死にたい願望
すごいリアルな夢を見た。
起きた時、ちょっとホッとした。
それでも、「飛ばし屋」がいる世界に行ってみたいと思っている自分がいる。
自殺できるのは人間だけなのか?
自然界に生きていて、「自殺」する動物は他にいるのだろうか?
「自殺」する前に生きることに必死できっと寿命を全うする生物はどのくらい居るのだろう?
私は別に自殺願望があるわけではない。
ただ、親と同じ年齢まで生きられればいいのではないかと思っている。
母親が死んだ年齢を超えた時、「自分はいつ死ねるのだ?」と思った。
父親が死んだ年齢まであと数年。死にたい願望はあるが、一般的に見たら、すこぶる健康人間な自分は死ねるのか?
そんな気持ちが見せた「夢」なのだろう。
リアルすぎる夢だった。
夢の中では人間は自分の余命を知ることが出来、その期間が近づいたら、自分のタイミングで「飛ばし屋」という職業の人によって魂を飛ばしてもらえる。
私にも通知が来た。
「飛ばし屋」に行ける資格を得られたと言う。
私は、そのまま「飛ばし屋」のところへ行き、飛ばされる準備に入る。
最後に、歯磨きをしてもらえるのだが、それは意識がある自分は自分ですることを選択する。
歯磨きをしながらやっとやり残しを思いだす。
「エンディングノート」的なものを残してなかった自分は、わずかながらのお金の在り処などを記す。
そして、まだ生きている犬・猫のことを思った時、「あ、今はまだダメだ」と思う。
犬・猫に対しての責任はやっぱり彼らより生きることだと思っている。
犬・猫は私が居ることが前提で私の家で生活をしてくれていて、それは最低限の約束だ。
それはしなきゃいけないと思った。
そして私は飛ばし屋さんに言う。
「まだ飛ばされるわけにはいかないようなんです」
そこで目が覚めた。
自分の意思で魂のやり取りが出来る世の中は、AIが発達しようと何があろうとなることはないのだろう。
安楽死
が認められている国はあるとしてもそれは、不治の病とか寝たきりとか人間の尊厳に対してだから、「飛ばし屋」の意味とちょっと違うのだろう。
この夢を見たきっかけはあれだな。小田急ロマンスカーに飛び込んだ男性がベンチに座っていた中学生のところまで跳ね飛ばされて軽症を負わせたというニュースを見たからだろうな。
だって、見た目の傷は「軽症」であったとしても人間が吹っ飛んで来るのって恐怖じゃないか?
しかも自殺をしようとした人がだよ。
電車で自殺ってかなり無惨な感じになることが多いようだが、それよりはと他人は思うが、その場に出くわした人間にとって、今後、どう生きられるのだろう?
PTSDの治療でほんと記憶の消去くらいしてあげて欲しい。
そう、そんなことを思って寝た。それがこんな夢になったのだろう。
世の中が嫌だとか、生きづらさとかを感じているわけではないのだけど、元気なまま終わりたいのだ。
誰かの世話になる自分が嫌なのだ。
結婚はした。
それでも子供はまるで考えられず、だからと言って配偶者に世話になる自分も想定していない。
犬・猫生活の実現をしてくれた配偶者に感謝はあるが、それ以上のことは期待していない。
市役所で国民健康保険への切り替えで市役所の人が「旦那さんの支払いでいいですよ。数千円増えるくらいで、結構な収入のようですし」と言っていた。
夫がどれだけ収入があるかなんて知る由も、興味もない。
私が仕事をしているのは60を過ぎたときの自分が想像出来なかったから。
今の収入をどれだけ貯蓄し、増やすかが重要だが、それをしてないように見えたし感じたから、これは当てにしてはいけないなと。
他人を当てにしたところで、幸せだとは限らない。
ということで、ほんと仕事ができなくなったら「飛ばし屋」に魂を飛ばしてもらえるって言うのが一番いいなぁと思っているのだけど。
仕事ができなくなったらの定義がいくつなんだろう?
お世話になった方は75歳まで働いていた。自営でもされていたが、それだけでは生活を出来ないのか、工場で時給1000円で朝早くから働いていた。
そして、孫にお小遣いをあげるのだと。
それって・・・幸せなの?と思ってしまうのだが、人それぞれなのだろう。
私にはそんな孫のことを気遣うことはないしなぁ〜。
他人といつまで関わらなければいけないのか。
もう終わりでもいいかなと思うのだけど。仕事はしてるけど、そろそろ生きていることに飽きてきた気もするなと。