【洗骨】感想。理解できる人間ではなかったかもしれない。

風習という日本の文化

奥田瑛二、筒井道隆と言ったら、80年代から90年代にかけてのいわゆる「トレンディー俳優」

その二人が、歳を重ね、いい意味で年齢相応の俳優として居る。

そして監督がガレッジセール・ゴリが本名の照屋年之で脚本から手がけた作品。

よしもとだけど、笑いはあるけど、そうではない日本がある。

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笑いのポイントがわからない

そんなに多くのスクリーンで公開されているわけではない。

だから案外満席。

年齢層は団塊の世代くらいだろうか。

沖縄の粟国島という島。その名前も初めて聞いた。

沖縄に行ったことも行きたいと思ったことも実はない。

どちらかと言えば、自分はなぜか北海道を目指すタイプだからだ。

お葬式の場面から始まっている。

そこに近所の人が物乞い的にいろんなものを物色していく。

それを笑いに取る人もいるが、私はあまりいい気持ちがしない。

そして亡くなった存在はあまりにも大きかったということが全体を通してわかることだ。

妻という存在。母という存在。

妻を亡くした夫が奥田瑛二だ。知らない間におじいさんに近いおじさんになっている。

妻に先立たれた現実逃避をしている夫ということで余計に影は薄い。

しかもアルコールに逃げている。

子どもが筒井道隆と水崎綾女。この二人の年齢差が気になるわ。

この地域の風習「洗骨」は火葬をしない。死者を小さい木箱に入れて風葬にするというもの。

だから木箱も小さく、膝を抱えた状態で収められている。

それから4年。

子どもたちが島に戻る。

父は現実から目を背けたまま、娘が戻って少しだけ我に返る。

その娘がいきなり臨月状態だったから尚更かもしれない。

その聞き方とかがこんなお父さん居るんだろうなぁって思わせる。

男性はなぜ妻が居なくなると腑抜けになるのだろう?妻を母として頼り切ってしまっているからなのか?

そこに兄の筒井道隆も戻る。葬儀に居た妻子の姿はない。

父の姉の存在が大きい。

弟が腑抜けの状態であっても姉として支える。そして姪が突然妊婦姿で登場しても最初は慌てるが、陰口を叩いている地元の人間には毅然とした態度で接する。

長女は美容院の店長との間に出来た子どもだという。が、結婚はしないと。

島から名古屋の美容院で働く中で、技術以上に甘えられる存在を確保したかったという。

わからないでもない。

それが、他の人からみると「なぜ男に責任を取らせない」となるのだが。

突然そこに男が現れる。

久しぶりに見たわ、鈴木Q太郎。ロン毛に変な口ひげのまま、それでも島の常識と本土の常識とのすり合わせをする役どころと言える。

父親と息子の関係も年齢を重ねると変わってしまう。

父親は強い存在であっただろうが、次第に衰えてきて息子の方が強くなる。

父の借金を息子が返したことでより一層父親は息子に何も言えない。

父は妻の死を直視出来ない。

それでも周囲の人の支えで「洗骨」の日を迎える。

島の境で「あの世」と「この世」があるという。

人々が暮らすのが東側。日の出る方で、この世。

西側は死者の世界であの世だという。

幼い子どもも一緒に洗骨を経験していく。

きっと一番後ろで見ていた人がだんだんと前の方へ行き、最後は最前列で執り行うのだろう。

そうやって風習が継承されてきたのだろう。

洞窟の入り口。石が積み上げられている。それを一つ一つ下ろす。

中から木箱を取り出す。

中には風葬されたお骨が。

それを一つ一つ、キレイに洗い流す。

「怖くないんですか?」

火葬でお骨上げをする行為と4年の月日を待って洗う行為と。

「怖い」という感覚はどちらもある。だって、同じようにしていた人がある日突然違う世界に行ってしまい、それまで同じようにしていた肉体が骨だけになるわけだから。

「洗骨」を子どもの頃から一緒にやっていたら、人を敬う気持ちや尊ぶ気持ちやその他いろんなことが育まれるのだろうなぁって思った。

こういう風習を大切にしている地域ではきっとイジメなんてないだろうし、人殺しもないのだろう。

ガレッジセールのゴリが監督になって作品として伝えたかったこと。

それが詰まっている。それは間違えない。

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