彼を止める力にならなかったのか
76年前に原爆が投下された日と同じ日に公開となった作品。
この作品が持つ力はとても大きかったと思うのだけど、それでも彼を止める力にならなかったことがきっとこの作品に携わった多くの人が思っているんだろうな。
舞台挨拶でも彼がいないことを悲しむコメントが出て、彼をみんなできちんと思い出してることが素晴らしいと思った。
忘れてしまうことが悲しいから。
原子力爆弾を作ること
太平洋戦争の大義は誰にもわからない。
この作品って実話なのね。
すごい話だ。
研究室で科学者として研究を進める人たち。
それは「正義」なのか?なんてことを思ってはいけないのだけど、そこにはいろんな葛藤がある。
同級生が学徒出陣しているのに、自分は何をしているのだろう?と自ら戦地へ行こうとしていたのが葉山奨之くんだった。なんか細くなった雰囲気。
でも、彼は戻されてしまう。科学者として生きることを強いられる。
方や、三浦春馬くん演じる裕之は死ににいくための仲間を見て次は自分も行かなければいけないという思いを抱えながら出せずに恐怖から自分から海へ入ろうとする。
生きていることの意味がそれぞれに深い。
日本はどうしてアメリカに勝てると思えたのだろう?
アメリカは日本の象徴的な箇所は守った。
でも、日本はきっと逆のことをしたのではないだろうか。
そのことで京都に落とされるという噂が流れて、まさかの高みの見物をしようとまで思う気持ちは理解は出来ない。
母親はそれでも息子を否定するのではなく、自分たちだけ避難することはしないと言う。
そして、弟と同様に大きなおにぎりを作る。
京都は配給ではなかったのか?なんか食料不足がそこまで深刻な様子ではなかったのだけど。
母親の田中裕子さん。いい雰囲気の母親役はこの方以外いない感じがしてしまう。そして、沢田研二さんと雰囲気が似てきたなって。結婚した当初はかなり週刊誌をにぎわかした二人だったけど、一緒になる二人だったんだなってことか。
研究者の人たちは純粋に自分たちのために研究をしていたのだろうと思う。それが兵器となることは頭のどこかにあってもそれ以上に研究すること実験することへ魅了されていく。
それぞれがそれぞれの目的を持っている。
だから広島に原爆が投下されたことを知ったあとの表現が様々だった。
それでも広島に赴き、自分たちが何を作ろうとしていたのかを知ったときの衝撃もあったのだと思う。
作品の中でなぜ作るのかと問われた先生が言う「未来の平和のため」というセリフは正しいのかもしれない。
核兵器がどこの国にもあり、日本だって原子力の力なくしては生活が出来ない状態になっている。
そして私が生まれて死ぬまでは戦争を経験しなくても済みそうである。
それでも代償が大きすぎたのも事実だろう。
でも、それは日本が研究をしてなかったら被害者意識を前面に出してもいいと思うが、日本がもし戦争をしかけなければ、最終的には原爆投下を受けることもなかった。
原爆投下をしなければ日本はもっと多くの犠牲を国民に強い続けたのだろう。
だからアメリカがしたことは正しいとも思わない。
結局犠牲になったのは国民なわけで。
を考えてしまう作品ではあるが、やっぱり日本が今後戦争をしない国であり続けるためにもこういう作品を若い世代の人がしっかりと見て感じておくべきだと思う。
作品の中で三浦春馬くんのセリフをそのまま生身の彼に伝えて欲しいってほんとに思った。
それでも、作品の中で彼は輝いている。そして舞台挨拶でもきちんと彼のことを言っている。これからもきっと生き続ける。