【映画 ひとよ】感想。親子とはを考えさせられるものが増えている

ヒューマン映画が増えている?

最近、見ている邦画は「親子」という言葉がキーワードになっている気がする。

今を生きている昭和・平成世代の違いとか核家族化してからの家族のあり方とか。

親に依存した人生

「ひとよ」に出てくる稲村家の子供3人は結局、母親の行いの犠牲になったと思って15年を生きてきた。

15歳くらいからの15年と30歳からの15年ではきっと重みが違う15年なのかもしれない。

母親がしたかったことは、子供を守ることだっただけだと思う。

それでも、子どもたちは世間のバッシングで自分たちも母親の犠牲になったと感じてしまう。

それは社会の問題か?

田中裕子演じる母親こはるは夫をタクシーではねて殺す。

3人の子供に恵まれたはずの家族に何があったのか。そこには夫の子供に対する激しいほどのDVがあった。

3人の子供それぞれが怪我をおっている。

それを父親がしたということであればかなりの問題だ。

今から15年前って設定だったのだろうか?

それでも幼児、児童に対する虐待に対して国がどうにかしようと重い腰をあげたように見えるが、現実、こんな父親はきっとたくさんいるのだろう。

ドラマなどで観ると、政治家や官僚といった部類の人間はストレスにはけ口を家族にむけるケースも少なくないように描かれる。

それは現実問題としてあるのだろうと私達は思っている。

そんな人達が本気で少子化問題だとかこういう虐待だということに目を向けるなんて思えないのだけど。

まぁ話は戻って・・・

夫を殺めたこはるは子供に「これからは自由に自分の好きなように生きて」と言い残し、15年したら戻るといい、出頭する。

長男大樹を演じた鈴木亮平。吃り症があり、なかなか意思を伝えられない。子供時代の大樹の方が吃りがひどかったから、もっと大変だっただろうな。

長女園子を演じた松岡茉優。うーん、女優としてはきっとこの年代としてはいいのだと思うけど、個が強すぎるから今後、どう使われていくのだろう?と思うが。今、活躍している監督さんには昔の監督さんのような威厳がある方というのがいらっしゃらないように感じるんだよね。

だから、なんだろう?なんでもありな感じの成長になってて、ちょっと気の毒かもしれない。

ベテラン女優さんにはいずれの時代にも厳しく接してもらったと言う監督さんが存在し、そして、女優としても人としても魅力を感じるのだけど。

その「人」としての魅力をと思ってしまう。いい女優さんになれると思うから。

次男雄二を演じた佐藤健。次男ではあるけど、吃り症の兄の代わりに発言し、行動する。

母親が事件を起こしたときには父親の虐待でかなりの負傷をした姿で、レコーダーに何かを吹き込んでいた。

それぞれの15年。

親の営んでいたタクシー会社はこはるの甥の音尾琢真演じる進が名前を変えて引き継いでいた。

そこに新規で採用となった佐々木蔵之介演じる堂下。

音尾琢真が白石監督作品で普通以上に普通の役ってほんと珍しい。今までなら千鳥の大悟の役が音尾琢真だった?って感じなんだけど。

いい人役で良かった良かった。ほんといい人なんだよね。

そこには変な髪型の浅利陽介演じる歌川などがいる。

雄二の妻の二三子がMEGUMI。MEGUMIが最近、出突っ張り状態じゃないか?

今年3作品目。

この年代でこういう雰囲気を演じられる女優さんが他にいないかもしれない。

あと、小池栄子もドラマや映画で出突っ張りだわね。グラビアアイドルだった彼女たちの需要が今、女優としていい感じ。

しかもいろんなところで同じような感じなんだけど、どこにでも居そうな感じなんだよね。

今回の二三子って役も吃り症の大樹と意思の疎通を取りたいだけなんだけど、うまくいかずに空回りして、離婚届まで書いてるけど、本気で怒らせた大樹に「そうじゃない」と矛盾することを言うという・・・

あるある

女性ってそんな生き物だ。うん。

15年後、母は戻る。

突然、戻り、子供たちはそれぞれ大人になったものの受け止めきれずにいる。

中高生で突然両親がいなくなった兄弟。

きっと施設などに入ることなく、家で周囲の協力で卒業をしたのだろうと推測できる。

それでも、誹謗中傷にさらされてはいたのだろう。

「殺人者の子供」というレッテルが貼られていたのだろう。

それでも母親は彼らを守りたかったのだ。それがどこかで歪められて自分たちまでが母親の犠牲になった気分で母親と対面した子どもたち。

娘は母親の気持ちが少しは理解出来るのか、かなり早い段階で受け止める。

大樹も親の立場であるから「母親は母親だ」と雄二に言う。

雄二の態度は第3子というところなのか?一番、頭が良かったという設定だからなのか?

母親の登場を疎ましく感じ、自分の飯の種にする。

フリーライター。

母親を子供を守った「聖母」と書いた記事に対抗するように「聖母は殺人者だった」と身近だからこその情報を含めた記事を掲載する。

そしてタクシー会社に誹謗のビラが貼られる。

雄二は母親に「なぜ戻ってきたのか」と冷たい目を向ける。

母親は「私は間違ったことはしてない」と断固として言い放つ。

堂下に「私が謝ったら子供が迷子になる」と言う。

堂下にも別れた子供がいた。突然、会いたいと言われて、17歳になった息子と対面する。

その夜のことをほんとに喜んでいたものの、後日、息子がシャブの運び屋になっていることを知る。

息子は「あんたのせいだ」と更生しようとしている父親にむかって言う。

更生しようとしていた堂下は、お酒を飲みながらタクシーを運転し、こはるを乗せて走っている。

それを知った子供は母親を助けるためにタクシーを探す。

「子供は親のしたことを認めずにいつまでたっても親のせいにしている。」

こはるに対する子どもたちの態度から自分と同類だと言い、道連れにしようする堂下。

子どもたちは体当たりで阻止する。

やっと母親に対する気持ち、自分たちが変わらなければならないことに気づく子どもたち。

30になってやっと気づく、自立なんじゃないか。

いつまで親の責任で子供は育つのだろう?

親が犯したことまで責任を負わされる必要はないが、日本という国はなぜかレッテルを貼る。

いろんな現代の歪みをあぶり出している作品じゃないかな。

まぁやくざものよりはいいなと。