ことわざ
桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿
タイトルを見た時、梅って切っていい樹木だったような・・・
どういうことなんだろう?って思ったのだけど。
深いわ。
相手のことを知ろうとしないこと
ことわざの意味としては
樹木の剪定には、それぞれの木の特性に従って対処する必要があるという戒め。転じて、人との関わりにおいても、相手の性格や特徴を理解しようと向き合うことが大事であることを指す。
ってこと。
今の時代でもまだ自閉症という人の特性を知らない人が多い。
私は、多分小学校から高校まで過ごした地域が忠さんのような方が生活する施設が集まった場所だったから、彼らの個性に驚くことはないと思う。
それでも、施設のスタッフの人になれるかと言えば、それは無理なのだけど。
まぁそれは別に自閉症の方だからということではなく、他人のお世話をできる人間の器を持ってないなと思っている。
それでも、攻撃しようとは思わない。
だって、明日は我が身かもしれない。たまたま私は健常者というカテゴリーで生をうけた。それはただ本当にラッキーだっただけじゃないだろうか。
日本はなぜか健常者の心が貧弱だ。受け止める器を育てる土壌がない。
でも、難しいのだけどね。
今の子供は自閉症までいかなくてもグレーゾーンの人が増えているという。
昔は特殊学級というクラスがあって1学年に片手くらいの子が居た。
でも、彼らは学習障害ということであって、絵を描かせたらすごい才能を出したりしていた。
自閉症の人はさすがに公立中学校での受け皿はない。
それでもそういう子供を授かった人は器が大きかったのだろうか?
大きくならざるを得なかったのだろうか?
加賀まりこさん演じる母親は50になった息子と二人で生活をしている。
塚地さんが・・・ほんと違和感なく自閉症の人のようだった。
そして息子に寄り添う母親。
きっと日本には多いんだろうなと思う。
ひっそりと生活しているのだろうか?
地域に溶け込めているのだろうか?
珠子さんは息子のために謝ることができるが、それでも力強さを感じられた。
グループホームへ入所させる。
それは、親離れなのか?子離れなのか?
隣に引っ越しをしてきた家族。
うわぁ〜どこにでも居そうだわ。
それでも子供がすぐに忠さんと友だちになる。この親はいい育て方をしている。親が子供に間違えた情報を与えることで、子供は自分と違う個性を受け入れられなくなる。
そうた君はいい子だ。
忠さんが馬が好きだということで、やってしまったことは見ているこっちがハラハラしてしまう展開でそのままやっぱり問題になってしまったが、それでも、きちんと両親にそのことを言えて、きちんと謝ることをしたこの家族は正常だ。
多くの場合、「ばれなければいい」という無責任なことを教えて、その後の子供の方向性を間違えさせる。
近所に自閉症の方がいることをどう受け止めていいのか。
過剰に反応せず、他のご近所さんと同様にできることが求められているのかな?
みんながすごい演技で演技っぽくなくて。
加賀さんが結構番宣でご出演されて今になって知ることとかもあって、映画のこととか言ってた場面が「あぁ、ここかな」ってあって。
きっと母親だったら納得する対応だったと思うんだよね。私も。
母親したことないけど。
この映画を多くの人がみたいと思うような国になって欲しい。