【小説 サイレント・トーキョー】原作を読んでみた

誰がメインなんだろう?

映画では佐藤浩市演じる朝比奈仁が主演だった。

が、あまりにも登場シーンが少なく、キーパーソンではあるが、主演なのか?って感じしかなかった。

原作でもそういう印象は受けなかったかな。

誰が主役だったのだろう?

だからと言って、この作品の主軸は誰だったのだろう?

主軸にあるのは

「これは戦争だ」

とした人になるのだろうが、原作ではそこが詳細に描かれている。

映画を観てどこまでが感じ取れるだろう?

まぁ半日で読み終わるくらい読みやすい作品であった。

それを99分に押し込めた脚本はすごいと思った。

原作にはないシーンが映画では入っている。

そうでもないのか?

原作でも描かれて入るけど、場面が変わったということになるか。

私の映画を観て思った疑問。

なぜ来栖公太を山口アイコは選んだのだろう?

原作でも特には書いてなかった。無作為に選んだ相手がただ来栖公太だったってことになるのか。

原作はもっと悲しい感じだけど。

知らない方がいいことが多い。

そして中村倫也演じる須永基樹がぴったりだなって感じで。

原作で70mがなぜ映画では50mになったのだろう?

ちゃんと計測したらってことなのか?

原作の方がもっと悲惨な感じがする。映画化するに辺り、そこまでの悲惨を描けなかったってことか?

1000人のエキストラがスクランブル交差点のセットで撮影ってだけでもすごいけど。

あれ、やっぱり作り物だったのね。

CGなのか?とか思ったけど。

「自分だけは大丈夫」

この意識だけはこの映画を観て多くの人が正すべきだと思うね。

今このとき、コロナという目に見えないものがどこにあるのかわからない。

自分がいつどこで取り込まれるのかわからないということを認識すべきだ。

爆弾という目に見えないもの、場所と時間を予告されても「他の人がこんなにいるのだから」と集まる集団心理で正常とは思えない行動をする人。

居ないとは言い切れない。

だから緊急事態宣言が出て、行動を規制されたのに、コロナを撲滅させられなかった。

どこかで誰かが「自分は大丈夫」と行動して拡めた結果なんだと思う。

そして、これからもこの思いを持つ人が減らない限りなくならない。

そうしたら世界はどうなるのだろう?