【映画 痛くない死に方】感想。あ、岳父との共演なんだ

宇崎竜童さんの魅力

75歳。それでも病人役とは思えないような身体の肌ツヤ。

魅力がそうさせているのかもしれないけど。

柄本佑と岳父、奥田瑛二さんの共演だったんだ。

奥田瑛二さんの魅力も

奥田瑛二さんと言えば、やっぱり最初のイメージは「男女七人夏物語」の野上がまだ強く残っている。

あれから・・・もう35年。二人の娘さんも立派に成長されているわけで。で、次女の安藤サクラさんの娘婿の柄本佑さんと共演しているわけで。

もう現実に問題となっているのだろう「在宅医療」という選択。

最初の家族の例は誰得にもなっていない「失敗」としての例だったのだと思う。

坂井真紀演じる智美が肺がん患者の父親のために「痛くない在宅医」として柄本佑演じる河田に託したわけだけど、それは失敗だった。

何が失敗だったのか?

私は見ていて「在宅医療」とはなんだろう?とずっと思っていた。

ガンの末期で病院で延命治療をするという選択肢はないとしても、在宅で素人の家族がどこまで介護をできるのか?

きちんとした国家資格を取得した看護師数名で対応してもらえることはある意味、「幸せ」ではないか?この「幸せ」は誰に?ってことになるのだけど、やっぱり看護する側にとってだと思う。

延命治療をしない

その選択は入院をしないということになるのが現実なのか。

それでも、呼吸が苦しくなれば病院へ連れて行って欲しいと懇願され、連れて行く。受け入れをしてもらえない中、それでも病院は倒れたと言われたら受け入れ、相応の対応をしてくれる。

が、すぐに「延命治療は結構です」って言われると・・・医師はどう思うのだろう?とも思う。が、まぁ本人の意思を尊重するというのが「在宅医療」の理念なんだろうな。

「在宅医療」を「あぁ良かった。」と言えるケースはどのくらいなのだろう?

河田という医師がもし、自分の在宅医として紹介された場合、拒絶できるだろうか?

病院にも見放されているように感じ(勝手に病院から離れているわけだけど)そんなに数がいるとは思えない在宅医を「選択」できるのだろうか?

そしてこれから先、在宅医は増えるのか?

在宅医療と言っても核家族化が進んだ現在、どのくらいの割合で「在宅医療」が実現できているのだろう?

智美を見てて思ったのは、親はなぜ娘にこんな思いをさせてまで自分のエゴを貫くのだろう?だった。

在宅のメリットが何も得られない環境で智美夫婦が交代で寝ることもままならない状態でなぜ在宅なんだろう?

在宅医は同時に何人の方に対応するようにしているのだろう?

個人で考えた場合、同時に体調を崩した場合、優先をどうするのだろう?とか。

結局、在宅医も看護している家族も自分のことがどこかへいってしまう。

寝る時間すらもまともに与えられない。

離婚した妻を責めるのはおかしい。医者と結婚し、ウハウハだと思っていたら、突然時間がめちゃくちゃな在宅医になったら、私も支えられるとは思えない。

まぁそれで慰謝料を請求するのもおかしいと思うのだけど。

智美は一人父親の痛みと向き合い、先生に助けを求めるも反応が違う。自分が想像していたのとは違う。父親の死。先生へ吐き出す言葉。「殺したのは誰ですか?」

その言葉で河田は「在宅医」とはどうあるべきかに向き合うことになったのか?

奥田瑛二演じる長野に相談する。

奥田瑛二さん自身が妻の安藤和津さんのお母さんの介護を少し手伝ったりしていたような感じだったけど、そういうこともあるのだろうか?すごい温かみのある「在宅医」になっていた。

確かに、長野先生のような先生に在宅医になっていただけたら、きっと幸せな最期を迎えられるのかもしれない。

それもきっと数々の看取りを経験したからなのだろう。

河田先生も長野先生のクリニックで模索を始める。

そこからやっと河田先生が「在宅医」として大切な考え方を学んでいく様子がわかる。

在宅医になろうとする先生はというか、医師という職業の人は「真面目」な人が多いと思う。

頭が良い人

ってことになるのだけど、「いいお医者さん」と「そうじゃないお医者さん」の差はなんだろう?

きっと人を好きかどうかなんじゃないかなって思う。

河田先生も智美の父親の病気をカルテの通り「肺がん」の末期だと思い込んだが、きちんと患者と看ていたら、違う症状が見えたのではないかと言われる。

河田先生も最初はただ「居る」だけという感じでしかなかった。

それが長野先生の影響で変化していく。

宇崎竜童さん演じる本多彰の在宅医療を開始する。

在宅看護の看護師に余貴美子さん。余さんも・・・若い。

本多との時間は1ヶ月半だったということだったが、濃密な時間が描かれる。

きっと患者側、それを介護する妻の努力もあったと思うが、一人で看護した奥さんへの事前のレクチャーもきっと良かったのだと思うが、自宅で看取ることが出来た。

在宅医療の最終目的は自宅で看取られることなのだろう。

まぁ病院へ行くとなぜか1分1秒長く生かそうとする努力をされる場合がある。

それは誰得なんだろう?

そんなに大きくないシアターだったとは言え、ご年配のご夫婦が多かった。

彼らはどう感じ、自分たちに反映させるのだろう?

自分はどうする?と思った時、いろいろ考えることはある。

私は自分を検体したいと思っている。検体じゃなくても使える臓器は提供したいし。

ってことになるとやっぱり病院で終わらないとってことになるんだよね。

まぁ在宅にこだわりはない。

夫に看取りをしてもらいたいとも思ってないし。

在宅はないな。

ってことをやっぱり生きると同じくらい考えておく必要があるなと思う。

終わり方を決められる世界になってほしいけど。