ラジオやリアルボイスというもの
今週から高尾美穂先生の「リアルボイス」を聴く習慣が増えた。
ま、先月までは西野亮廣氏のVoicyだったのだけど、熱が冷めたこともあり、別物で。自分の調子が下向きの時に、あまりにもポジティブな思考は痛い。
リアルボイス
10分ちょっとの時間でいろんな形で相談にのるというもの。
ジェーン・スーの生活は踊るの相談コーナーもそうだけど、なんだろう?
人はどうして公共のもので相談をされたがっているのか?ってこと。
しかも見も知らずの方に自分の内面をさらけ出すという行為が自分にはない感覚でとても「すごい」と思う。
自分は逆に「自己肯定感」は人並み以上にあるのかもしれない。
父母を幼少期に亡くしているという経験はそうあるものではないが、私はそれを悲観したことはない。
他人から見たら、そういう体験をしているからどうだってことを言われるが、じゃあ、父母が居たところでどのくらいの割合で「私は幸せだった」って言える大人になってるの?
多くの人は、自分の両親との関係に苦しんでいることを吐露する相手として、ラジオなどで相談をしているってことなんだよね?
育ててもらったという恩を着せられて、窮屈な人生になっている人がかなりいるんだなぁ〜ってことを知ったわ。この1年で。
それまではラジオを聴くなんて習慣もなければ、他人の相談を聴くなんてことはなかったから。
他人の相談を聴くのはかなり苦痛なんだけどね。
ラッキーなことに今の現場はその時間、ミーティングなのでさすがに聴かなくて済む状態になったのだけど。
相談にのっている方もすごいわ。
人間としての器の大きさを感じる。
私には他人を思いやるという部分も欠如しているのか、嫌なら逃げたらいいって一択しか思いつかない。
仕事にしてもそう。
なぜ、モラハラ・パワハラ・セクハラを受けてまでその会社に居なきゃいけないのか?
私は自分に対して努力は惜しまない。
嫌なところにいるのは出来ないから、勉強して動くことが可能な生き方をすることを選択しているし、「自分なんて無理」とかってことは思わない。
自分が自分を信じないで誰が自分を守るの?
もうさ、エヴァンゲリオン見てて思うポイントってシンジの「僕なんて」って言うネガティブさ。はぁ〜?だったら何でここに居るの?ってアスカみたいに言いたくなるものね。
って、感じで相談内容に対して、独り言を言っているわけです。
「なんで逃げる努力をしないの?」って。
嫌なら逃げたらいいじゃない。自分の人生なんて自分のものなんだよ。
誰に何を言われたって、自分が自分の人生を楽しまなきゃ生きてる意味なくない?
人は一人では生きていけない。とかってもっともらしことを言う人もいるわけで。
じゃあ、どこまでの自己犠牲をしなきゃいけないんだろうね。
他人は自分の人生をどうにも出来ないのだから、たとえ親だとしても、自分が自分をセルフプロデュースできるだけの力をつけなきゃいけないんだよって言いたいわ。
親に自分の介護のために育てられたって思って生きる人生って楽しい?
育ててもらう期間は20年もない。
でも、親がそうそうに病気になったら、その後何年ケアしなきゃいけないの?