させてあげること

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分担するということ

してくれないという認識

結婚する前は「結婚したら家事を分担しよう」そんなことを言われて人は多いのではないでしょうか?

昭和の男でさえ、言いましたよ。

はい。

でも、数年するとそれは誰が言った夢物語的な。喧嘩のネタになってたりしますよね。

現実には、なぜか家事は女がすることになってたりします。

手伝ってもくれない。

そんな認識になります。

分担ですよね?

そもそも、「分担」であれば、「手伝う」ではなく、その部分はすべきことのはずなんですよね。言葉を杓子定規で捉えれば。

でも、いつからか、分担する範囲がどんどん妻側に広がっていっていく。

なぜか?

待てないから。

私は待てなかったから、やってしまったことが問題だったかなと猛省してます。

家事の大部分を私がしていて、分担と言っても半分をするわけでなし、子供の手伝いに毛が生えた程度なわけで すよね。

待てど暮らせどやる気がみえなかったら、ついでだからとそれをしてしまうわけで。そうすると相手とすれば、「ラッキー、自分しなくてすんだわ」となり、以後しなくなります。

喧嘩の時にそのことを言うと決まって言われることは「しようと思ったのに」

ズルくないですか?

しないくせに言い訳はする。

そのうち、任せると言うことにも忍耐がいるし、自分の思うレベルでないことで「した」というのであれば、自分のやりたいようにやろう。

これで、なにもしない夫の出来上がりです。

それを責めるのは筋違い。こちら側の忍耐不足で作ってしまったのですから。

何もしないこと

何もさせないと文句を言われる筋合いもないので、こちらも楽が出来るようになります。

何もしないのに、こちらのしないことを言われる筋合いもないので。

そうすると、家庭という図式ではなくなります。共同生活者です。

それでも、最低限夫が仕事を自由に出来るようにしてあげてるわけで、私がいなかったら、仕事オンリーの生活なんて無理でしょ?

しかもペットつき。ペットについてはやはり共同責任だと思うから、世話をしないのであれば、その分をきちんと支払う義務があると思ってる。

させてあげること

犬猫の世話は私がする。

結局そうなっていた。自分本位な時間の夫に任せることはかなり厳しい。私は母性なのか?やっぱり決まった時間にご飯をあげようとする。

散歩にも行く。

犬猫もバカじゃないから、私に要求する。

それを当たり前と思われてやってきた。が、当たり前のことなどない。

夫の無責任な行動で糖尿病になってしまった犬。朝晩に注射をしなければならないというのは、犬もだけだ、私にもかなり負担が増えた。忘れられないことなわけで、必ず帰らなければならないわけで

そういうことを「君がするのが当たり前」ということに仕向けてしまったのは私にも責任があった。

家庭における夫は何も出来ない入ったばかりのアルバイトだと思うべき

何かで読んで納得した。家事というカテゴリーを私が私のやりたいように作り上げてしまっている。

まな板ひとつ取っても「なんで、元のように戻せない?」と思う。きっと夫が何かをするにしても私のルールに従ってもらわないと「助かった」「ありがとう」と思うことにはならない。

でも、夫は家事について、私のルールについて知るよしもない。

「なんで、わかってくれないの?」はエゴだ。

それに気付いた。

そこで私は12月の初旬に夫にメールをした。

「12月30日から1月2日まで犬猫のお世話の一切をして下さい」と。お願いではなく、することとして連絡した。

返信がくることなく、私は夫を信じることにした。

そう、私に必要なのは夫を信じること

私は旅に出た。

信じたと言っても犬猫時間で行動しない夫に苛立ちを生じることも予測出来たから。

子供がいなくてほんとに良かったと思う。犬猫にさえ自分を貫く人に子供に合わせられるようになるとは考えられないから。

そして、年末年始が無事終わり、仕事が始まり、また何もしない生活。

そこで私は

「毎週日曜日の犬猫のお世話一切をしてください」

とメール。

先週はちゃんと起きてお散歩に行き、餌をあげてくれていたが、今日は待てど暮らせど起きない。

犬は私に要求してくる。

もう犬が可哀想になってしまったが、犬を部屋から出して夫を起こすように仕向けたが、何もしないで私の部屋が開くのを待っている。

心が痛む。

さすがに限界と思ったときに動き始めた。良かった。

させてあげることはこっちの忍耐力も必要。子供に何かをさせるのと大差ないわ。辛抱強く待たなきゃらしい。

自分の物差しと相手の物差しの長さは違う。

この言葉を噛み締めます。