男性目線の妊活
妊娠するのは望まれない場合にはご懐妊し、恵まれない子が誕生する。
望んだ場合に望んでいるのになかなか授かれない。
いずれにしても大変なこと。
それでも女性の負担は大きい
ヒキタクニオさんといういろんな肩書を持った作家さんの実話。
49歳。
男性は何歳になっても女性次第なのかと思っていたが、そんなことはないことを実は初めて知った。
だって、よく還暦になってすごい年下の奥さんをもらってってことがあるから。
それはそれで奇跡で当たり前のことではない。
そして、命を授かるということは誰にとっても本来は奇跡である。
年の差婚。
子供は要らないと言っていても女性が突然「赤ちゃんが欲しい」と言ってきたら。
男性は妊娠することを簡単に考えすぎているように思う。
日本の性教育の未熟さなのだろう。
私の時代は小学校の高学年になると女子だけがスライドで「生理」についての授業があり、男子は多分、外で体育か遊びだった。
学校教育でさえそんな感じで、どのくらいの家庭で男の子に「性教育」をするだろうか?
そんな未成熟な社会が現代の「少子化」の根源であり、そして低年齢の妊娠になっているのだと思う。
この映画はそんなことを言っているわけではない。
ただ、アラフィフ男性が一回り以上年の離れた妻に「あなたの子供に会いたい」と言われたことで始まる妊活だ。
小説家だったから自分を題材に小説にした。
なかなか表に出ない妊活事情。
女性が毎朝、基礎体温をグラフにしてそのグラフで受精をすれば生まれる。。。
なんてことはどのくらいの確率で成功しているのだろう?
自然にというのは、無計画にということになるのだろうが、まぁ結婚していればそんな感じなのかもしれない。
ヒキタクニオ役の松重豊さんと妻サチ役の北川景子さん。
まぁ北川景子さんが健気なのよ。
「妊娠したい」と思えば、妊娠できると世の中の多くが思っていると思う。
ヒキタさんが特別じゃないと思う。
妊娠するということに対して無知なのだ。
1年、女性は動き出す。何かあるのじゃないかと産婦人科を受診する。
そして女性側に問題がないと言われて、男性を一人で産婦人科へ行かせる。
それは・・・かなり酷な感じがする。
産婦人科という場所は生と死が同居し、幸せと不幸が紙一重である場所だと感じてしまう。
やはり女性が多い場所で男性には居心地がいい場所ではないだろう。まぁ私だって居心地のいい場所だとは思ったことはないが。
女性の検診もかなり嫌だが、男性の検診は大変だなと思う。
精子がそんな排尿のように出てくるような仕組みじゃないだろ?と思ってしまうのだが。
ヒキタさんも最初はかなり軽く考えて自宅で採取し、受付での対応にイラつく。
私もあんな対応されたら嫌だなって感じだが、病院側にしてみたら大勢のうちの一人なんだろう。
だから一人ひとりが思っている気持ちなんて気にしてたらきっと仕事にならないとは思うのだけどね。
出された結果は精子が20%しか動いていないという事実。
アラフィフということで精子も老化する。
女性はアラフォーで厳しい現実があることを考えたら、男性だって同様だろう。
人工授精をするということに対しても無知な男性はまず文句を言う。
「子供が欲しい」と言われ精子を注入すればあとは女性の仕事と本能がなっているのだろうな。きっと。
人工授精=試験管Baby
と思う思考回路はどこから来ているのだろう?
医師から説明を受けて人工授精をすることになるが、自分の問題だという意識がまだまだ低い。
「どうしたら精子が活性するのか?」
そう考えるまでにはまだまだ時間がかかる。
ジムに通っているから健康体
その考えも意味がわからない。筋力年齢は年よりも若いかもしれないが、経年劣化はあるのだろう。
それでも安易に考えていたことに気づき始めると、生活を改める。
検索をしていいと言われるものを試す。
きっと多くの人が神にもすがる思いでいろんなことを試していて、最後に試したもので懐妊したと思って、眉唾な噂が蔓延しているのだろう。
ヒキタさんの努力で精子の活動が70%までになる。
その結果、ご懐妊する。
そこがスタート地点なのに、男性は自分の役割が終わったような行動になる。
が、ご懐妊しても次は安定期になるまでが奇跡なのだ。
うまく、細胞分裂が行われて人が成形されていくなんてほんと奇跡だと思う。
この映画観てて、私達が今生きていることはすごい奇跡の積み重ねなんだと思ったわ。
最初の懐妊は結局は心臓が成形されずに終わる。
サチはヒキタさんの前ではいつもと同じように振る舞う。
それを見たヒキタさんは編集の松浦役の濱田岳に「女性は強いな」と言うが、そんなことはない。
自分のお腹に感じた命がなくなってしまうのだ。
男性以上に傷ついている。それを感じない男性では厳しい。
サチの頑固な父親が伊東四朗さん。
サチの父親はサチの結婚相手がヒキタさんであったことが許せない。だから、自然に授からないのなら無理するなと言う。
子供の気持ちも考えずにと思ってしまうが、それは違う。
娘を思うがあまりやはり女性の身体に多大な負担をかける人工授精というものをするということに賛成することが出来ないのだ。
そして反対されても父親に報告をするサチ。
サチもファザコンなんだろう。だからヒキタさんと結婚したのだと思う。
年の差婚の女性はファザコンなんだろうなって思うんだよね。
不妊治療の精神的な負担もきっと担当医はケアしながら一緒に頑張るんだろうなって。
桑島医師役の山中崇さんが・・・医師としての線引とケアとをしている感じを受けた。
事実は事実として伝えなければいけないし、男性は自分の精子の老化が原因だと言われて最初から受け止められる人ってどのくらいいるだろう?
そして「顕微授精」をすすめる。
1回40万。
命の値段なのか?
高いと言うヒキタさん。
男性にお願い。女性の前でお金の話をしないで欲しい。
女性はどうしていいのかわからなくなる。
だったらしなきゃいい。そう夫婦で話し合えばいい。
結局、また父親が出てくる。が、父親は妊活をみっともないと言ってしまう。
言いたい言葉は違うのだろうが、言葉が見つからない。
小さい頃から世間体でしつけてきた親なのだろう。世間体を言えば、思いとどまると思っている親なんだなって。
サチがやっと父親に反論する。
そして顕微授精を行うが、1回目は失敗する。
妊娠をしたいと願う夫婦がきっと大勢いる。
お互いをいたわりながら妊娠することを目標として絆が深まるのか?
お互いの人間性が暴露されてお互いに成長しないと破綻するんだろうなって思うんだが。
父親が「いやだけど」と言いながらも預金通帳を置いていく。
アラフィフとは言え、そうそう40万ものお金を出していくのは現実として厳しいよね。
そして2回目の顕微授精でやっとご懐妊。
安定期までが描かれて映画は終わり。
この後がどうなったんだ?と思ってしまうが、きっと奇跡が続いていることで小説が執筆になったのだと考える。
人が生きているということは本当に奇跡なんだって。
「少子化対策」をもっとリアルな現実として国は対応すべき。
大人がもっと真剣に性教育を捉えて国として正常な性社会を構築すべき。
こういうことをしないから男性の性異常者が増えていくのではないだろうか?
まぁその大人が性異常だったりするのだろうからな。
だから平気で自分の娘のような女性を買ったりもできるのではないかと思うわけだ。