プログラミング教育って?
テレビのニュースで2020年から小学校でプログラミングが必修化されるというのを聞いて入るけど、実際のところ、何をすることを「プログラミング」としているのだろう?
教える側は?
20年ほど前、多分公立の小中学校にパソコンが普及し、インターネットも徐々に普及していったのだと思う。
その頃、それをしたのは教員だったようだ。
内部でその専門の委員会のようなものを立ち上げて学校内にパソコンを配置し、インターネット回線を巡らせていたという議事録がネットにあったのを見た。
教師も大変だなぁ〜って思って見ていた。
そして今度は4年という期間で「プログラミング」を必須化するという。
それは現在の英語教育のように外部から招聘するわけでは・・・ないのかな?
まぁ今は教育用のプログラミングソフトが多彩だからと思ったら、未経験の教師が研修を受けて教えるということらしい。
うーん、これじゃあ私の頃の「英語」と変わらないな。
この施策は何を目的としているのだろう?
私の頃の「英語」の授業は中学からだったし、中高6年していたはずなのに、今は何も使えない。
それを言ったら、数学が使えているのかと言われたら、全部が使えているとは思えないけど、それでも考え方は残っている。
国語も理科もちょっと残ってると思う。
が!!!!
英語は、まるで「出来ない」と位置づけてしまっている。
先日も「英語のスキルはどの辺ですか?」って質問されて「使えないに等しいです」としか返せなかったくらい。
同級生で英語を得意とした子がいる。
彼らはどうして同じ教育で「得意」となったのだろう?と不思議でしょうがないのだが、まぁ学校だけじゃなくてそこには「塾」というものがあったのだと言うことで。
2020年を過ぎたらそんなプログラミング専門の「塾」ができるのだろうか?
今もあるけどね。
それでも子供に教えるのってどうするんだろう?って思う。
大人になってすごいエンジニアの人ってかなり同じような経験をしている。
まず、小学校時代に興味を持っている。
親からお古をもらった人も居れば、もっとすごいのはデパートのパソコンを触って覚えたと。
これがすごい。
1982年くらいだろう。
まだパーソナルコンピューターなるものに記憶装置はついてなかったらしい。
デパートの書店コーナーにあったパソコンの本を読み、それを記憶してパソコンコーナーで試すを繰り返していたらしい。
小学校3,4年生くらいで学校も行かずに毎日そんなことをしていたらしい。
あとは電子工作をすることで理屈に慣れる。
大人になってからするプログラミングだと理屈がなく、平べったい感じになっている自分をつくづく感じる。
まだエンジニアも少なかったから未経験でも採用があり、経験として積み上げられてきているけど、厚みがないなぁって思ってる。
小学生から自主的にしている人間は原理を理解しているから言語の違いを感じないらしい。
書き方の差だけだと。
私もそれは思うのだけど。
さて、小学校から強制的にさせたところでどうなっていくのだろう?
今の20代の子たちはExcel、Wordはやってきているのだと思っていたら、出来ない子も多かった。
使えるレベルではなかったってことなんだけど、まぁそれでも0よりはいいのか?
プログラミングに馴染みのない人が教える「プログラミング」って教えるのではなくて、生徒に出来ることだけ提示して勝手にさせるのを見ているだけの方がいいんじゃないかって思う。
それが一番求めるものなんじゃないかと。
This is a pen.
を誰も教わって得してないってことだな。
指導しようなんてしたらすごく狭い意味しか伝えられないんじゃないかって。
あと2年で授業が始まり、それに成績がつく。
成績をつけることもおかしいと思う。
成績は将来その子自身が必要となったときにわかることであって、記憶力が良かったり、要領の良さだけで出来たつもりになる教育は10年後に成果なしになりかねない。
プログラミングが大学受験の科目になるわけではない。
そうすると、ますます意義がわからないものになりかねない気がしなくもない。
今の大人がプログラミングが必要となる社会を作りつつあることへの懸念なんだろうけど。
英語の授業だって当時は英語の喋れないけど、「英語」の教員資格を持って教えていたわけで。喋れないって言うのは、外人さんと会話が出来ないね。
教科書を読むことが出来るだけではそれは「使える」ではないでしょ。
使えなきゃその時間が無駄だったってことで。
英語は暗記記憶だと思ってたわ。でも、大人になってからもお金をいくら費やしても話せない書けない読めない。
同じことにならなきゃいいけどなぁ〜。
プログラミング授業、貧富格差が出るんじゃないかってことはないのかしら。
いずれにしても親は大変だ。
教師も。