被害者が発言すること
被害者が声を上げなければいけない。
それは誰が決めること?
時代なのか?
今回の「イノセンス」のストーリーは悲しい。
坂口健太郎演じる拓のところに来たフェンシング部顧問の豊原功補演じる高松。
フェンシングの指導中に生徒が心停止を起こすというショッキングな事態は在宅起訴された。
でも、公判になって生徒が先生の体罰を訴えた。
そしてマスコミの報道で世間が勝手に「正義」を振りかざし、炎上する。
被告人はまだ「被告人」だ。
今の日本は少しでもマスコミが興味を持ったら、「被告人」」の状態で「罪人」のような扱いを受ける。
そして世論が勝手に「罪人」に祀り上げる。
それが「冤罪」になっていることだってあるだろう。
一度、「被告人」になったら本当かどうかなんて関係ないのが今の日本だ。
それを怖いと思わなければ、明日は我が身かもしれない。
被告人にならないことなんて普通に過ごしていても誰か他の人に陥れられたら「被告人」になってしまうのだから。
今回のドラマがまさにそんな感じ。
そして、それを仕掛けた高校生も「死んだほうがマシだった」と言う。
ネットで叩かれて何も希望が持てないのだからと。
生きてたことが良かったと思えない時代。
マスコミは何の権利があって情報を流すのだろう?
読む人間が判断するからという曖昧な線引であることないことを書き上げる。
そこに「個」としての倫理観も価値観も何も感じない。
マスコミはいつから「正義」の代弁者になったんだ?
昔からそうだったかもしれないけど、今は煽るような記事を書いたもの勝ち。
それが10年前の自民党敗北、民主党が与党になったときが一番顕著だったように思うけど。
社会的制裁というものが必要なのか?
裁判所でもよく「社会的制裁」を考えて量刑が軽減されるということがある。
それは正しいのだろうか?
それよりも今回のイノセンスのストーリーが「え、そんなことある?」とは思わず、今の子だったらやりかねないと思えてしまうことが怖い。
いじめられていたから知恵を出す生徒。自分に興味を持たない顧問を陥れようとする生徒。強くなることに興味がないのに、期待をかけられてその呪縛から逃れられないからと顧問の指導で自殺しようとする生徒。
呪縛から逃れられないはね、今の親に考えてほしい。
私もそうだったが、私は行きたくもない高校に部活で行くことになった。
今でも後悔している。
小学校からまぁそれなりに活躍してきたかもしれないが、私の将来の夢にその高校は何も足りてなかった。
それを高校の先生直々に誘いに来たことでそこに行くことになってしまう。
中学生の時点でそれに対して「No」を言えなかった。
そして高校時代も辞めたくても辞められない状態で3年間、孤立した状態で過ごした。
そして、今もほとんど交流はない。が、個々としては付き合いがあるから連絡は取り合っているが、チームとして行くつもりはもうない。
子供に才能がある。
でも、それは本当に子供がしたいことなのか?
親のエゴだったりするんじゃないか?
そこを考えてほしいなぁと思ったね。うん。