素晴らしきかな、人生(2017)
ネタバレ必至です。ご注意下さい。
きっと誰にでも起こりうることなのかもしれない。 ある日突然、自分の最愛のものが奪われたら? それまで自分が信頼していたものに祈りを捧げたけど叶わなかったら?
自分に重ね合わせて観てしまうそんな映画でした。
テレビCMは変えたほうがいいって
残念なことに『素晴らしきかな人生』のテレビCMが全然観たいと思わせない。
だから初日の最初の上映なのにガラガラ。あり得ないって。こんなにいい作品なのになんで?って思っちゃう。
テレビCMが
「すべてがうまくいく人生なんて」
「ありえない」
「誰にでも訪れる人生の試練」
「プラダを着た悪魔の監督が人生の乗り越え方教えます」
「素晴らしきかな人生」
って・・・。
観終わってもこれはちょっと違うと思うんだよね。伝え方が。
しかも声優さんがプロアクティブの「GO!GO!GO!」の人?声が同じような気がするんだけど。
イメージがプロアクティブなんだけど。ほんと残念でならないわ。
人生の試練。
それは主人公ウィル・スミス演じるハワードは本来敏腕広告マン。会社はほとんどハワードで持っていた。
でも、ハワードは娘を病気で亡くしてしまう。そこから彼の生活が変わってしまった。
奥さんと離婚し、自分に引きこもり、会社ではドミノ倒しの日々。会社は彼で持ってたわけだから傾いていく。
ハワードの苦しみは敏腕広告マンの時に信じていた「愛」「時間」「死」を信じられなくなったことで余計苦しくなっているものになってます。
敏腕広告マンの時のセリフもとても心に響きます。
日本語訳で小説にならないかしら?
ハワードは「愛」「時間」「死」に対しての思いを手紙に託します。誰に届けるでもない思い、自分がどんなに「愛」を尊重していたのか、「時間」が傷を癒やすのか?「死」はなぜ自分ではなく娘を奪ったのかと。
彼は自分が信じていたそれらに対して多大なる不満を抱いているわけでした。
見るに見かねた同僚が思案します。このままでは彼も不幸ですが、自分たちの会社も立ち行かなくなると。そこで「愛」「時間」「死」を演じてもらって彼の直接の思いを知ることになるのです。
そこにもそれぞれの言葉に「愛」があります。
あぁ〜覚えておけなかった〜。すごいいいセリフがたくさんなの。
字幕だけど、英語ではなんて言ってるんだろう?とかもね。単語くらいは聞き取れるじゃない?でも字幕はあの短いところに表現しなきゃだから、翻訳者のセンスになるわけで。
「人生のオマケがある」
これが本当はどう言ってたんだろう?英語で「オマケ」はどう表現してたんだろう?って。
子供を亡くす。
父親が居て、母親が居る。
でも、その後の立ち直り方は千差万別なんだってことを感じる。女性の方が強いのか?それでも、女性はお腹を痛めて分身のような感じなわけでしょ?
病気になって一番近くに居るのも母親で、自分を責めてしまう母親も多いと聞く。
アメリカでもそういう思いは一緒なんだって言うのが率直な感想。
男性は自分がお腹を痛めていいるわけではないけど、ホイットが男性の気持ちを代弁していたと思う。
「愛」のエイミーに「子供と仲直りして」「子供が生まれた時どう思った?」と聞かれたとき、彼は正直に「怖かった」と。
母親はお腹の中で育つことを日々感じることで「母親」になると良く聞く。
父親はそうは言っても見ているだけで「父親」になれるわけではない。生まれた瞬間はきっと異物なんだろね。でも「抱っこ」した瞬間に「存在が愛になった」って。重いねぇ〜。きっと世の多くの男性がこうなんだろうなって思った。
一番思ったのが自分の今一番思っている人間のこと。気持ちは宇宙人だけどね。
なぜか、好きになってはいけない相手と思って入るけど、思ってしまうから困ってるってこと。
そう、彼には子供がいる。彼がホイットに重なり、ハワードに重なる。
彼から娘が居なくなったら、彼はどうなってしまうのだろう?
彼から娘を奪ってもいけないし、娘から彼を奪ってもいけないと思う。それでも感情は難しい。彼もホイットと同じようなことを言っていたんだ。
「生まれた時から無償の愛でぶつかってくるんだ」と。
そんなものなんでしょうね。
私は子供を産んでないし、育ててもいない。でも、そんな感情がきちんとある彼だから思うのかもしれない。妻に対しての気持ちも戻るべきじゃないかと映画を観ながら思ったけど、こればかりは男と女のことだからわかりかねるし。
「死」のブリジットは大女優って雰囲気ですが、全然イヤミがなく言葉がすんなりと入ってきます。特に周囲への気遣いでサイモンの状況をすぐに見破ります。
そこで彼女はサイモンへも注文を出します。それは難しい問題。きっと病気になっている多くの人が直面する問題。
男性だったら自分が居なくなった後のことを思うのでしょう。家族に余計な心配をかけたくないと思うのでしょう。でも、残される方は?ある日突然いなくなるなんて悲しすぎます。ブリジットは残される家族を思い、打ち明けることを勧めるわけですが、サイモンの答えはNoでした。厳しい問題ですよね。
ハワードだけの問題じゃない映画だから本当に良かったのかもしれない。
クレアは「時」を担当します。彼女にとっての「時」も無限ではなかったから。彼女は子供が欲しかったのでしょうね。女性だからいつでも子供が授かるものではありません。彼女は「精子バンク」に登録してまでしてその時を待っていたわけですが、女性には時間が限られているわけです。それでも、「時」のラフィが彼女の心に少しの希望を与えます。
女性は強いのか?を感じたのはマデリン。
マデリンはカウンセリング・グループの女性だった。しばらくは窓から中をのぞいていたハワードだったけど、「死」と話した後にやっと中に入ることが出来た。「死」に一方的に話されるけど、それでもハワードも意味がわからず怒りが出てきたことで少し感情が戻ることが出来たんだと思うね。
カウンセリングには同じく小さい子供を亡くした親が集って立ち直ろうとしていた。
それでもハワードは自分のことを話せずにいた。
そんなハワードにマデリンは自分の状況を伝える。自分は子供を亡くした後に離婚したこと。離婚のときに、夫から「もし他人に戻れるなら」という手紙をもらったこと。
マデリンは子供が亡くなるときに隣りにいた女性に「子供が亡くなることは悲しいけど、人生のオマケがある」と言われていた。その言葉を最初はわからなかったけど1年くらいして涙が止まらなくなったと。それは悲しいからではなく、自分の周りには自分を支えてくれる人がたくさんいることに気付かされたからだと。
彼女はその言葉があり、1年で立ち直ることができ、同様の人の話をわかちあうことをしている。
人の立ち直り方はそれぞれなのだろうけど、ハワードにはそれは理解できないと彼女を突き放す。
それでも、「愛」「時間」「死」が再び現れ、それが仕組まれたことと知った時、彼の中で何かが変わった。やっと他の人への感情が出てきた。
ホイットには娘とのこと。
クレアには感謝。
サイモンには病気の後のこと。
最後にはやっと娘の死後証明にサインをすることになる。
会社の3人がこのことを仕掛なかったら?ハワードは自らの「死」しか考えてなかったけど、このことで歯車が合い始める。
イブの夜、マデリンのところを訪れるハワード。私はそこまでは想像出来なかったけど、それでもマデリンとハワードが結ばれたらと思ってたんだよね。
「もし他人に戻れるなら」
まさかハワードが出したものだとは思わなかった。
最後にやっと亡くなった娘の名前を言えるようになる。そしてそれはマデリンとハワードの娘だということ。
ハワードはマデリンに戻りたくてカウンセリング・グループを訪れたのだろうか?そこの部分がどうなのだろう?って思うところだけど、自分を取り戻したい、このままじゃだめだって思った時に一番大切な人を思い出したということなのだろうか。
マデリンには死の間際に隣の人にかけられた言葉で1年で立ち直った。ハワードはその時に近くに居なかったから3年もかかってしまった。そんなところなんだろうか。
この映画を観ていて、さっきも書いたけど、私には夫が出てこなかった。まだ戸籍上は夫婦であるけど、やっぱりもう無理なんだろうなってつくづく思ってしまった。問題は私の中にあるのだろうけど。宇宙人を自分のものにしたいとは思わないのだけど、それでも思う相手は宇宙人しかいないんだ。
それでも悩む。
自分の存在は彼にとっていいのか?私には彼の存在が必要であるけど、彼には娘が居ればいいのではないか?って。まぁ私一人の思い出は成立しないわけだから彼にとっても私は居るのだろうけど。
はぁ〜不倫はね、嫌なんですけど。
でもね、排除しようとしても排除できない感情が私の中を支配していてほんと困ってる。だから清水富美加の気持ちがすごく良くわかるんだ。これって年齢じゃないと思うんだ。
こんないい年してって思うよ。自分でも。
それでも人を好きになれる気持ちはいつでも大切なんじゃないかって。
素晴らしきかな人生は結局、自分一人じゃないってことだったと思う。自分の試練と思って自分だけ孤立してても周囲の力、手助けが合っての自分だってことを再認識させてくれる、そんな映画だったと思う。
サイモンがね、結局家族に病気を知られてしまうんだ。家族は彼が言わなくても知ってた。そこから私の涙腺は止まらなくなってた。
「ラ・ラ・ランド」はハッピーエンドじゃなかったけど、「素晴らしきかな人生」は最後、ハワードが自分を取り戻すわけだからハッピーエンドと言えるよね?
あぁそうかどっかのキャッチに「クリスマスイブに送る贈り物」とかってあったけど、そういうことか。
泣けるけどほっこりする映画だから観に行って欲しい。