【樹木希林さん】死後に知る本当の人間性

2週間

お亡くなりになってから2週間。その間に数多くの希林さんの記事や報道があり、映画や映像で見る以外の「素」に近い樹木希林さんを知ることが出来たように思った。

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告別式

告別式で出てきた報道にも驚いた。

まず春先に余命宣告をされていたこと。

なんか普通ってどんなことなのかわからないけど、一般的な人は余命宣告を受けると意気消沈してその場で生きる気力を無くすものなのかと勝手に想像していた。

が、希林さんは引き受けた仕事をひとつでもやらなきゃって感じで動き回っていたってことなのだろう。

YouTubeに上がっている映像やドキュメンタリーを見ても徐々に小さくなっていっているがわかる。

それでも「生きる」ことや「生きていること」を自分でリミットを決めないで生きていたのだなぁ〜って。

神様が居たとしたら、きっと骨折をさせて最後を一般的に過ごさせたことなのだろう。

家族のために。

「自分のためのスケジュールはやめて」

その気持ちはとてもわかるけど、相手の気持ちを慮ると「申し訳ない」けど残す人たちのことには口出ししないことが多い。

それでも、敢えて自分のために家族が縛られることを嫌がり自分は自分で最後の最後まで生きて去っていった。

残された方としたら、仕事場や運転中にバタっていってないか心配でしょうがなかっただろうな。

それでも多くの人が希林さんの生き様に憧れを抱き、人間としての魅力を感じているのも事実。

病気を持ってからの希林さんはご本人も語っておられたけど、人間的な魅力が溢れてきていた。

若い頃は、はちゃめちゃな人って感じでしか報じられてなかったからそんな人なんだと思っていたけど。

人から物をもらわない生き方は自分も同じ。

去年くらいまで会社で配られるお土産程度も断っていた。

だって、食べないのにもらって捨てるのってどうなの?って感じだし、私にはお土産を買う習慣も人に配る習慣もないから気持ちがわかりかねるのだけど、なぜお土産って風習があるの?

仕事休んだから?

行ってきたって自慢?

って言ってもさ、サービスエリアで買ったお土産なんてプリントが違うだけで製造元が同じとかって感じでしょ?

ただ甘いだけのクッキーとかほんと困るんだけどって、まず会話もしたことのない人が社交辞令的に配りに来たら断る。勝手に置かれたら隣に置くとかって人でした。

今年は・・・とりあえず食べる。そして後悔する。

「まず・・・」って言いながら。

夫との関係は一緒にいなくてもどこかで繋がっていた二人の関係が驚きだ。

私は離婚はしてないけど考えている。そんな関係であり相手の気持ちも鏡だろうと思うから変わらないだろう。

時期的なことだ。

そんな相手だったということだろう。お互いに。

私の物心ついた頃から希林さんと裕也さんの関係はマスコミのネタだった。

普通じゃないといけないという認識にさせられる報道。

その中で生まれ育った娘は母親の最後に自分の存在をやっとわかる。

それが告別式で婿から語られた。

希林さんのような考え方に近づけるようになりたいが、どうなるだろう?

まぁ最後は自分しだいだってことだ。

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