戦後を生き延びた人々の苦難
2005年「北の零年」
2012年「北のカナリヤたち」
そして・・・
北の三部作。
戦後の日本の生き様
初回上映はちらほら程度だったけど、私よりも平均年齢は上だろう。
その世代の人じゃないときっと理解できなくなってきているのかもしれない。
北のシリーズとなっている。吉永小百合さん120作品目。
はっきり言っちゃえば、先週終わった「日本アカデミー賞」の来年の目玉はこの作品しかないんじゃないか?
もうさ、吉永小百合さんと樹木希林さん出たら、太刀打ちできないよね。
今回の吉永小百合さん演じた江連てつさんは39歳から66歳くらいまで。
それでも39歳に違和感もなく、66歳に違和感もなく。
すごいなって思う。
きっと年齢じゃないんだね。もう。その役なんだね。
物語は舞台と実写を織り込んだ面白い展開。時代描写を舞台で行うという斬新って言えば斬新。
下手をすると世界観がブッツリいきそうな感じだけど。
1945年の樺太。
終戦間際の樺太はまだ日ソの協定が生きていたのか?幸せそうな様相だ。
そこには夫役の阿部寛が居る。って、阿部寛、今上映中作品3作品目だよね。
でもここの父親像もいい感じだ。
吉永小百合の夫役ってことだけど、吉永小百合さんの魅力で全然夫婦になれてる。
驚くね。
そして子供役の子役二人。特に弟役の修二郎は大変だっただろうなって思う。
当時の内地への引き揚げ。ソ連軍の攻撃。それをかいくぐって網走へと逃げ延びた妻と子供。
長男は父親にお母さんと弟を託される。
1971年高度成長期の日本に次男、修二郎がアメリカから持ち帰った形態のホットドッグ店、今のコンビニの原型を持ち帰る。成人した修二郎を堺雅人が演じている。
アメリカ企業の社長が中村雅俊でその娘で修二郎の妻が篠原涼子。
アメリカ育ちの真理だが、良き理解者になろうとしていた。
24時間オープンのホットドッグ店。初日こそ行列だったが、その後は受け入れられないお店。
野間口さんを店長に厳しい修二郎。
その時、網走市役所から1本の電話が鳴る。
オープン初日なのにその電話で網走に向かう修二郎。
1971年の北海道の札幌と網走の距離感ってどんな感じだっただろう?
今だったら飛行機?
電車(汽車?)だとどのくらいかかるんだろう?1日がかりだよね。きっと。
網走に建った昭和20年代のままの建物。そここそ、母てつがやっているおにぎり屋さんだった。
まぁセットを作ったのだろうけど、雪の中でこの建物は生き延びるのか?って思えるくらいの造り。
成功している修二郎は仕送りをしていたつもりが全然それが生かされていないことに落胆する。
15年ぶりの再会。
15年前に「もうお母さんのことは忘れなさい」と突き放され、一人アメリカでしがみついて成功するに至った修二郎。
母子の関係がギクシャクしている。
そこに樺太からの知り合いの岸部一徳さん演じる山岡さんが来る。市役所から電話をさせたのはきっと山岡さんだったのだろう。
母の住む場所は引揚者の仮住居でその期限が過ぎて取り壊しが決まっているとのこと。
母を連れて札幌へ。
相談もなしに義母と対面する真理は受け入れられない。
アメリカ育ちできっと苦労をしたことのない真理には理解できないことだろうなってちょっと気の毒に思う。
結婚当時は「もう疎遠だ」と言われていた相手と突然同居するとなったら、やっぱり困惑すると思う。
修二郎は母親を自分のカラーに染めようとする。まぁ子供だったら当たり前の行動なのかもしれない。
成功した自分が出来る限りのことをしてあげたい。そう思うことは自然なのだろう。
苦労してきた人にはその状況を受け止めることがなかなか出来ない。
洋服を真理のコーディネートでたくさん購入するが、あまり喜ぶ素振りはない。
帰り道、桜の樹に引き込まれるてつ。樹の切れ目をなぞる。樹により掛かる。行動に違和感を感じる真理。そしててつが靴を履き間違えていることに気づき、百貨店に戻る。
帰宅後、義母を非難する真理。
そして修二郎も。
てつの行動は今で言えば、「認知症」ということになるのだろうけど、当時はまだきっとそういう言葉はなかったのかもしれない。
「認知症」的行動なのか?気遣いなのか?
自宅の庭でかまど炊きをして煙だらけにしてしまい周囲に迷惑をかける。
でも、修二郎はその炊いたお米でおにぎりを作ってもらい、ホットドッグが受け入れられない状況の中、おにぎりを売ることを思いつく。
これが日本のおにぎりの先駆けなのか?
実話ってことではあるらしい。
母はその後も修二郎を困らせるような行動をしてしまう。
お店に小学生時代の同級生を名乗る安田顕の杉本久が訪れ、金の融資を申し出る。
修二郎は思い出したくない過去を思い出す。
杉本は修二郎をいじめていた。
その相手に臆面もなく金の無心に来る男。
その相手に金を握りつぶして落とし、拾えと命令する。
夫の違う面を見て真理はどう思ったのだろう。
近所の八百屋でネギをツケで買おうとしたのだが、「誰に?」と言われて詰まってしまう。
修二郎はお金で解決する。
帰宅すると真理に「そんな恥ずかしい場所に居なくて良かった」とまで言われてしまう。そして修二郎はリビングで寝ると言う。
翌朝、てつは黙って家を出てしまった。
修二郎はてつの姿を探して駅に行く。そして網走行きの電車に乗らずにホームに座るてつを見つける。
そしててつの行きたい場所に行くことに。
てつの中には「修二郎に迷惑をかけたくない」が常にある。しかし、修二郎は母の老いを垣間見て、自分の過去を思いだし、寄り添うことを選択する。
二人は北海道の各所をめぐる。
どこなんだろう?山の上の上の神様へお参りする。
知床なんだろうか?
とても聖地にはなれないような場所だ。ドローンの空撮が生きるような撮影だ。
そこで二人は記憶を拾い出す。
母の記憶にある人物は佐藤浩市演じる信治さんと高島礼子演じる光江さんという名前が出て来る。
修二郎は光江さんは知らないが、信治さんにはお世話になっていたこともあるし、母親は信治さんと結婚したらいいと思っていたと言い、信治の会社に行く。
しかし、母は遠くから見れただけでいいと信治に会うことはしないで帰る。
信治と母子は引き揚げ途中から出会いが始まっていた。
お腹を空かした修二郎がトラックの荷台でおにぎりを食べる信治に「お腹が空いた」と近づく。
信治もおにぎりを1個分け与えるがそれを見た母は「みっともない」とそのおにぎりを返してしまう。
うーん、昔の人の行動って意味不明。
善意の裏の悪意しか見えない時代だったのだろうけど。
信治は「こんなにお腹を空かせてるなら自分の身体を売ってでもって考えるだろう。普通」と言い放つ。そして「二人か?」という問いかけに固まるてつ。それを見た信治も感じるものがあったらしい。
そのまま歩きだす二人。
信治の相方は「やっちゃいましょうよ」と言い出す。
車ですれ違いざまに話をし、荷台に乗る二人。そして修二郎はおにぎりを頬張る。母もたまらず悔し泣きをしながらおにぎりを頬張る。
そこに車を止めた信治が荷台に乗ってきて「俺達の仕事を手伝って欲しい」と切り出す。
信治はヤミ米のブローカーをしていた。
そして母子は「白滝」の駅で落とされた米を運ぶことを始める。警察に追われることもある。そして捕まった相手が樺太で駐在をしていた岸部一徳演じる山岡だった。
それから山岡にも度々お世話になることとなっていた。
途中の居酒屋に吉永小百合作品常連の笑福亭鶴瓶さん登場。まぁね。入れ込んだ?的な感じもあるけど。しょうがないか。
記憶を辿る旅。
それは向き合ってはいけない過去の扉までも開いてしまう。
てつは「樺太へ行きたい」と言い出す。今でもまだ行きたいと言って行ける場所じゃないよね?
とりあえず稚内まで行き、聞いてみるがやはり行くことは叶わない。
しかし、そこは行ってはいけなかった場所かもしれない。
そこで母は引揚船の記憶を思い出してしまう。
3人で乗り込むことが出来た引揚船ではあったが、途中、ソ連軍の攻撃で船が沈没してしまう。
放り出された人々。そこにはまだ3人の姿があった。
しかし、その直後、兄は浮き輪を見つけ泳ぎだす。「行ってはいけない」母の制止は届かなかった。
そして兄は波に飲まれてしまった。
その記憶が混乱するてつは稚内の病院に入院することに。山岡に来てもらい手伝ってもらう。
山岡も過去を話し始めようとするが、それを止める修二郎。
聞いてはいけない過去。
でも言ってすっきりしたい当人たちっていうのもあるのかもしれない。
その頃、お店には真理の父親の中村雅俊演じる岡部大吉が来ていた。
日本ナイズされたお店。おにぎりを売ることをどう思っているのかを従業員に問いただすと、真理の想定してなかった回答が。
そしてホットドッグも日本人好みにしたいと提案するスタッフの姿。
厳しくも従業員に支持されていることを知った大吉はしばらくは修二郎に任せることを決定する。
が、父親として娘が別れたいのかを聞くと娘は曖昧な感じだ。なぜ父親は不在の修二郎に肩入れしているの?的な。
父の立場としてはやはり親を思う子の気持ちを理解したってことなんだろうな。いずれ自分も老いたときに真理に面倒を見てもらいたい的な本音が出る。
山岡に母をお願いして戻るもすぐに母探しに出ることに。
てつは入院先も出て行方不明になってしまった
そして修二郎は母の行きそうなところを回る。
信治のところにも行き、なぜ母と結婚しなかったのかと聞く。
そうすると、手紙で結婚をして欲しいと書いて返事を聞きに行ったら、白装束に身を包んだてつが居たとのこと。それは誰とも結婚しないという意思表示だった。
その後、光江の元に。
てつは光江を「いい友達だったのに」と言っていたが、光江にとってはお金目当てだったらしい。修二郎の送っていたお金を借りたまま姿を消していたことがわかる。
母の姿は見当たらない。
その頃、てつは一人雪深いバスの停留所で来るあてのないバスを待っていた。
そしてそこにあった鏡にむかって会話をする。
バスが来ないからと雪の中を歩きだす・・・・
2年後・・・
修二郎のお店はなんと100店舗になっていた。成功していたんだね。
セブン?ローソン?
北海道だからセイコーマート?
あ、セイコーマートらしい。
オープンが1971年だもん。
札幌だし。
その頃、信治から連絡があり、従業員がてつさんに似た人を見たという。
2年も経っているが訪れる関係者。
そこは満月の桜の満開の場所だった。
桜は満月で満開になる。
そういっていたてつ。
修二郎を見たてつはしゅうじろうを夫、徳次郎だと勘違いする。そこには息子の清太郎も。
ボケて幸せなこともあると思う。
嫌なことを忘れていいことだけを思える幸せ。
66歳。ボケるには若いと思うけど、忘れたいことが多すぎたのだろうと。
現在まで元気で居られるお年寄りの方ってどんだけ強いのだろうって思ってしまう。
日本人で居て、どの国もだろうけど、第2次世界大戦を経験している人だったらこの期間は忘れたい過去にならないのだろうか?
戦後の日本も。
いつからそれを幸せに還元することが出来るようになったのだろうか?
この映画を今公開する意味。
あと数年したら体験した人々はほぼいなくなる。
そして全てが戦後になる。
でも、戦後になっても忘れてはいけないものが絶対あるはずだと本当に思った。
これはね、学校で見せるべき。100年も前じゃない日本の現実を。
こうしちゃいけないんだって子供に思わせなきゃいけない。
いつ何時、ちょっとしたことでこの映画は現実になる。
映画の最初は普通に桜が1輪咲いたことを喜ぶ人々なんだから。
北海道と桜。
こちらの桜はソメイヨシノだけど、北海道だとちょっと違うし、色も濃いし。
最初にこのタイトル、映画の予告を観たのは去年の夏が終わる頃だった。
その頃はまだまだ先だなぁって思ってた。
それがあっという間に半年が終わってしまった。
たくさんのいい作品を観ることが出来たけど、やっぱりモノが違いすぎると思う。
これが来年の賞レースにのらないのは日本人としてどうよ?と思うのだけど、殿堂入りしてもらわないと他の人が霞んでしまう。
そんな作品。
泣くとかそういうことはないのだけどね。
最後にまた演劇に戻るの。そこには阿部寛も子役の二人も居て。
みんなでテーマソング「花、闌の時」を合唱する。
紅白の目玉でしょって思うくらい、上手なの。
まぁ記憶に残る映画に間違えない。