大人になりかけの芦田愛菜
ついこの前まで子供だったのに、もう高校生。
映画の中では中学3年生。まだあどけなさを感じるが、苦しさが伝わる演技に将来が楽しみになった。
信じる力
この映画の軸には「信じる力」というものがあるらしい。
中学3年になった芦田愛菜演じるちひろは、両親は大好きではあるが、自分を取り巻く環境で、両親の宗教観は受け入れられない。
それも自分のせいで宗教に傾倒してしまったという事実。
今の世の中の弱さに宗教が入り込んでいるのだろう。
幼児期の発疹で悩むケースは多いのだろう。
昔だったら、周りにもっと多くの経験者が居て、きっといろいろな相談にのってもらえたのだろうが、核家族化の弊害はなかなか個々のケースにどこまで誰が介入できるのかということだろう。
困りきった若い夫婦。
そこに本来なら「怪しい」と思うものも、タイミングだっただけ?
水道水がただ合わなかっただけ?
それだけのことも視野の狭さで全幅の信用をおくようになってしまう。
親と自分と宗教。
親は自分の信じているものは子供にも信じさせようとするのだろう。
子供は同じ状況の人たちとの交流だけだったらそれを信じ続けられるが、学校へ行けば、友達はそんなことはない。
ちひろの友達はそれでも、そんな彼女の状況を知っていても彼女を特別な目で見てない。素敵な友達。
父親が永瀬正敏、母親が原田知世。
原田知世が母親役をするたびに、あぁそうよねと思ってしまう。
母親の兄の雄三おじさんが大友康平。
雄三おじさんはちひろの両親の洗脳を解こうとするが、成功には至らない。
姉のまーちゃんは家を出ていった。
姉は洗脳されてないということだろう。ただ、洗脳されている両親を見ていることは辛い。
まーちゃんがちひろにコーヒーを飲ませてあげる。
「BLEND」?「BLENDY」じゃないのね。
両親の信じる宗教ではコーヒーは宇宙からのパワーを下げるので嫌煙されるらしいから本来は飲める状況ではない。
宗教は世間と交わろうとはしないものなのか。
他の人の目を気にせず、両親は緑のジャージを着続け、公園で頭に水を浴びる。
ちひろの初恋?の数学の教師南先生役が岡田将生。居そう・・・
ちひろは数学の授業中ずっと似顔絵を描いている。
ある時、ちひろの友達のなべちゃんとその彼氏の新村くんの計らいで、南先生に車で送ってもらえる。
が、南先生はちひろの両親をちひろの親と思わずに変人扱いをし、暴言を吐く。
心を傷めるちひろ。
それでも、両親を嫌いになるわけにはいかない。
が、自分が両親のようになることは出来ない。
南先生がちひろの担任の代わりにホームルームをしにくるが、生徒はまるで何も聞こうとしない。
突然、南は切れる。
その矛先はちひろの行動。授業中にずっと似顔絵を描いていることを非難する。そして、水の存在も。
まぁ学校の先生なんてそんなものよ。
集会?で初めて両親とは別々のバスに乗り、別々の部屋となったのか?
段々と不安になってくるちひろ。
宗教団体のメンバーの黒木華が・・・どうした?ってくらいむくみが気になった。
でも、黒木華のようなタイプ・・・安心させるよね。人を。
施設の中を母親を探し回るちひろだったが、部屋で待ってたら?と言う言葉にやっと部屋に落ち着く。
そこに母親が来て、両親と星を見に森の中へ。
一緒に流れ星をみたいという粘るが、唐突に終わったよね?
うーん、で?どうなるの?がかなり残る結末で。
私は、親は親、子供は子供なんだと思う。
ある一定の年齢に来たら、そこからは子供の自由判断で宗教からも離れられるくらいの距離感で居させるべきじゃないかって。
「私の居場所はここしかない」
ような宗教にしてはいけない。
海外では無宗教の方が珍しいのだろうけど、それでも、日本のようにどっぷりって感じにはならない。
日本は宗教をしている人はなんかみんな「洗脳」されてどっぷりはまるようなイメージしかない。
だって、キリスト教で怪しい水を売るとかって聞いたことないよね?