キャストかぶりで
リリー・フランキーさんと松岡茉優が出ていて、しかも昭和で「万引き家族」か?って感じだったけど。
存在感のある役者さんってことなんだろうな。
雰囲気のある映画館で
先行上映は確か2月の最初の頃だったと思う。そして2月24日から順次全国ロードショーってことで、約4ヶ月待ってしまった。
新宿に行っても良かったのだけど、この「スカラ座」に行ってみたい気もしてたから。
川越スカラ座。「時の鐘」の裏辺りなんだけど、見かけたこともなかった。
表側はちょっと手を入れたのだろうね。募金箱もあった。改修費用募金ってことみたい。
ちょっとした体育館のような感じのところに200席弱のシート。
最近の映画館って段々にしてあるからあまり前の人の頭が気になることもないけど、身体をどちらかに預けないとがっつり頭だった。
後ろの人、ごめんなさい。席を移動されてた。そうだよね。
そんな映画館だけど、3割程度埋まってた。
予告もあまり観ていない感じの分野でまた興味を持てる作品があって困ってしまう。
物語は・・・
どうしようもない父親が失踪して13年後に余命3ヶ月で再会したものの心の溝を埋めることなく死亡してしまい、そのお葬式で数人しかいない参列者一人ひとりからお言葉をもらうという展開。
あまりないんじゃないかって思うけど。
どうしようもない父親。
父親という立場に求めるものは何なんだろう?
家族ができるとはどういうことだろう?
母親はなぜ苦しい立場でも自己犠牲の上で子育てをできるのだろう?
まぁ一概に全ての人が当てはまるわけでもないのだけど。
よくある話としては、博打に明け暮れる父親が借金をして借金取りが家に押しかける。
その状況で息を殺して生活をする家族。
父親役のリリー・フランキーさん。ぴったりなんだよね。
だらしないわけでもないのだけど、肩の力がいい具合に抜けているから、わかりやすい。
ちょっとずるいな。
リリー・フランキーさんって人がそういう人ってイメージがそのままなんだもん。
母親役が神野三鈴。この人もね、幸薄そうな女性がピッタリで・・・。
斎藤工と高橋一生が兄弟という役柄。それでも13年前はまだ中学生と小学生の兄弟ってことで、子役。
弟役の子役が可愛い。大西利空くん。今後期待。
まず火葬場のシーンから。
火葬にする意味なんて考えたことがなかった。
国土が狭い国では火葬にすることが多いって。そうかぁ。アメリカは土葬だもんなと思ってた。
そしてセミを火葬する。
うーん。うーん。うーん。
弟のコウジが暑い夏の日、父親を探して自転車で雀荘を巡っている。
そして、自分が書いた作文が表彰されたことを報告する。
麻雀に忙しい父親はそんな息子の存在を無下にするわけでもないが、作文をすぐに読もうとはしない。
作文は父親と初めて甲子園を見に行ったことを書いたものだった。
コウジの記憶の父親は自分と野球をしてくれた記憶が残っている。
それでも日々取り立て屋がアパートのドアを叩き、叫ぶ。
息をひそめる家族。
それもいつしか限界がきて父親が家を出ていく。雰囲気を察している母親とコウジ。
父親は帰らなかった。
そんな父親でも居るだけマシだったのか?
その日から母親は懸命に働く。朝早く新聞配達へ行き、夜は水商売へと行く。
ある日、新聞配達の途中で車に自転車で突っ込んでしまうが、時間がないと病院へも行かずに腫らした顔に化粧をして夜の仕事へ向かう母親。
倒れたのか?翌朝、兄ヨシユキとコウジが新聞配達をし、ヨシユキがお弁当を作っている。
遠足に間に合わないと言い出すコウジに「なんでこんなこと自分がしなきゃいけないんだ」切れるヨシユキ。
子供時代の象徴的な場面だったのだろう。
13年後、大人になった兄弟と母親が久しぶりに対面している。
って言っても、かなり無理のある年齢設定でしょ。
13年ってことはお兄ちゃんが28歳くらいで弟が23歳くらいなんだけど・・・二人共30代後半よね?
そんなことは気にしないでと。
ヨシユキが父親が入院していて余命3ヶ月であることを告げる。
見舞いに行くかどうかという相談らしい。
ヨシユキは即答気味に「俺は行かない」と言う。
母親も「私も・・・」
コウジは何も言わない。
なんだろう?「親はなくても子は育つ」と言う話はあるもので、自身がきっちりとしたことをしていればきちんとしたところへ就職は可能だ。
兄は大手広告代理店勤務、弟は現金輸送車の運転をしていた。
兄弟は父親の背中を見て反面教師にしている。そして母親の苦労も見ていたのだろう。きちんと母親にお金を渡している。
コウジは一人父親を見舞う。
そこで会った父親は昔のままにお金の工面をしている姿。
失望。
家族の溝が埋まることなく、お葬式となる。
お葬式の場は、お寺の本堂ではない場所。そこに受付をするコウジの彼女の松岡茉優演じるサオリ。
奥の本堂では大規模なお葬式をしていた。同じ名字。
間違えて受付しようとする人に頭を下げるサオリ。
お葬式は必要なのか?と思ってしまったのだけど。
父親のお葬式の参列者はいずれも素性のわからない人々。
読経の後、それぞれに一言をもらうことに。
家族のことなど気にしない面々。
自分と父親の雅人との関係を語りだす。
そこには家族の知らない父親の姿が浮かび上がる。
借金をしていた父親。その多くは他人のために借りていた事実。
子供のためにマジックを覚えようとしていた父親。
そして、入院していたところに自分の作文を大切にしまっておいてくれた父親。
人間の本質というものは?
奥の本堂のお葬式には雇われたおばあさんが大泣きの演技をしていた。
そんなことをさせなきゃならない人間性と。
家族には本当の姿は見えない。
母親も喪服に着替えながら、お葬式の場には現れない。
どんな相手であってもきっと母親の中には悲しみがあるのだろう。
憎しみではないだろうって思う。
憎しみしかなかった兄は参列者の言葉を聞き、喪主挨拶も出来なくなっていた。
その後を継いで語りだす弟。
13年って言う期間はあっという間だと思う。
子供の中の13年はそうでもないのか?
などなどいろいろ考えることが多い映画だ。
齋藤工の監督作品。
撮られる側のプロが撮る側にまわった時の表現って面白いと思う。
こんな小さい劇場で2週間くらいで1日1本って割合しかしていないのに、ロングヒットで1億円突破はすごいと思う。
若い人というよりは年配の人。
斎藤工という俳優を知っている方だろうけど、年配のおじさんとかもいて、どういう経緯で来ているのだろう?とかって考えてしまった。