【映画 リチャード・ジュエル】感想。報道は日本と変わらないほどクズ

実写化が増えてる?

アメリカの映画って実写かアメコミか、SFか、撃ち合いかって感じになってきているような・・・

私が観るのが実写化ってことか?

私は差別するタイプだと思うわ。

だから、読まれる人にとっては嫌な気分になるかもしれない。

私がこの映画を観て嫌な思いをしたことを書いちゃうから。

英雄から容疑者

まぁ眠気に襲われて最初の5分、多分観てない。

実はそこにその後の要素が隠れていたりしたのだけど。

どうにか補填。

リチャード・ジュエルは私が一番苦手とするタイプの人間だ。

自分のコントロールが出来ないくせに、願望・要望だけが大きく、そして空気を読む能力が人とずれている。

低いわけではないが、ずれていると言うことだと思う。

私も「普通」とか「当たり前」という言葉は嫌いではあるが、それでも「普通しないだろう」や「こんなことは当たり前」ということは持っている。

それがずれていることに自分の中の正義感で感じようとしない。

その積み重ねが悲劇へと繋がっていると思う。

悪い人ではない。

それでも、嫌疑をかけられる。

将来、何がどう自分に降りかかるかわからないが、やっぱり出る杭は打たれてしまう運命だから出ないで居ることが重要だと感じさせられる。

どの世界でも病的な太り方の人間を下卑するものだなと。

私も実はそう思ってしまう。

本当に病気で太っている人と自分で病的に太る人では天と地ほどの違いがある。

ジャンクフードの食べすぎに注意される。

そのことでも自分の体を自分の弱さで攻撃している愚かさが見える。

そう、病的に太る人は努力が見えにくい。努力を外にアピールする力が低く見える。だからその鬱憤を自分に晴らす。

その行為がほんと意味不明で私も嫌悪してしまうのだ。

このリチャードという人も悪い人ではない。

自分の教えてもらったことを教えてもらった通りに遂行する。マニュアル人間なんだろう。

そして、そのマニュアル的行動で爆弾を発見し、多くの人を避難させようとして英雄になった。

それでも自分の言葉をきちんと知らない人間は、その場の状況を理路整然に説明出来ない。

FBIに過去の職場の人間からタレコミをされる。

英雄にしたくないと思われるような仕事になってしまっていることも残念だ。

かなり思いが周囲とずれていることが丁寧に描かれている。

FBIに家宅捜索をされても、弁護士に「黙っている」と釘を刺されても、「手伝いたい」という気持ちが先行し、ペラペラと喋りだす。

母親にもいらない心配をかけているのに、皮肉を言いたい母親にFBI側の正論を言い出す。

自分のことだという認識が弱すぎる。

そして、馬鹿にされていることに慣れすぎて周囲へアピールする力が乏しすぎる。

それは母親との密着もひとつの要因ではないか?

この事件当時、ジュエルは34歳くらいか?

34歳の男性と母親の関係としてはちょっと子離れ、親離れが出来ていない親子だろう。

最終的には人間的に大きい弁護士がジュエルという人間の本質をきちんと理解し味方になったことで、容疑者にならずに済んだのだろう。

もし、彼を見た目だけで判断する弁護士ならこんな映画になることもなく、容疑者として逮捕されていたのだろう。

真犯人は、何の目的で爆弾を置いて通報をしたのかがわからない。

そして、ジュエルは警官になったの?

でも、自己調整能力はないまま、その10年後には糖尿病に起因する心臓発作で死去って。

その当時も映画の中でも心臓を抑えるシーンがあった。その頃から病気はあったのだろうが、病院へ行っていたのか?って感じ。

まぁ真実としては、FBIの捜査情報を確定前に自分のためだけに体を売って情報を得て、ジュエルを容疑者とまつりあげた記者。

日本も同じことがあるんだろうなぁってことしかないけど。

それでも、自分の目で足で調べることなく報道することの怖さが見えてないのだろうな。

って、ことでうーん。後味も何もいいものはない。