【映画 ゆずりは】感想。コロッケさんの役者としての演技がいい。

本名での出演

滝川広志

コロッケさんの本名。この映画の主演ということで初めて本名を知ったくらい。

役者としてのコロッケさん。モノマネタレントとしてトップの人が、真似る相手がいない人物を演じることとは?

素顔のコロッケさんなのか?

水島正二という役。これはコロッケさんが役になりきっただけできっと本人でもないのだろう。

誰に似せることもない、素顔。

物語は葬儀屋の部長という水島を中心に心の葛藤が渦巻く。

葬儀屋さんという職業は常に遺族に寄り添い、悲しみという感情は隠すことのプロなんだということを知る。

葬儀屋さんのスタッフさんがいちいち感情移入されていたらきっと参列者の方は引いてしまうだろうし、スタッフさんも身が持たない。

大変な職業だ。

杏さんに似ている女優さん大和田紗希さん演じる沢田は淡々と故人の紹介を進める。

まだ若手の彼女は周囲の変化に気づかずに進行をすすめてしまう。

少しのミスも許されない空気感。

厳しい〜。

お経を読む方を「導師様?」と紹介していたのかな?

その導師様が控室で突然体調を崩していた。それは現場スタッフのインカムに入っていたが、司会進行の彼女は気づけなかった。

「お導師様の入場です」

言ってしまって存在がないとさすがにざわつく。

そこに社長の勝部演之演じる松波がマイクを引き取る。

そして故人を偲ぶような話を「ゆずりは」に例えて参列者の涙を誘う。

「ゆずりは」という樹木を私は初めて名前を知った。

どこにでもある常緑高木。とても大きな葉っぱが一気に落ちるのではなく、新しい葉っぱが成長したのと交代で落ちるという。

縁起物らしい。

まぁ慌てないことが第一なんでしょうね。

松波が水島を社長室に呼ぶ。

新しく人を採用するからと5名の履歴書を水島に託し、一人採用せよと命じる。

水島はとても真面目な部長だ。

突然の社長の申し出に驚きながらも了解する。

面談シーンは一人だけ。採用されたからだけど。

葬儀屋さんに?な感じの若者が入室する。

スーツは着用していたが、金髪にピアスと言う「何しに来たの?」な若者。

柾木玲弥演じる高梨だった。

柾木玲弥と言う俳優さん、たぶんまだ知名度的には上がってないよね?

私は初めて拝見したと思う。

それでも多くの作品に出演をしてきているから期待できると思う。

高梨は社会人としてのマナーやルールといったものをまるで知らない。

言葉遣いも含めて採用はないタイプだ。

それでも水島はそんな高梨に「どうして応募した?」と聞く。

高梨は突然飼っていたオカメインコの話を始める。名前を「ヒョットコ」とても仲が良かったのだが、突然動かなくなり、「死」を意識したと。

うーん、大人として噛み合わない感じの会話だし、感情移入しすぎて面接中なのに泣き出してるし。

でも水島は高梨を採用する。他のスタッフの反対を押し切り、社長に「私が変えます」とお願いする。

黒髪に黒のスーツに身をまとった高梨はスーツがピッタリしすぎて気になる。

見習いということで、水島は高梨に「しゃべるな」と言う。

まだ話し方も身に着けていない見習いの扱いは難しいよね。それでも慣れさせなきゃだし。

登場人物で一番知名度があったのは島かおりさんだろう。遺族の役。佐倉琴子という役。ご主人が亡くなってしまい、自宅で看取ったのだろう。

遺体にドライアイスを置いていく。

その傍らにゴールデン・レトリバーが居る。

犬の存在って・・・泣けるわ。

片時も離れない。

それもそのはずで、その犬は「盲導犬」だった。亡くなった故人は視覚障害者だった。

その場で葬儀の打ち合わせが始まる。

参列者も少ないだろうからと一番低予算の葬儀での段取りとなる。

それを連絡するために外へ出る水島。沢田が打ち合わせを進める。ところが沢田が水島のところに慌ててくる。高梨の行動が信じられないと。

戻った水島が見たのは琴子と故人のアルバムをお茶菓子を食べながら見る高梨。

子供か?

社会人として許されない行動ではあるが、琴子の心にはかなり寄り添った行為だ。

琴子が話すご主人との関係。

視覚障害のご主人が語った琴子さんの存在と「色」の話。黒しか知らなかったが琴子さんと会い、色を知ったと。

涙が止まらない高梨。

どうしていいのかわからずただ見ている水島。

琴子さんが水島に故人の紹介は誰がするのか?と聞く。指名があればその方に、なければ弊社スタッフがと言うと琴子さんは指名しますと言う。

そして琴子さんは高梨にお願いする。

見習いがすることになったことで一同驚く。

それでも高梨には人の心に自然に寄り添うことができる人間であった。

故人の紹介は上手だとは言えない語りながらも出席者全ての心を揺らした。

泣くよね。

最初の涙シーン。

結構人が入っていたのだけど、まぁちょっと年配の方が多くてちょっとうるさいなってこともあったのだけど、さすがに静かになった。

故人に最後のお別れでお花を備える場面、高梨はピンクのバラを琴子さんに手渡す。琴子さんが好きな花であり、故人のモノクロの遺影にもバラの花が写っていた。

終了後、水島は高梨に聞く。なぜバラを渡した?と。

「琴子さんが好きな花だという事と、遺影のバラはきっとピンクだっただろうと思って」と。

社会人としては未熟ではあるが人として大切なものを持っている青年だと多くの人が感じた。

葬儀屋さんに必要なのはマニュアル通りにできる能力より人の心に共感できてなお、感情を隠して仕事をすることじゃないかって思ってしまう。

感情のないマニュアル通りの行動は得てしてロボットのようで無機質になってしまうから。

水島は社長に呼ばれて高梨が泣いたことに対しては注意を受ける。が、とてもいい式だったとも言われる。

水島の私生活は暗い。ところどころカットインされる場面が後々繋がってくる。

自殺した中学生の少女の葬儀が決まる。とてもセンセーショナルなこと。

「自殺」と言うキーワードに固まる水島。

変化に気づく沢田と高梨は古株の柴山に何があったんですか?と聞く。

個人情報ながら少ない関係性で秘密にしておくことへの懸念もあるのだろう、柴山は話す。

水島の奥さんが数年前に自殺で亡くなったこと。

そしてその奥さんは社長の娘であること。

重い事実。

社長は水島の心の心配をしていた。が、そろそろ自立をして欲しいとの願いから取り仕切りを任せる。

亡くなった少女の両親との打ち合わせ。ピアノの発表会の写真に囲まれている。

なぜ?

どうして?

車の中で高梨は自分もいじめられたいたことを打ち明ける。でも死にたいと思うまで追い込むことは許せないと感情を顕にする。

水島は複雑だ。

自殺に追いやったのは自分であると認識していたからだ。

夫婦間の問題。

いろいろなことがあったのだろう。

それでも自殺まで追い込んでしまった自分をいつまでも責めていた。

葬儀の受付に若い男性の姿。そこに少女の母親が。自分の娘を助けてくれなかった担任だった。

担任を責める母親。土下座をする担任。そこにいじめた首謀者だろう少女たちが、土下座をしている担任をスマホで撮影している異常。

これがでも現実にある世の中なのだろうと思ってしまう。

自殺に追い込んだことを認識していない少女たち。

いじめた側といじめられた側の温度差。高梨は怒りがこみ上げる。沢田に抑えられる。

故人の紹介になってもおしゃべりを止めない少女たち。

高梨の怒りは暴走し、少女たちに「出て行け!」と言ってしまう。その行為を平手打ちする水島。

騒然とする会場。

高梨も退場させ紹介を続ける。高梨の思いは水島も何もしない。見て見ぬ振りをすることへの怒りでもあった。

だが水島は水島のやり方があった。

水島は故人の未来が奪われたことへの凶弾をする。それが少女たちに届いたかどうかはわからないが、大人としてのやり方だろう。

いよいよクビか?

高梨の行為は褒められることではないが、大人がもう少し毅然とした態度を示すべきだったのではと思う。

社長から水島に高梨の処分が告げられる。

1週間の謹慎後に正社員。

ゆずりはの四季を感じながら月日の経過を感じられる。

5歳の男の子の葬儀。

小さい子の葬儀はどこか別の感情があるのだろう。ベテラン柴山も少し緊張した様子。

お通夜の準備。高梨は水島に過去の失敗について聞いていた。「俺は不要な一言で遺族を傷つけたことがある」

良かれと思った言葉でも別れの場面では受け取られ方が変わるのだろう。

それを戒めとしていると言う水島。

それを聞いた高梨だが、水島に黙って見ていてほしいと遺族に話しかける。

亡くなった少年のお姉さんだ。一緒の場面に居て何もしゃべらないのだと。

母親が亡くなっていたため、まだ幼い姉が母代わりでもあり通訳でもあった。

突然失った弟の存在に姉は何を思っていただろう。

椅子に一人座る姉の元へ行き、話しかける。

水島はオカメインコの話をする。オカメインコと自分の関係は他の人にはわからないものがあるが、でも自分にはオカメインコが思っていることがわかっていたと。

それでも死んでしまったと。

「死」という言葉に初めて反応する少女。

弟は最後になんて言ってたの?と聞く高梨に少女は「痛い痛いって言ってて、サキねえちゃんって・・・でもその後の言葉が聞けなくて」と最後の言葉を聞けなかったことでずっと弟から最後の言葉を感じようとしているように見えた。

高梨は言う。

「最後の言葉はないんだよ。サキねえちゃんだったんだよ」と。

やっと感情が出てくる少女は大泣きする。

悲しいという感情をしっかりと出せたことで次へいけるんだろうと思う。

終了後、水島は高梨に真意を聞く。そうすると高梨は驚くことを言う。

水島が後悔していると言う言葉。お父さんを亡くした少年に「がんばれよ」と言ってしまい、少年が怒って駆けて行ってしまったのだと言うことだったが、それは違うと言う。

驚く水島に高梨は「それを言われたの自分ですから」と。

高梨は水島に声を掛けられたことをその場では怒ってしまったが本当は嬉しかったと告げる。まさかの展開。高梨は最初から水島と一緒に仕事がしたくて就職してきていた。

社長がゆずりはを見ている。水島が近寄ると「このゆずりはは直子が産まれた時に植樹したのだ」と言う。妻の存在がまだ傷になっている水島には重い。

打ち合わせに行く車の中で突然社長が救急車で搬送されたと連絡が入る。

病院に行くと既に息を引き取っていた。

直子の母親は娘の自殺を水島の責任と責めていたが、夫が亡くなり、水島に夫からの遺書を見せる。

そこには驚くべき真実が書かれている。

娘の夫であり、息子の存在だと。そして会社を引き継ぐこととなる。

2年が経ち、そこには一人前になった高梨の姿と新人女性の姿が。沢田の若い頃のように周囲への気配りが出来ずに居た。

そしてそれを引き取るように水島が「ゆずりは」の話を始める。

話の全てがゆずりはのように受け継がれていく。

どうしても「死」というものへ人間の感情は大きく振れる。

特に少女の泣くシーンは涙がこぼれた。流れるじゃなくこぼれるって言うのは久しぶりかもしれない。

ボタボタとって表現だね。

あの場のすべての人が同じだったのではないだろうか?

泣けることがいいわけではないが、共感共鳴できる演技がそこにはあり、笑える要素はあまりない。

一人の青年の成長。

オカメインコしか友達がいない、親もいない青年。

根が悪い人間ではないのに、なぜ外見を目立たせようとするのだろう?

普通だと埋もれてしまうことへの恐怖がそうさせるのだろうか?

人間は成長する。

自分を見てもらって言うということはかけがえのないものとなり、人間を進化させる。

放置された人間はどうしていいのかわからず、疎外感で世間からどんどん離れ孤立してしまう。

今の世の中、救う存在はまだ残っているのだろうか?

そんなことを考える映画だ。

コロッケさんがわからなくなった。数々の芸能人のモノマネをし、笑いを届けてくれていた人が演じる闇を抱える男性。笑いを知っているからできる演技か?

いろいろな問題が入っている。

それでも人間は人と繋がることでいいことがあるということを感じることもできる。