コピーの意図がわからない
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「母と息子。ひとつの殺害事件。実話をベースに描く感動の衝撃作。」
ってことなのだけど、どこに「感動」があるの?
実話ってことで、きっとここまでじゃないだろうけど、悲惨な母子関係はかなりあるのだろうな。
長澤まさみの演技がただただすごい
毒母役の長澤まさみ。
「あぁこんな母親居るなぁ〜」って感じ。
子供は分身だからどうしようと自分の自由という身勝手な人間。
何より、母親が子育てをしていないことは明確なのに、なぜ周囲は子供を保護しようとしなかったのか。
子供まで犠牲にする周囲も同罪じゃないかと思う。
子供は母親しか世界を知らない。そんな子供は歪でしょ。
17歳の少年が起こした祖父母殺害事件。
ニュースはその部分しか報道しない。そこに何があったのだろう?そうは思っても知る由はない。
この映画は闇が深い。
母親の秋子という女性は、女性というものを武器に男を落としてはその場かぎりの関係を持つ。
「誰も知らない」は子供を放置する母親が描かれたが、今回の映画は子供を縛り付けて自由を奪う母親だ。
どっちもどっちだろうけどな。
こういう映画、幼少期の子供の方が気の毒なのだけど、メインは少年期になる。
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」でも、甘えたい時期に甘えられない様子や冷たくされる様子が本当にキツかった。
母親は最低限、産んだ子供を育てることが義務づけられてしまっているのか?とも思う。
何も考えずに男との快楽しか求めていない人間に母親を求めることがおかしいのだろうといつも思う。
そして、その犠牲者は子供だ。
長澤まさみの演技が毒親そのもので、自分にはあなたしかいないという歪んだ愛情で、縛り付け、阿部サダヲ演じる遼と意気投合し、子供を置いて出てしまう。
が、秋子は市役所の職員に一応、子供の世話を押し付ける。そこにも色仕掛けがある。
が、戻ってくると、ありもしない話をでっちあげて職員を脅しだす。
もうさ、クズ以外の何者でもないが、こんなのがいるんだろうってことも納得できる。
子供を使って秋子は自分の親にお金をせびりに行く。
「お母さんが妊娠して」とまで言わせるが、さすがに自分の娘とはいえ、絶縁を言い渡す。
孫に言うか?とも思うが、父親が中途半端に甘やかしていることが気になったけどな。
育てられるわけもないのに、子供を産む。
意味がわからない。
なぜそんな無責任なことが出来るのだろう?
フリースクールへ通い、学ぶことが楽しくなっても結局は母親は自分から離れることを許さない。
そしてそれに反抗は出来ない。生まれたときから洗脳されているのと同じなんだろうな。
最後も結局は、洗脳だ。
妹まで持ち出されて祖父母の殺害を実行してしまう。
が、母親は自分の指示は認めずになんと執行猶予がついてしまう。
何もわからず実行した息子は懲役12年。
でも、息子は息子で思いがあった。
母親は愛すべき対象ということ。
収容されたことで、衣食住が確保されたこと。
実話の彼は今、どうしているのだろう?
大森立嗣監督作品は、独特の「間」がある。
『日日是好日』
『母を亡くした時、 僕は遺骨を食べたいと思った。』
でも感じたが、その「間」が絶妙だ。
今回の映画ではその「間」でいろんなことを想像させられ、強い怒りを感じた。
ただ、可愛そうな子ってことじゃなく、しっかりとした性教育を行うこと、育てられない子供の保護を出来るような仕組みが出来ればと思う。
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