【映画 「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」】感想。月が綺麗ですねを知らないと大変だ。

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夫婦という名の他人の関係

この映画のニュースが出たときにタイトルがすごかったので、原作を漫画化されたものを読んだ。

その時は、なぜ死んだふりをしているのかってことまで読んだっけ?

妻はなぜ死んだふりをしていたのだろう。

ちょうど1年前の5月に公開が決定し、11月に小出恵介の出演シーンが代役になった。

主演の二人はどんな気持ちだったのだろう。

それでも、大谷亮平になって良かったと思う。うん。

「月が綺麗ですね」

国語の教科書で教えるべきだわ。夏目漱石を教えるなら。

そうしないとこの夫婦のように気持ちが伝わらない。

妻のちえさんの榮倉奈々。この映画の最初の報道の時は出産前だったんだ。

2017年5月25日にこの映画化が報道されて出産が6月12日。

まぁドラマ出演中に出来婚しちゃったってことで、仕事関係では多大な迷惑をかけたから、キャンセルすることは出来なかったのだろう。

それにしてもいつから撮影が始まったのかわからないけど、体型が全然変わらない。

胸も全然大きくなってないし。すごいな。

ちえさんはお父さんと二人暮らし。お父さんはお寿司屋さんの職人さん。

出会いのシーンが映画用にもう少し詳しくなっている。

そして、ちえさんと安田顕演じるじゅんさんは2年の中距離恋愛を経て結婚する。

でも、じゅんさんはバツイチであることがある意味トラウマになっていた。

そのことで結婚前に「3年目にお互いにその後を話し合おう」ということになっていた。

その3年が近づいた頃からちえさんの「死んだふり」が始まる。

おっちょこちょいの予測不能妻に冷静夫はついていけない。

それでも、ちえさんのことを好きな気持ちはあり、じゅんさんは「ちえさんのこと、好きだよ」と言う。

それに対してちえさんは「月が綺麗ですね」と返してしまう。

すれ違う気持ち。

この言葉を知らない人にとっては、はぐらかされているような気分になるのだろう。

平穏な暮らしを求める夫に日々過激さを増す「死んだふり」の出迎え。

それにしても、なぜ、鍵を持っているのに、チャイムを鳴らすのかが私にはわからない。

帰るメッセージはいい。

でも、夕食の準備をしているのになぜ鍵を開けさせ、ドアを開けさせようとするのだろう?

日本という文化なのか?

不思議でならない。

ちえさんはそんなことが不服だったわけではないのだけど。

不服があったのかって言えばそうでもない。

ちえさんはちえさんなりに考えた行動で、理解して欲しいとかって気持ちはないのかもしれない。

初めての死んだふりをされたじゅんさん。

驚きのあまり、救急車を呼ぶのになぜか「117」で時報が聞こえる。

人間、焦るとそんなものね。

じゅんさんは会社の後輩の大谷亮平演じる佐野壮馬に不満をぶちまける。

他人から見たら、惚気に聞こえる。が、それが何日もとなると、気持ち悪がられる。

どうしたら?と悩んでいるじゅんさんに佐野は「花とかケーキとか買ってあげたら」と提案する。

じゅんさんは一人でいることに対する不満なのかとクリーニング店のパートの仕事を持ち帰っていた。それをじゅんさんがリストラされたと勘違いするちえさん。

あまり乗り気ではないものの、クリーニング店へ行く。

そこには猫を抱いた女性が受付にいたので、挨拶をすると「私は違うわよ」と言われてしまう。そこに戻ってくる店主役の品川徹。似合ってるわ。

一人暮らしの老人でコンビニまで弁当を買いに行っている間の留守をお客の女性がしていた。

気が乗らなかったパートだが、父親とオーバーラップしたのか、行くことに。

そのお祝いとしてじゅんさんが花とケーキを買って帰ると、「死んだふりはやめてくれ」と言われたちえさんは今度はゆうれいをしている。

それに付き合って、花とケーキを墓前にお供えするじゅんさん。

気持ちは暗くなる。

どうしたら普通に待っててくれるのか。答えが見つからない。

そんなじゅんさんに壮馬が「一緒に食事でも行きませんか?」と誘う。

そこには壮馬の妻の由美役の野々すみ花も来る。

佐野夫婦は結婚5年目になるという。

そして壮馬は二人の馴れ初めを聞く。ちえさんはじゅんさんを「なんとなく半分こが良かったから」と言う。

由美はちえさんに二人でランチに行くことを提案する。

なぜかバッティングセンターでハイヒールでバッティングをする由美。

問題のなさそうな夫婦だが、もしかしたらちえさん夫婦よりももっと深い闇があるようだ。

ちえさんはなかなかバットにボールが当たらないが、由美はホームランを狙っている。なかなかうまくいかないと言う。

「よく来るのですか?」と聞くちえさんに由美は「病院の帰りに」と言う。

病気なのかと心配するが、そうではないと。

気づくちえさん。

それでも慰める言葉はかけられないと正直に申し出るちえさん。

そんなちえさんに感謝する由美。ちえさんは「優しい言葉はかえって相手を傷つけるから」と言う。

優しい言葉がほしいわけではない由美にとってちえさんの言葉は良かったようだ。

なかなかそれでもいろんなことが止まらないちえさんにじゅんさんが「何が言いたいのか言って」と言う。

ちえさんは「だったらお願いがある」と言う。

それは佐野夫婦を自宅にお招きすることだった。

元気がなく約束をキャンセルした由美を気遣ってのことだろう。

表向きばかりいい夫とそれに従う妻という役割に限界がきていた夫婦。

由美の知らない面が明らかになり、自分が知らないことが多かったことに気づく。

そんな夫婦は終わりにすることになった。

由美から別れることを知らされるちえさんと壮馬から聞かされるじゅんさん。

夫婦それぞれがいろんな気持ちを抱えていることがわかる。

壮馬は不妊治療に行き、妻ではなく自分が原因で不妊だということを医者から告げられる。その瞬間にホッとした表情になった由美の顔が忘れられないと。

不妊は妻の責任のように思われる現代社会だが、その要因なんてどっちにあるなんて関係ない。子供がいなければ夫婦じゃないのか?なぜお互いの存在だけで十分と思えないのか?

世間は勝手に心配するフリをして傷つけていることを認識すべきだ。

そして離婚にいたってしまう夫婦は多いだろう。

酔っ払ったじゅんさんを車で迎えに行くちえさん。真っ直ぐに自宅へ戻らないことに不審に思うじゅんさんだが、「道は繋がっているのだから、いつか家には着くのです。」と言うちえさん。

翌朝、じゅんさんはちえさんに「どこか行かないか?」と言う。ちえさんは「じゅんさんはどこへ行きたいですか?」と聞き返すが、返せない。

夫婦の関係ってどっちかが主導権を握って動かさなきゃどこにも行けない。

ちえさんのスマホが鳴る。それはお父さんが倒れたことを知らせる電話だった。

大急ぎで病院へ向かう二人。

発見が早かったから後遺症は残らないけど、年は取ってきているから気をつけてくださいと医者から告げられる。

ちえさんはなかなか病室に入れない。

それを見ているだけのじゅんさん。

ちえさんは「お父さんには私だけなんだから」と言わせてしまうじゅんさん。

違うだろ?

家族になるってそういうことじゃないだろ?って思う。

じゅんさんもお父さんの家族なんだってことをじゅんさんがもっと認識しなきゃってことなんだと思うんだ。

じゅんさんも気づき、ちえさんの手を繋ぎ病室へ。お父さんと会話をし、入院手続きをしてくると部屋を出るちえさん。涙が止まらない。それを受け止めるじゅんさん。

手続き中、お義父さんと会話をするじゅんさん。

お義父さんはちえさんが泣くのは母親が亡くなったとき以来だと言う。

小さかったちえさんと二人になり、寿司職人だったお義父さんは大変だったと。泣いてしまったこともあったと。

そうしていたら、ある日から突然家に戻るとちえさんがかくれんぼをし始めたと。

疲れているのに探さなきゃいけなくて大変だったと。

ちえさんのしていた行動は幼少期から続いてきたことだった。

お義父さんはまぁめんどくさかったけど、それでもやらせていたと。

子供なりにお父さんを元気づけたかっただけなんだろうな。

二人は実家に泊まることに。

そこでじゅんさんはやっと「月が綺麗ですね」という言葉の真意を知る。

そしてずっと自分に気持ちを伝えていたことも。

じゅんさんは行きたい場所を告げる。

それは二人が結婚前にデートした場所。

飯能市の「あけぼの子どもの森公園」だな。きっと。

そしてそこで今度は「わたし、死んでもいいわ」と告げる。

「月が綺麗ですね」の返答のような言葉らしい。

二葉亭四迷って人が言ったらしいのだが。

お父さんが結婚をするときに二人に「夫婦なんていつか夫婦になる」と言っている。

ちえさんがなぜ死んだふりをしていたのかはわからない。

ちえさんはじゅんさんが結婚3年目にトラウマを持っていることを感じていて元気づけたかった。また、死んだふりをしている間は3年目以降の話にならなくて済んだ。などなどいろんなことを考えていたのではないだろうか。

これが実話ってことだからほんと驚く。

すごい死んだふりのバージョンがあり、笑える。

それでも、身につまされる。

ちえさんの望む家族はクリーニング店のお客さんのご夫婦なんだろう。

「あれ」でわかり、「それ」で気づく。

2010年にYahoo!知恵袋に投稿された実話ってことで、それから8年。本当のじゅんさんとちえさんはどうされているのだろう?

夫婦のあり方を考える機会になるかもしれない。