【宮里藍選手引退】日米での反応の違いは国民性の違い?

引退報道

宮里選手の突然の今期限りの引退報道で日本では一様に「さびしい」という感情が先に出ているような報道が多く感じた。

一緒にプレイをしたいと思う選手も居たかもしれないが、そこは「プロ」。

一度コースに出ればお互いがライバルじゃなきゃいけないんじゃないのか?

そこに国民性の弱さがあるように感じる。

アメリカ、主戦地では

キャリアの終止符が、新しい人生のスタートと実感できる

こういう考え方がなかなか出来ないんだろうな。

その人の決めた決断をその人の人生として捉えることが未熟だから自分の立場でしか物事が考えられない。

そうすると、同じ職場で働いていたはずの人がいなくなることは「さびしい」という感情でしか表せない。それと一緒なんだろうな。

アメリカでは

Congratulation

So Happy for you.

素敵だね。

日本人も国民性としてこういう考え方をするようになれないものだろうか?

会社生活をしていても長い期間いる会社を退社すると決めた場合、それを喜んでくれる風習はあまり見かけない。

その会社がブラック体質であれば「なぜあなただけ辞めるのよ」的な変な被害者意識になるし、キャリアアップだと思えば、やっぱり妬む。

おかしいだろう?って思ってしまう。

今の私の感情がこんな感じ。

同じ時期で入った人の能力を自分も吸収したいと思って頑張ってたりして、でも会社がその人を使い切れずに契約を終わりにしようとしている・・・

それを喜んであげられない。

私自身の利益を考えてしまっているから。

そうその人にとったら、会社で扱えない以上幸せなんてないし、よく我慢してるなぁって思うくらいなんだから、「お疲れ様でした。残念ですが。」って言うのが大人だよね。

そう。

でも、それがとてもストレスになってる自分が2日寝込んでいる。

「だったら私はなぜこんなに全部を犠牲にしたんだ?」って。

日本でもまだしていない技術を取り入れると思ったから時給を下げてでもどうにか入り込まなきゃだったんだけど、会社、恨むよ。

まぁどうなるかは人の人生。

それに左右されるのはやっぱりいけない。

自分の道は自分で切り拓かなきゃを痛感してる。

勉強しなきゃ。