【映画 泣くな赤鬼】感想。部活動のあるべき姿とは?

高校野球は誰の「夢?」

この映画の主演は堤真一だ。メディアに出ているのが柳楽優弥だったから、柳楽優弥が主演だと思ってしまった。

予告を見ていて主題歌の「おーい! おーい!!」がとても印象的だった。

おーい!おーい!!

おーい!おーい!!

  • 竹原ピストル
  • J-Pop
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「先生」と「生徒」

最初に予告を見ていたときには観に行く作品になるとは思ってなかった。

たまたまロケ地が自分が育った辺りってことで興味が深まった。

そして、堤真一、柳楽優弥、川栄李奈、間違えようがない。

ってことで、「バースデー休暇」って言うものがあるってことなので早速いただき、公開初日の最初の時間で観てきた。

堤真一が高校野球部監督の小渕先生という役。あだ名が「赤鬼」

私が居た頃には多分ない群馬県立心臓血管センターという病院の待合室のシーンで柳楽優弥演じる斎藤智之と小渕先生は再会をする。

10年ぶりの再会でも生徒は先生を覚えており、先生が自分を覚えていてくれているのは嬉しいものだ。

智之が前の椅子に座った小渕先生に声を掛ける。

「せんせい」

「せんせい」

「あかおにせんせい」

やっと反応する赤鬼先生。まぁ病院で「先生」と言われても自分のことだと思わないよね。

「俺、誰だかわかる?」

「ゴルゴだろ?」と返す。それを本当に嬉しそうに反応する智之。

その最初の笑顔の真意が高校時代のシーンを観ることで納得する。

甲子園を目指していた野球部に入部した智之は入部の挨拶で先輩から「ゴルゴ」とあだ名をつけられる。

目立ちがり屋ではあるが、野球のセンスのある智之をどうにか伸ばしたいと思う赤鬼先生ではあるが、その思いは伝わらない。

奮起させるためにと同じ中学から来た和田という外野の選手を同じサードにする。

和田は努力の人だった。

智之は努力をすることがどういうことなのかが理解出来ない。

レギュラーを外されるとわかった瞬間に帰ってしまう。

練習に来なくなる。

それでも背番号15を渡そうとする赤鬼先生。

そんな高校時代と現在を交錯しながら物語がすすむ。

現在の小渕先生は甲子園とはほど遠い進学校に赴任していた。

そのため、野球部の練習に顔を出すものの生徒の練習には無関心だ。

生徒は「小渕先生が居るから野球部に入部したのだから、練習をつけて欲しい」と言うが、前のような練習をできるわけがないと聞き入れようとしない。

ゴルゴも居た、城南工業高校。まぁ使っている球場が高崎城南球場だわねってことで群馬感ありありの設定。

ゴルゴは1年生ながらセンスを感じさせていた。

それでも、サインを無視した打撃をするなどチームとしての機能を無視した行動がありそれを咎めると反抗的な対応をする。

そんな生徒という認識だったのだろう。

学校に智之の妻の川栄李奈演じる雪乃が助けを求めに来る。

「智くんが死んじゃう」と。

病院で会った彼は末期がんを告知されていた。

突然、会いに来て欲しいと言われて戸惑う赤鬼先生。

それでも病院へ行く。

そこにはまだ元気が残っている智之の姿が。

先生は弱気になっている智之に「がんばれ」という。

智之は「がんばれって言われてもどうがんばっていいのかわからない」と言う。

智之はそんな生徒だった。

努力する和田は練習に来ないまま、あまり良くない集団と遊んでいる智之に「だったら辞めろ」と言う。そこに妬みから出た「赤鬼先生もそう思ってる」という言葉も言ってしまう。

智之には先生の真意は伝わっておらず、先生のところに顔を出した智之に15番のゼッケンを渡そうとするが、智之の手には「退部届」が。

「努力は報われる」そんな赤鬼先生の言葉に「そんなことはない。」と真っ向反発する。

「みんな努力をしているが全員がレギュラーになれるわけじゃない。それを決めているのは先生だ」と。

そんな生徒だったゴルゴが大人になっていた。

赤鬼先生は自分は何か間違えっていたのかもしれないと気づく。

そしてゴルゴのために何ができるかを考える。

ゴルゴは和田に会いたいと言うことで和田の職場を尋ねる。

竜星涼演じる和田は「僕たちは先生の夢のコマに過ぎなかった」と言う。そして「まだゴルゴ贔屓なんですね」と。

そう、「和田に会いたい」と言われても10年前の「和田」という生徒が思い出せない。

普通そんなものなんだろう。

それでも、ゴルゴにはお互いの思いが通じないながらも何かを感じていたのだろう。

ゴルゴは野球部を辞めたが、赤鬼先生が担任だった。

うわぁ〜嫌だね。それって。

自分の高校時代、全国出場が中途半端に近い場所だった。だから誰の夢だったのか、先生の夢のためだったのか、必死に練習をした。

それでも赤鬼先生との違いは弱さもきちんと認めてくれる先生だったことかもしれない。

それでも担任だったら嫌だったな。同じ学年の先生ってことだけで嫌だったもん。

センバツに出場できるかもしれないという中、落選。自分たちがきっぷをつかもうと練習に励んでる中、ゴルゴが補導されたと保護に行くことに。

ゴルゴは「部活の先生」と言ったらしいが、赤鬼先生は「担任です」と。

担任としての責務がない。迷惑をかける生徒としか見られていない。

そう感じ取ったゴルゴは学校も辞めると言い出すが、それに対しても「高校まで辞めて社会に出てどうにかなると思ってるのか」と正論しか言わない。

赤鬼先生という人は基本的には自分の夢のためだけの人で、この人自体の大きさもないわけで。

それは娘にも指摘されている感じで。

そんな関係性ではあったが、ゴルゴの死を目前に自分の足りなかったことにやっと気づくことができる。

ゴルゴが最後のお願いとして「野球がしたい」という。

元教え子の願いを叶えてあげたいと違う高校ではあるが、現在の生徒に頭を下げる。

「なんで?自分たちの先輩でもないのに」という思いもあっただろうなぁって。

退院してグランドへ。

キャッチボールをするが、元々野球してない人だろうな柳楽優弥ってくらい、病人だからって感じの投げ方で・・・まぁやったことがない感がありありだったりして。

そしてサードへ。

自分たちにはノックをしてもらったことがないのにと思わなかったかな。。。

赤鬼。病人だろうとお構いなく取れそうもないところへ打つ。

やっと飛び込んでキャッチするが、立ち上がれない。

そこに「ファースト」っと叫ぶ声が。そこには和田がスーツ姿で立っていた。

で、なぜか「サードのポジションはやっぱりお前だ」とグローブを和田に渡す智之。。。

そしてスーツのままノックを受ける和田。

意味がわからない状況です。

でもね、智之がノックを受ける前に生徒に向かって「なんで今さらって思うよね。高校時代に終わらせておけよって」って語りかけるんだけど、それってそうなんだよね。

その時代その時代にやれることは終わらせておかないと後悔が残るんだよね。

学生時代には学生時代にしか出来ないことをしっかりとやって終わらせておくべき。

20代になっても30代になってもできるなんてことはない。

学生時代は学生時代にしかないのだから。

和田と話をして和田が「辞めたの理由は俺?」と聞くと「そんなことはない」と否定する。

そして和田は「赤鬼はまだゴルゴ贔屓だ」と言う。

「俺はもっと叱られたかった」と。

叱られ方のわからない子供と叱り方とフォローを知らない大人ってことだな。

智之は「褒められたことがない」と叱られていることしか記憶になかったことがやっぱり続けられなかった原因だろうって思ってしまう。

かまってちゃん的な目立ちがり屋だけど、それを構う人じゃなかったんだよね。

雪乃の電話で自宅へ駆けつける赤鬼。

そしてそこでやっとゴルゴがずっと見ていてくれたことに気づく。

そして赤鬼先生も変わる。

看病をしている雪乃を気遣い、闘病しているゴルゴを褒める。

さすがにね、泣くよね。

これ、来年の日本アカデミー賞にノミネートされてなかったら日本人って・・・って思うわ。私。

赤鬼は変わる。

いつものようにグランドへ行くと生徒から「今日のメニューは?」と聞かれ「いつもと同じ」と言うが、自らノックを行う。

そして声を掛ける。

良いプレーにはきちんと褒める。

そして生徒は笑顔になり、モチベーションがあがる。

昔と今は違うとは思わない。

昔の指導は体罰が普通だった。それでも私は先生を恨むことはない。

そして先生は70近くになっても脳梗塞で入院していても「先生、私誰?」と言えば、「メガネ、メガネ」と眼鏡をかければ「○○」と言ってくれる。

この関係が私を支えていたのだと思う。

私の先生は晩年は体罰で新聞ネタにもなってしまった。

そこには指導者の甘えもあるのだと思うのだけど、弱さも認めなければ追い込むだけなんだろうな。

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