁護士から1通の手紙が届く。
その内容は遺産として少額のお金と日記を遺贈したいと言う内容だった。
贈り主は学生時代に付き合っていた彼女、ベロニカの母親のセーラからのものだった。
しかし、手紙だけで日記がない。
弁護士事務所を尋ねると日記についてはベロニカが提出を拒んでいることを伝えられる。
しかし、日記の所有権は自分であるということを確認するトニー。
そんな中、トニーは離婚した妻のマーガレットに手紙を見せる。
離婚した妻との関係も微妙でしょ。
娘はシングルマザーになろうとしている妊婦で3人は別々に生活をしている。
イギリスだから?
トニーは自分の過去を元妻に語り始める。
学生時代のトニー、パーティーに退屈して外に出たところでベロニカと出会う。
彼女は、カメラを直していた?カメラは彼女が最初は手にしていたものだったんだ。
その影響でトニーはカメラ屋さんになったのか?
想像ばかりが頭の中をうろうろ。
ベロニカはキスをしても「初めて会った人に名前なんて言わない」とか誘っているようで拒否する意味の分からない女性だ。
マーガレットに「昔の彼女の話?」と言われてもトニーは「いや、付き合ってはいないし、彼女でもなかった」と言っている。
いや、それでもヨーロッパの人の顔って大人びているからその年齢で?とすごく違和感がある。
そして付き合ってもいない彼女の自宅へ招かれる。
そこにはベロニカの父親、母親、兄が居る。
トニーはなぜか母親に興味をもった感じだ。
トニーは彼女の家で自慰行為をする。
この辺りが驚く。彼女の家まで行って、その彼女は寝る前に耳元で「淫らな夢をみて」と言う。
すごいなぁ〜。
日本ではちょっとない展開だわね。
翌朝、セーラ以外散歩に行ってしまったという中で、セーラに朝食を作ってもらうトニー。
セーラとの関わりはわずかこれだけであった。
それなのに遺産を贈るという関係性。
マーガレットも不審な感じで席を立ってしまう。
日記についてわかったことは、その日記が親友だったエイドリアンのものだということだ。
エイドリアンの日記がなぜセーラが自分に贈るのか?
それを渡さないというベロニカ。
若い頃の記憶が蘇る。
高校時代に知り合ったエイドリアンとは大学に進学しても交流があったらしい。
それでも身体の関係にならないベロニカとの関係がどのように終わったのかわからないが、エイドリアンはベロニカと付き合うことになったという手紙をトニーに送ってきた。
祝福の手紙を書くトニー。
トニーの記憶では祝福していたのか?
その後、エイドリアンが自殺をしてしまう。何があったのか?
ベロニカとの再会を果たすトニー。
ベロニカから驚くことを言われる。
日記は既に燃やしてしまったと。
では日記の内容はどんなものだったのか?と聞くトニー。
ベロニカは手紙を置いて席を立つ。
ベロニカをストーキングするトニー。
マーガレットにもそれはストーカー行為だと戒められるがベロニカに対するストーキングが止まらない。
ベロニカから渡された手紙。
それは祝福の手紙を書いてそれを破った後に、トニーがエイドリアンに向けて書いた手紙だった。
それはかなり怖い内容だった。
ベロニカにしてみたらこの手紙のせいでエイドリアンは自殺したと言いたいのだろう。
手紙の内容はそんな感じになっている。
学生時代、彼女を妊娠させて自殺をしてしまった同級生がいた。その時、彼らはかなり討論をしていた。
高校生で妊娠させてしまうことへの罪悪感が大きいのか?
ベロニカをストーキングしていてトニーはベロニカに子供がいることに気づく。
パブで待ち伏せし、その子供に接触する。
彼の名前は「エイドリアン」
まさしくエイドリアンの子供だと言うことを確信する。
自分とのセックスを拒んだベロニカがエイドリアンとの子供を宿したと思うトニー。
そしてその罪悪感で手首を切って自殺をしてしまうエイドリアン。
しかし、状況は全然違うものだった。
エイドリアンは施設で生活をしているらしい。
そうだよね、エイドリアン40歳過ぎてなきゃおかしい。
そして施設の人間がトニーに忠告しに近づいてくる。
トニーは正直にエイドリアンは自分の親友の子供であること。
そして母親のベロニカとも会っていることを告げる。
しかし、施設の人間はそこで驚くべきことを告げる。
エイドリアンはベロニカの実の弟であると。
そう、エイドリアンはベロニカの母親、セーラを妊娠させてしまったのだ。
そう仕向けたのは間違えなくトニーの手紙だった。
ベロニカの母親はいい女だと書いていたのだ。
セーラは亡くなり、なぜトニーにお金を遺贈しようとしたのだろうか?
エイドリアンを宿すきっかけが彼だったからだろうか?
トニーは娘の出産間際にこのことを告白する。
そして娘の出産に立ち会う。
いろんなことでマーガレットに感謝を告げる。
トニーが変わろうとしている。
家族の存在をやっと身近に感じたのかもしれない。
どの国でもこんな男性はいるのだろう。
自分の世界が大きく周りに対して頓着しなすぎるタイプ。
若い頃のベロニカが何があってトニーと付き合うところまでいかなかったのか?それは全然わからないのだけど。
いろんなものが混在している。
まず、娘スージーの出産がシングルマザーであること。
父親の存在がないから試験管ベイビーなのかもしれない。
妊婦教室にはレズビアンのカップルがいるという。
わざわざそれを組み込む必要性がわからない。
物語の大筋には何も関係のないことのように思う。
そして、彼女の母親との不倫の果の妊娠、そして自殺。
残された家族。
ベロニカの両親のその後はわからない。
セーラの死去で動き出した過去。
この映画を見終わって何が残るのだろう?
原作だともうちょっと違う内容のようだけど。
前に座っていた還暦過ぎのご夫婦がまぁおしゃべりで。
「この物語って結局何も知らないのだけど、最後はハッピーエンドじゃないわよね」などなど言ってましが、どっちに思えたのだろう?
新宿武蔵野館の映画は大衆性があるわけじゃないけど、いい作品がありそうだからまた行こうと思う。
1000円で行くけど、交通費考えたら、1800円以上になってるな。