ピッチングフォーム
日本に戻ってきて肩の故障とかで出てなかったことがなかったかのような躍動するフォーム。
リハビリをさせてくれたソフトバンクにも感謝だけど。
やっぱり松坂選手はすごい!
ドラゴンズカラーもブルー。
なんかちょっと見た感じが「西武ライオンズ」のときと変わらない感じがする。
メジャーに移籍したのが11年前。
10年前、高田馬場のビックボックスのカラーが変わったのは松坂大輔選手の移籍金だって聞いたのは本当だったのかわからないけど、そんな話も出るくらいすごい選手だった。
メジャー1年目は好調だった。
日本人選手史上初・メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振に到達
チームも12年ぶりの地区優勝
ワールドシリーズ優勝
シーズン通算
リーグ10位の15勝
同6位の201奪三振
与四球率はリーグワースト6位
1試合の平均球数はメジャー最多の108.8球
これが彼の肩・肘を壊しちゃったんだろうな。
日本では順調な活躍をしていた松坂選手だったけど、2008年5月でその道が変わる。
怪我との戦いの道へつながってしまう。
それでも2年目も18勝をしてしまったのが余計いけなかったと思う。
それでもまだ成績がついてきてしまった。
怪物だからね。
そして2011年にピッチャーの通り道なのか?「トミー・ジョン手術」を受ける。
翌年に復帰したものの投げては故障者リスト入りを繰り返す。
どうにか日本人史上4人目のメジャー通算50勝目となる復帰後初勝利はすることが出来たのは良かったのか?
そのまま大型契約をして5年FAとなる。
2013年2月インディアンス傘下のチームとマイナー契約するものの8月22日にはニューヨーク・メッツとメジャー契約。復調か!?と思われたが、10月31日はFAとなり、2014年2月メッツとマイナー契約。
この頃には満身創痍状態で戦っていたことがわかる。
そしてシーズン終了でサイドFA。
2014年12月にソフトバンクに復帰する。
ソフトバンクは西武黄金時代の監督リレーで上昇気流だった。そして秋山監督から工藤監督への交代で松坂選手の加入。
ソフトバンクでは1軍で1試合しか登板がなかった。
ソフトバンクでのリハビリ生活。さすがにプロの世界だからね、松坂選手に期待する部分が大きかったのだろうけど、現役を望んだ松坂選手は拒否して退団。
引退しちゃうの〜?
って状況から一転、中日が入団テストを行うことが報道され、即日入団が決まる。
そこにはまた「西武」の絆があった。
松坂選手が西武時代のコーチであった森監督の「やりつくすまでやればいい」の一言。
怪物の引退道は周囲が決めるのではなくて、本人が納得するまでさせてやろうって言う気持ちが嬉しい。
そして開幕。
1軍で3回登板するものの、味方の援護なく2敗をしていた中での4月30日、4241日ぶりの日本での勝利。
そのピッチングフォームは全盛期と変わらない感じの躍動感とスピード。
ちゃんと見比べたら、20代の怪物時代には劣るのだろうけど、彼が今までの努力でいろいろな方の支えで再度作り上げたものだったのだと思う。
勝利者インタビュー
自分を知らない人が増えたことを認識し、もっと活躍して顔を覚えてもらう
楽しみにしたい。
松坂選手の笑顔は全然変わらない。ブスッとしているとおじさん度が増し増しって感じがしたけど、笑顔は西武時代のまま。
まだ37歳。
山本昌氏のようにこれからまた長く愛される投手になって欲しい。
中日自体今、低迷期だからこそ、松坂選手の存在がチームに活気を呼ぶと思う。