亡くなってわかる偉大さ
私が物心ついた時にはグループサウンズは終わっていて歌謡曲全盛期に入るところだったのだと思う。
新御三家、花の中3トリオ、キャンディーズ、ピンク・レディー
彼らが私の音楽の最初だったのだと思う。
昨日から
突然に思える訃報。
遅い結婚をされてすぐに子宝に恵まれてファンも一同に喜ぶような雰囲気が突然48歳って年齢で突然脳梗塞で倒れたと言う報道。
それまで入院とかって報道とは縁遠い感じだっただけに驚いたのを覚えている。
それでももう15年も前。
西城秀樹さんご一家にとってはとても大変だっただろうなって思う。
奥様は18歳年下の方。
そっか。発症されたときはまだ30歳だったのね。
確か2番目のお子さんの出産直前ってことなんだよね。
気が気じゃなかっただろうなって。
それでも西城秀樹さんは最初の脳梗塞は早期で復帰されている。
ろれつが回らない
その程度でもきちんと検査したことが良かったのだろうね。
結婚して、子供のこととかも考えることがあったからその時点で検査を受けようと思ったのかもしれないし。
その時の会見の模様とかを今見ると胸が痛い。西城秀樹さんも声に詰まるような質問。
それでもなんだろう?最近のインタビュアーのような嫌らしさがない。
昔のインタビュアーには優しさもきちんとあったように思う。
ただ好奇心だけで聞きたいってことが前面に出過ぎない感じ。
デビュー曲からかなり多くの曲を見ることができた。
今とは全然違う時代。
アイドルではあってもきちんとした歌唱力がある。
お兄さん的な雰囲気で、当時の自分にはまだちょっと早いかなって感じだったけど、たぶん、きちんと認識したのは
YOUNG MAN
1979年の楽曲。
小学生だった自分は運動会の入場行進曲がこの年からこの曲に決まったって言ってもいいんだろうな。
最近では違うのだろうけど、私の記憶の運動会に「YOUNG MAN」が定番だった。
それ以降だと「眠れぬ夜」
オフコースの楽曲だってことはもうちょっと後になって知ることで、私の知っている「眠れぬ夜」は西城秀樹さんだ。
オフコースとは違う雰囲気でいい。
「ギャランドゥ」は思春期に入ったあたりの周囲がざわついた感じの曲。
もんたよしのりの提供だって知らなかった。しかも「ギャランドゥ」って言葉が松任谷由実の作った俗語ってことも。
時代だなぁ〜。
そして一番最近と言ったら変なんだけど「走れ正直者」かな。
今日、いろいろ流れて「あ、そうだったんだ」って感じなんだけど。
さすがに「ちびまる子ちゃん」は見てないんだよね。
漫画は3巻くらいまで読んだけど、アニメはほとんど見た記憶がない。
それでも「走れ正直者」は聴いたことがある。
最後の86枚目のシングルが2006年の「めぐり逢い」
85枚目のシングルを出したときにはまさかその後1枚で終わってしまうとは思ってないだろう。
85枚目のシングル「粗大ゴミじゃねぇ」の販売イベントの後に最初の脳梗塞を発症されているってことだから。
子供たちにとってどんな父親像だったのだろう。
それでも子供の存在が西城秀樹さんを動かした原動力だったのだろうと思う。
ありのままの自分を出すことを課題にしている
後年の言葉らしい。
足を引きずっても、ろれつが回らなくても、右手右足に麻痺があってもYMCAを踊り、歌う姿を最後の最後まで見せてくれた。
てっぺんに居た人がドン底になった時、家族はどうするのだろう?
それでもいろいろな報道を見ていると奥さんの言葉で「幸せでした」とあって、奥さんにとったら結婚してすぐに病気になってしまったり、育児があったりとほんと大変な15年だったのだろうって思うけど、西城秀樹さんはとても良い女性とご結婚されたのだなぁって。
まぁ夫婦の本当のところ、家族の本当のところなんて外部には見えない。それでも西城秀樹さんが最後の最後まで歌手として生きておられたことは家族の支えがあってのことだと思う。
海外に行って、日本人を探したかったら、「YOUNG MAN」を大声で歌っていたらすぐに探せるんじゃないかって思ってしまう。
国歌よりも国民に浸透している1曲だと思う。
10年ほど前までの芸能関係の訃報は芸能関係と言っても自分の世代よりは上でお名前を知ってるくらいだった。
でも、最近はだんだんと自分が育ってきた時代の人が亡くなるような時代になってきてしまった。
人の命は儚い。
それを本当に感じてきた。
生きよう。生きられるのなら。生きることを命じられているのだから。