ダンサー田中泯
私が田中泯さんを認識したのは、2015年に放送されていた朝ドラ「まれ」だった。
初めてちゃんと見た朝ドラに出ていた田中泯さんのイメージはとても強かった。
ダンサー
田中泯さんを知って、「え?何をしてきた方なの?」って調べたら、「ダンサー」だった。
え?ダンサー?
その時、すでに70過ぎていたから、私の価値観の中で驚き以上のものがあった。
だからと言って、ダンサー田中泯を知る機会はないまま、その後、私が見る作品で俳優田中泯として目にかかる機会が増えていった。
そうしたら、この作品が上映されるという。
田中泯さんのダンスとはどういうものなのか?
これってクラファンで資金調達した作品なんだ。
そこまでしてこれを作品にする熱意は納得する。
田中泯さんの「ダンス」は私の知る「ダンス」とは違う。
場踊り
という表現そのままに踊る人間、見る人間で作るものだと言う。
1970年代、80年代、日本では彼の踊りを芸術として評価する土壌はなかっただろうなって思える。
今もどのくらいの人が理解できるだろう?
私も理解しようとする自分がいることに違和感があった。
多分、理解するとかしないとかそういう思考の外にある世界なんじゃないだろうか。
だから海外で受け入れられる。
受け入れられる場面が切り取られているからかもしれないけど、日本よりは受け入れられると思える。
田中泯さんの演技には惹きつけられるものがある。
それは田中泯さんの中で培ってきた「ダンス」の延長線にあるものなのかもしれない。
田中泯さんは一人で踊っているけど、一人ではないと言う考えがあるから、演技でもきっとそれがにじみ出ているのだろうと思う。
そして70を過ぎて、なぜまだあの動きができるのだろう?
お顔、手は日焼けによる刻みがあり、年相応の雰囲気を受けるが、肩、腕の筋肉、ふくらはぎには柔軟性を感じる。
あんなに小刻みな動きができるの?
桃花村と言う場所で富士山を眺めながら、農業を営み身体を作る。
ダンサーとしての身体ではなく、生きるための身体をダンサーとして使っている。
多分、これってどのスポーツでも通用する考えなんだろうけど、それができる人は少ない。しようと行動する人もいない。
だから田中泯さんは年齢を重ねながらも動き、感動を与えているのだろうと思う。
芸能人のコメントの最初が大泉洋さん。そう、私は大泉洋さん目当てで「まれ」を見たんだよね。
田中泯さんを見ているとクリント・イーストウッドさんを感じる。
まだまだこれから多くの作品を作り出すんだろうなって。