【萩原節さん】夜中によぎった名前

11年前

たぶん11年前になってしまう。

赤坂にあった「アンベ・クァトロ」というメキシコ料理のお店。

ここに入ったのも偶然だった。

ナイトクラブ

夜はナイトクラブというお店のランチに入った。

メキシコ料理ってあまりないし、ランチやってるところもないし。

地下なんだよね。入りやすそうでもないし。

結構、しっかりとした木の扉の向こうに通路があって・・・

案内もされない。

けど、座っちゃえ!

13時を過ぎてお客さんも1組居たかどうか・・・

座ったらとりあえず、お冷とおしぼりを持ってマスターらしき男性が来てくれた。

「何にする?」

すんごいフランクな感じ。

ランチメニューにあった「タコス」これにしよう!!!

なかなか「タコス」が食べられるお店に行ったことがなかったからね。

出てきたタコスのボリュームに驚くのだけど、美味しい〜。

そして、最後にコーヒーを持ってきて「可愛い子にだけサービス」とクッキーをつけてくれる。

なんか面白いお店。

初めてのお店なのにすごく居心地の良さを感じてしまった。

それから月に2回くらい行くようになった。

すぐに顔を覚えてもらった。

その人がマスターの萩原節さんだった。

萩原節さんは昭和37年頃には「ロス・インディオス」というグループのトップボーカルだったって話なんだけど、ラテン音楽に何の造詣もない自分は知らない人だった。

それでもお店の壁にはいろんな方のサインで埋め尽くされていた。

月に何度かお店でライブがあるということで、夫と行くことにした。

夫もとても気に入り、家族ぐるみの付き合いのような存在のお店となった。

私がパソコンの扱いに慣れていると言うと、次に会うときに自宅のパソコンを持ってきていて、Mixiにお店のページを開設した。

mixi.jp

10年ちょっとかぁ〜。

2007年9月から2008年12月までという短い時間だったけど、通わせていただいた。

2008年12月引っ越しを機になかなか行ける場所ではなくなってしまった。

昨夜、突然頭の中にお名前が流れた。

「節さん・・・」

嫌な予感があったんだろう。検索してみた。

節さんを知っている人のブログがあった。

今年の1月、お亡くなりになっていた。

ハギを偲ぶ会 カンツォーネ奮闘記!/ウェブリブログ

3ヶ月前。

ママはまだ一人でお店をやっておられるのだろうか?

どうしているだろう?

仲良しの二人。

お互いを支え合っている感じがほんとに羨ましく見えた。

今度、都心に行くことがあれば足を伸ばして行きたいと思う。

節さん、ありがとう。

行けなくてごめんなさい。

ご冥福をお祈りいたします。