大杉漣さん初プロデュース作品
皮肉なものでこれが最初で最後のプロデュース作品になってしまった。
今年の2月21日。まさかの突然の訃報に驚いたのがついこの間のようだが、既に7ヶ月が過ぎた。
本当ならこの時期多くの番組で番組紹介をしたかっただろう。
そんな大杉漣さんを観られたはずなのに本当に残念だけど、大杉漣さんのお人柄に合い通じる役なのではないかと思った。
公開する劇場数がそんなにないし、1日に2本しか上映されないからか、満席だった。
教誨師というお仕事
「死刑囚」は刑務所に行くことがない。死刑執行のその日までをずっと拘置所でただただ孤独に生きる。
それはこの夏に立て続けに死刑執行が行われたことでも知られたことになった。
死刑囚以外の懲役は刑務所に送られてそれぞれの役務を行うことができる。
死刑囚にはただ「待つこと」しか許されていないのだなってことを実感する。
大杉漣さんはプロテスタントの牧師という役で月に2回教誨師としてボランティアで死刑囚と面会する。
6人の死刑囚。
きっと実際もあんな感じなんだろうなぁって。
死刑囚となった彼らではあるが、見た目が違うわけでもモンスターなわけでもない。
それでも思考のズレを感じる。
死刑囚にとって教誨師は唯一の話し相手なのかもしれない。
なぜ彼らは教誨師と面会するのか?と言うことが疑問でもあった。
教誨師と話して何が変わるのか?
既に確定した刑が変わることはない。そして教誨師は「死」が国によって定められた人々の何に寄り添う存在なのだろう?
大杉漣さん演じる佐伯は教誨師となって半年という役柄で寄り添うことを模索しているという雰囲気が伝わってくる。
最初に登場した死刑囚は鈴木という死刑囚。鈴木は佐伯の問いかけに反応しない。心を閉ざしているのか何かなのかもわからない。
次は光石研演じるヤクザの組長の吉田。とても気の良い人物で、佐伯のことを気遣う人物でもあった。
年老いたホームレスの進藤役の五頭岳夫。まず言い訳しかしない。自分を守るためのことなんだろう。そんな進藤に佐伯は聖書をすすめる。
烏丸せつこが関西出身のおばちゃん丸出しの野口役で登場。自分のした罪をまるで見つめることはなく、文句を繰り返す。でも、見回りの橋本という刑務官の話を真剣にする。
気弱な小川役の小川登。家族とも縁を切られてしまったが、子供のことを思いつづける。
大量殺人者の若者、高宮役の玉置玲央。世の中をバカにし弱者が生きていてもしょうがないから自分が変えようとして行ったとまるで自分の犯した罪の大きさをわかっていない。
この6人と向き合うだけの進行。
拘置所の1室。
夏から秋くらいの季節からスタートしたのだろうか。
対面を繰り返しているうちに心を開いて、自分がしたことを話し出す人も出てくる。
そして佐伯自身の生い立ちも出てくる。
なぜ教誨師となったのか。
そもそもどうしてプロテスタントになったのか。
母親に捨てられた中学生なのか?高校生なのか?
自分のために兄が殺人者となってしまい、罪の重さに耐えかねた兄は20で自殺をした過去を背負っていた。
死刑囚一人ひとりの「生」との向かい合い方に寄り添おうとする中で全ての死刑囚は「罪」とは向き合ってはいない。
ほとんどが身勝手な考え方だ。
その中でホームレスの進藤は少し気の毒な部分がないことはないなと思った。
聖書をすすめられたものの読んでいないことを言えない。絵本レベルのものを一緒に声を出して読んでみましょうと言う佐伯だったが、読めない。
そこでやっと佐伯は進藤が字が読めないことを知る。
そんな進藤に佐伯は「大変な人生でしたね」と同情するが、それを否定する進藤。大変だったのは自分じゃないと。
最初に勤めた場所で自分に名前を書いて欲しいと頼まれたことで喜んで連帯保証人のサインをして債務をおったことについても「自分がそんな大金を借金出来たことが嬉しかった」と言う。
そういう考え方もあるよね。
それでもその後は車で人を引っ掛けてしまって賠償金の支払いをしなければならなくなり、借金も返せなくなってしまったと。
佐伯は字を教えることにする。
「死」を迎えるだけの人生の中でも出来ることはある。そして洗礼を受けたいと願い出る進藤に洗礼することを伝えると脳梗塞で倒れてしまう。
一命をとりとめたことはどう思うのだろう?だって、死刑しか待ってないわけでしょ?って考えはだめなのか?
最初の頃はまるで反応を示さなかった鈴木は佐伯との面会を繰り返し、佐伯が自分のことを話す中で徐々に自分の心も開いていく。
が、それは未だ罪の意識のない感情が吐露されただけでもあった。
彼はストーカーだったのだろう。そのストーキング行為の中で勝手な妄想でその対象となった女性含め家族をも殺害したことのようだ。
そして被害者となった彼女が心の中で自分のことを許してくれたとも言い出す。
うーん、それを教誨師としてどうすることもできないのだろうね。
被害者への謝罪をさせるための存在ということではないのだろう。
そして生まれ変わるなんてことはないのだから、生きている残りの時間を寄り添うことなのか?
ヤクザの組長の吉田は話をするが、その中で他の罪の告白まで行う。
「二人だけの秘密だぞ」と。
その約束を守っていたが、刑務官との話の中でそれが刑を伸ばすための作戦だということを知る佐伯。
吉田は生への執着から夜中にノイローゼで壁を殴って大暴れをしていた。それを他の死刑囚から聞いていた佐伯はまさかそれが吉田であったことに気づき動揺する。
秋から冬になり、執行があるはずだと疑心暗鬼になっていく吉田。
最初の快活さはなくなり、秘密をなぜ公にしなかったと詰め寄る。
唯一の女性の野口は首謀者として死刑になったらしく、なぜ自分だけと被害妄想しかない。
野口の話の中の刑務官も実際にはおらず、妄想であった。
妄想とも付き合わなければならないわ、勝手に逆ギレするわ、罪の意識は皆無だわって人間と向き合う人ってどれだけ器が大きいのだ?
小川は子供への思いを毎回話す。そして自分の罪のために妻子がどうなったのかということまではなかったように思う。
小川は稼ぎが少なく子供に野球をさせていたが、それを辞めさせなければならなくなった。
そして会費とかいろんなことで借りていたバッドを返すということでチームメイトのところへ行くとそのバッドはバッドを買ってもらえない息子にあげたものだと言われる。
そしてお金を払ってもらう話が既に終わっていると言われ帰ろうとしたが、そこで子供のことを侮辱されてきっと溜まっていた不満が暴発する。
金属バッドが血まみれになっていたことしか覚えていないと言う。
何が悪かったの?
稼ぎが悪いことは悪なの?難しいね。言葉で攻撃する人には罪を問えず、それで耐えられなくなった人が結局は最後のトリガーをひいてしまう悲劇は結構ありそうな気がする。
殺人を肯定するつもりはないが、それでも相手を逆上させるまでのことを言うことを考えるべきだ。
若者の高宮は佐伯の話の矛盾を突く。自分がしたことの罪の重さは関係なく佐伯の言う言葉ひとつひとつ、世界で起こっていることひとつひとつに対して自分の意見を通そうとする。
佐伯はそんな高宮の質問に真摯に向き合う。
佐伯は高宮の弱者が生きててもしょうがないという考えには我慢ならないのか、かなり反論するが、高宮に「ベジタリアンなのか?」の質問に「違う」と言い、「なぜイルカは食べないのに、牛豚は食べるのか?」と言われるとつい「イルカは知能が高いから」と言ってしまう。
それって本質的に同じじゃないのかと。
生きているものは平等だと言っているのにと言われる。
高宮のような大量殺人者には自分が世界を変える要素の人が多いのか?
それでもそんなことは伝え聞こえることはなく、精神異常者ではあるが、罪は罪として罰せられる世の中だ。
そう、高宮も最初に「自分は統合失調症だ」と言っていた。
なら何をやってもいいってわけではないだろう?
知能犯というのか?一般的な「常識」が通用しない人種との対話は厳しいだろう。
ヤクザの組長の吉田の予想通り、12月の末に佐伯自身初めての刑の執行立会が決まる。
6人の誰が?
どういう基準で決まるのかわからないが、それを知ってからも死刑者と対面する佐伯。
高宮に対し、「自分は高宮さんが怖かった。なぜかと言えば高宮さんのことを知らないから」と言う。私がもし高宮の立場だったとしてマニュアル通りで接してくる佐伯に対して高宮と同じような態度を取るかもしれない。そこにある本音とかがこちらもわからないから。
でも、佐伯のこの言葉で高宮は少しだけ佐伯の言葉を受け入れる。
佐伯は高宮と寄り添っていきたいと言う。
他の死刑囚に対しても同様だが。
一番すごかったのは佐伯の兄役の少年だろう。
名前はわからないのだけど、大人になった弟大杉漣さんに兄として接しなければならない。
タメ口で兄でという関係性。
いくら役とは言ってもすごいなぁ〜って思った。
その兄から「嫌なら逃げればいい」と言われても佐伯は寄り添う気持ちを固める。
死刑執行。
立ち会うということが出来る精神力ってどれだけのことだろう?
最後に少しだけ拘置所以外のシーンがあり、妻との会話がある。
そこには受刑者にはお酒はしないと言っていたが、お酒の飲み過ぎを窘められるセリフがある。
求められる像があるのか?
最後は一人歩いてフェードアウトしていくシーンで終わる。
エンディングに音楽はない。
何か大杉漣さんそのものを見送っているそんな感じになっている。
あまりにも突然の別れで66歳でまだまだこれからいろんな作品を観せてくれると思っていただけに悲しみしかない。
そして今日から「日日是好日」も先行上映が始まった。
樹木希林さんの死も同様に悲しいが、樹木さんは自分の余命を受け止めて仕事をセーブするのではなく出られるものには全て出て逝かれただけにちょっとだけ違う感情がある。
樹木さんが残したかったものが作品に盛り込まれているような気がするから。
大杉漣さんの作品はまだこれからも出演するという雰囲気しかないから。