昭和という時代
1968年に生まれた次女のために家族が団結して人工心臓を作ることを始める。3人姉妹で次女への愛情を抽出した作品ではあるのだけど、長女、三女ともに「きょうだい児」のはずだけど、そんなこともなく、家族が団結している。
昭和という時代だから?
信じること
大泉洋演じる坪井と菅野美穂演じる妻。冒頭のシーンは結末のシーンに繋がる。
その間の物語。
次女が重度の心疾患であることで父親は家に帰ることもままならないくらい働く。が、9歳の時点で手術は出来ないと言われ絶望の淵に立つ。
父親がビニール製品樹脂工場の経営者でありビニール製品についての知識があったこともこの家族が突き進む土台だったのだろうと思う。
「次はどうするの?」
妻のこの言葉に夫はただただ娘を助けるために突き進む。
名古屋から東京までを何回も往復し、心臓センターの教授に人工心臓の共同研究を許諾させる。
そして、自費で機械を調達し、大学に潜り込んで講義を受けて知識を得ながらひたすらに人工心臓を作る。
いよいよ実用化となった段階で突然、心臓センターの教授は手の平を返す。
今でこそベンチャー企業とかでも技術力があればって感じになりつつあるのだろうけど、昭和の時代、しかも後半ともなると高度成長期とは違って元来の「保守」的な要素でどうにもならなかったのは想像出来る。
しかも次女の体調も手術を出来る状態ではなくなってしまっていたことも「娘のために」とそれだけを信じて突き進んだ父親にとってはどんな心境だっただろう。人間が小さかったら、勝手に他人に責任を転嫁していてもおかしくないような状態だ。
次女はそんな父親の苦悩を見て「私のことはもう大丈夫だから。他の人を救って欲しい」と願いを託す。
その言葉に父親はまだ日本国内で製造されずアメリカ製で事故が多発していたバルーンカテーテルの製造に乗り出す。
この家族を取り巻く人々がすごいなぁと思う。会社としての仕事と社長が個人でしていることをきっちりと区別し、個人でしていることに対して口出しをしない。それは会社の仕事なのか?とかって不満を持つ人間は退社をするが、残る人が結果、社長のことを支えた感じということになるのだろう。
人工心臓の時に研究で培った技術を応用し、日本人向けのバルーンカテーテルが完成するが、心臓センターの教授は人工心臓の時同様に無名の会社の作ったものを使えないと追い返す。
それでも、一緒に研究をして来た人が緊急で搬送されてきた人に使ったことがきっかけで一気に広まっていく。
人工心臓を共に研究していた医師が自身の現場で使い始め、とうとう教授から謝罪を受けるところまでいく。
すごい家族だと思う。
まぁ作品としてすごいと思うのは川栄李奈が長女でなんと高校生役までしてたってことかな。
あと昭和の雰囲気がすごく感じられて、聖子ちゃんカットだったり。
それからわずか10年足らずで受賞を受けるようになるわけだけど、その時のテレビリポーター役が有村架純で少し違和感。テレビリポーターが物語に関係するように思わなかったから。
それでも、有村架純演じる山本結子がかなり重要な人間であることが告白され全ての努力に無駄がなかったことがわかるわけで。
大泉洋が最後は特殊メイクしていたのかな・・・あと数年もしたらあんな感じになっていくのかなって思う姿になっていて、こんな重厚な役が増えていくのかなって思った。
原作が『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』清武英利さんってことで、なんか見たことあるようなお名前・・・って思ったら、あぁ読売巨人軍のGMしてた人かって程度だけどね。
原作を読んでみたいと思う。