【映画 羊の木】感想。タイトルの意味がわからないまま終わってしまった。

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羊の木とは

うーん?

「羊の木」というタイトルと映画の内容がどうつながるのかが一向につかめないまま終わった。

原作は漫画なんだ。

あまり詳しいことはわからない。

市役所職員の錦戸亮

いい意味で錦戸亮はアイドルっぽくない役者でいいなぁと思う。

関ジャニ∞自体を私自身があまり見てないから余計に感じるのだけど、ちょっと腰の低い役が似合う。

物語は富山のある市役所から。

市長の勅命で行われることになったというプロジェクト。

過疎化対策と仮出所者の受け入れを行うというもの。

錦戸亮演じる月末は事情を聞かされぬまま、6人の受け入れをすることになる。

水澤紳吾演じる福元。見るからに怪しい・・・新幹線で改札まで同行されている。

そのことを聞く月末だが、返事は要領を得ない。

月末は口癖のように「いいところですよ。人もいいし、魚もうまい」と言う。

福元は「魚・・・苦手で」

チーン。

彼は美容師の中村有志演じる理容室の雨森の元で働く。

次に着いたのが多分、市川実日子の栗本清美。最近の彼女はこういう影のある役や正義感あふれる化粧っけのない役が多い。

まぁすっぴんでいけてるところに驚く。

彼女も刑務官のような人に連れられて電車で訪れる。

優香演じる太田理江子は飛行機で。そこでパフェを食べ、着ているものがカビくさいとお土産売り場でTシャツを購入するが、優香、また胸が成長した?な感じになっていた。

その頃にはさすがに月末も気づく。彼らは何者なのか?と。

そこで一応、犯罪者であったことを聞かされる。

でも、それを知っても知らなくても変わらないでしょ。

知った方が対応が苦しくなるんじゃないのかと思ったけど。

まぁ田中泯さん演じる大野克美はまんま、刑務所に迎えに行ったわけで。

泯さんの迫力すごかった。

そして北村一輝演じる杉山勝志と松田龍平演じる宮腰一郎は出会いのシーンはなし。

6人が市民となった。

もう一つのミッションとして彼らを会わせるな

ということ。

小さい町。そんなことが出来るのか?と思うが、まぁ月末が介さなければわからない関係なんじゃないかと思っていた。

運命が動き出す。

月末の周りで。

月末は同じ頃、帰郷した同級生を市役所で見かけ声をかける。

そして「ギターはまだやってる?」と聞き、バンドの練習に誘い出す。

それぞれ仕事を始める。

栗本は清掃員として働くが要領を得ない。彼女は羊の木の缶の蓋を見つけそれを飾る。

そして2尾購入したアジ1尾を食べて1尾をなぜか埋める。

その後も死んだものを埋めていく。

太田は介護センターで働く。必要以上の色気を出して。

そこには偶然なのか月末の病気療養している父親がディサービスで歯磨きをしていた。その手伝いをする太田。

怪しい雰囲気を醸し出す。

杉山は釣船屋。

大野はクリーニング店。泯さんがかわいいエプロンを着てるのがすごい。

そして宮腰は宅配業者となった。

まぁ彼らの接点はないから大丈夫なんだろうと思っていた。

ある時、理容室で働く福元が月末に「自分の過去がバレた」と泣きつこうとしたところで店主の雨森が帰宅する。

何しに来た?と言う問いかけに「髭を剃ってもらおうと・・・」

ビビる福元に髭を剃られる月末。

怖いよぉ〜。

雨森は彼を咎めようとしているわけではなかった。

雨森自身が理容免許を刑務所で取っていた。そのため、福元のことをわかるということで、ここはいい感じになってきた。

太田はヤバイ感じになっている。

月末のお父さんがもう色気づいてしまった感じで、優香すごいな。

演技だとは言え、いくつ上?の人にあそこまでキスされてよく居られる。

最終的には「結婚したい」ってことまで言わせちゃうんだけどね。

すごい色気が年齢に追いついてきた感じか?

エロいおばさんになってました。

月末がバンドの練習をしているところに宮腰が通りかかり、見ててもいいかと言う。

そして宮腰は自分のギターを購入して練習を始める。

同級生の文がなぜか宮腰のギターの世話をし始め、いつしか二人は付き合い始める。

月末の後輩が事情を全部パソコンで盗み見をし、知った上で6人を地元の「のろろ祭り」のイベントに誘い出す。

馴染めている人、肌で静かにさせてしまう人。

福元は酒で失敗していたため、断酒していたが、雨森に勧められ飲んでしまう。

だから

アル中にアルコール勧めるなって。自制が効かなくなるんだから。

最終的には暴れだす福元。それを止めに行く大野。だけど、投げ飛ばされてしまう。

そこに杉本が写真を撮ろうとしている。

宮腰が身を挺して暴挙を止めることに成功する。

そして、のろろ祭りのクライマックスなのか?町内をのろろ様が練り歩くという。

それを見てはいけないという儀式。

本当にあるものなのか?

杉本は途中で帰る。

月末の家には太田が入り込み、襲いかかろうとする父をふりほどいて骨折させてしまう。

大雨が降り出し、祭りは中断される。

自分の父親が元殺人犯と付き合うという現実。

受け入れられない月末は「もう会わないでほしい」と告げる。

のろろ祭りが全国紙で写真入りで報道されてしまい、その写真を見て深水三章の目黒厚が宮腰を探しに来る。

深水さんの遺作になってしまったのだろうか。

目黒は宮腰が過剰防衛で殺したとされる被害者の親だった。

そして宮腰を探し出す目黒。敵討ちをしようとして結局は殺害されてしまう。

その現場を見ていた杉山。って、場所を教えたのは杉山だしね。

杉山は半グレだったのだろう、暇な日常を変えたいと宮腰を誘う。

杉山は宮腰に言う。「人を殺すことを何とも思っていない人種」だと。

感情を出さない宮腰。松田龍平もこんな役ばかりだけど・・・「散歩する宇宙人」とあまり変わらない感じ。その後は相棒になってたか。

結局は杉山も殺す宮腰。

宮腰が殺人犯であることを文に言ってしまう月末。

そんなことを言われてそれを黙っていてと言われ「だったら言うな!」正論です。

さすがに文の心も揺れる。

しかも月末はそれを謝る電話を宮腰にしている。

宮腰は文を試す。

一度心に出来た人に対する恐怖は拭えない。

翌日、文に電話する月末。月末の家で話そうと言うことになり、自宅に戻ると宮腰が来ている。

ギターの練習をしたいと。

教える月末。

「海を見たい」宮腰が月末に突然言い出す。

車には杉山のEOSがある。「これどうしたの?」と聞く月末に「買った」と返す宮腰。

もう怪しすぎでしょ。

そして、のろろ様の伝説のように二人で海に身を投げようと言い出す宮腰。

のろろ様の伝説では人身御供で二人で身投げしてもどちらかが助かるというものだった。

あの高さを二人は本当に身投げしたのかな?

最初に海から顔を出したのは宮腰だった。

文に絶望が見えた時、突然、のろろ様の顔が落ちて宮腰を沈める。

その後、月末が顔を上げる。

結局は人を殺すことをいとも思わない人種に対しては為す術がないってことなんだよね。

正義だけで勝てるようなものではない。

大野はクリーニング屋さんとうまくいっている。太田も決心がお互い固く、月末が「自分がとやかく言うことじゃなかった」と認める。

福元も雨森指導のもと、理容室で頑張っている。

栗本の埋めた何かから芽が出てきている。

それぞれが更生にむけてあるきだしている。

現在、どこかの年では本当にあるのかもしれない。

善人と悪人の境目は自分の意思なんだろう。

何もしなければ、法の中の平等であまんじていれば人は悪人にはならないはずだ。

その境界線を自ら破った人を人はどこまで許容できるのだろう?