是枝作品ということ、カンヌで脚本賞受賞ということなどもあるのだろう。初日初回公演はほぼ満席だった。
ほんと久しぶりに両隣に人が居て居心地の悪さを感じながらの鑑賞となった。
最近は、イオンシネマなのだけど、アップグレードシートにしてもいいのだけど、飲み物要らないんだよね。とかとか。。。だけど、次回、人気ありそうな作品の時には使ってみよう。
ユナイテッド・シネマ、TOHOシネマズより座席が狭い印象かもしれない。普段は両隣どころか、その段に他に人がいることは少ないから気にならないのだけど。
映画は半年くらい見ていた予告で抱いていた印象とはまるで別物の印象が残る作品だった。
多分、この部分が脚本の妙なのだろう。
予告では母親役の安藤サクラの場面と教師役の永山瑛太の場面だけだったからなのだろう。
この作品の肝はやはり「子供」
是枝作品には「子供」が必須だろう。そしてその「子供」の使い方がとてもうまい監督さんという感じがやはりある。今回はより「誰も知らない」を思い出すような作品だった気がする。
予告で流れる「怪物だーれだ」という子供の言葉。それは怪物探しということなのかというミスリードがあるが、実は違う。
裏側にあるのは純粋ではあるけど、自我も芽生え始め、どうしていいのかわからない感情の子どもたち。
それでも、これはフィクションとは言い切れない。これはきっと日常の誰でも起こりうる状況になりつつあるのが今の日本のような気がするのだけど、日本固有の問題ってことでもないから世界で評価をされるのか。
「誰も知らない」も2004年くらいの日本の根底にある社会問題なのかと思っていたが、最優秀主演男優賞を受賞する。セリフらしいセリフもなかった柳楽優弥が受賞するわけだけど、表情、目で語る作品だった。
今回の作品は子供は二人。安藤サクラ演じる早織の息子の湊と実はこの物語の一番のキーなのだけど、それに気づけなかったことで全部の掛け違いが起きたのだろうと思う少年依里。
まぁそれ以外でも学校という組織の気持ち悪い対応と母親の対応。母親が学校に行く前に相談出来る相手がいないのが今の日本なのだろう。子供を見ているようで見ていない。見ても気づけてない。
自分の思う通りにしたいということがあるように思う。
母親の場面で出てきた保利先生はとんでもないクズに見えた。が、先生の場面では気の毒な先生となる。まぁこちらも何も見えてない人間なわけで。イジメを気づける先生というのは存在するのだろうか?表面化したことが全てになるよね。そうだよね。
後半は根底にある問題が顕著になる。そこには母親不在の父親のネグレスト、体罰を受けている依里の姿もあり、学校でイジメのターゲットになり、一緒にイジメに加わらなければならない湊の苦痛。いろんなことを流すことで身を守っている依里が愛おしい存在になってくる。
それでも子供二人のシーンはほんと楽しそうで幸せそうだ。
先生場面のラストシーンと子供場面のラストシーンはリンクしているはずだが、交わっていない。どうなったのだろう?という疑問が残る。