これは本当にあった話しなのだろうか?
私が知る地方での猟奇的な殺人事件。
容疑者となった人間はどうしてそんな状態になったのか。
根底にはこういうことがあったのかもしれない。そういう感じでどこかにあるのだろう日常を見た感じがする。
限界集落で生活するということ
一人の少女の行方不明から話が始まる。
学校の帰り道。Y字路で別れたはずの少女が消息不明となる。
田舎の町では住民が総出で捜索にあたる。
その前には豪士役の綾野剛が祭りの中、母親が男に殴られているが、自分では何も出来ず、柄本明演じる藤木五郎に助けを求める。
はっきりとしない豪士。
7歳に日本に来たからと母は言うが、そういう問題でもないだろう。シングルマザーで母親も日本人ではないような感じで、ずっとイジメの対象となってきた青年。
綾野剛が立ち居振舞いからそんな青年像を作り上げた。
藤木はそんな豪士に仕事を紹介すると言ってきたが、結局は自分の孫の行方不明でそんな話はなくなる。
12年後。
Y字路で別れた少女、湯川紡役の杉咲花は地味な少女に成長していた。
同級生はみんな故郷を離れたということでもう一人残った野上広呂に勝手に想いを寄せられていた。
祭りの練習の帰りにパンクした自転車で帰る紡は追いかけられている気持ちになり転んでしまう。
その車は豪士だった。
ころんだ拍子にお祭りで使っている笛が壊れてしまう。
豪士は買いに行くのに付き合うという。
一緒に行動する中で徐々に心をひらいていく紡。
祭りに来るかを聞き、「待ってる」と約束するが、それは叶わなかった。
また少女が行方不明になった。
12年前の事件が浮き彫りとなる。
そこで突然、豪士の振る舞いが怪しかったという人間が出てきたことで、人々の怒りが一気に暴発する。
豪士を町民が追う。
「罪」とは何なんだろう?
豪士の家に入り込み、勝手に犯人としようとする藤木。
そこに帰ってきた豪士はイジメられていた過去がフラッシュバックし、逃げる。
それに気づいて声をかけた男、善次郎役の佐藤浩市。
その声に気づいた人々が一斉に豪士を追う。言葉を持たない豪士はお蕎麦屋さんに入り込み、自ら灯油を浴びる。
本当に犯人なのか?
人々の関心はそこにはない。豪士が犯人でいい。そんな感じ。誰かを犯人にしなければいけないそんな雰囲気。
豪士は有り体の人身御供だったのだろう。
豪士は焼身自殺をする。
心をひらいた青年の突然の死。そして、12年、「どうしてお前が生きてる」と言われ肩身の狭い思いをしていた紡は東京へ出る。
「罰」は何を意味したのだろう?
善次郎はUターンをしてきて養蜂をしていた。
村は何の特色もなく老人しか残っていないような場所。そこで善次郎は養蜂で村おこしが出来ないかと相談すると「やってみるといい」と良い返事がもらえた。
しかしいざ動き出すと風向きが一気に変わる。
善次郎は突然村八分で嫌がらせを受ける。
嫌がらせの中心的な人物の娘の久子は空気が読めないままに善次郎の身を案じているが、結局はただのバカ女で余計に自体を悪くする。
そして養蜂も出来ず、愛犬のレオの自由も奪われてしまう。
なぜそこまで追い込まれてそこに住まなければいけない?
犬との生活を他でもできると思わない?
結局、両親の残した土地で死ぬことを選ぶ。
自分を苦しめた村の住民を惨殺して。
きっとこういう殺人事件の背景にはそこまで他人を追い込む村意識があるんじゃないか?
勝手に人のことを決めつけ、自分たちとなじまなければ排除しようとする。
それが悲劇を生む。
善次郎の「罰」なのか?
善次郎は何をした?
結局、自決した善次郎を追う、愛犬レオを見て、泣いたわね。
「レオはどうするのよ!」って。
最後にあの日、あの時にあったことが蘇る。
あぁそれが「楽園」なのか?
人々は自分の「楽園」のために他人を排除していくということか?
吉田修一さんの「犯罪小説集」の2つの作品を一つにした作品ってことか。
最後に「人」という部分で猟奇的殺人が起こり、同級生の広呂がガンに侵される。
かなり考えてしまう感じだった。
誰が主演?と言うと綾野剛なのだけど、綾野剛は実質「罪」の部分でしか登場しない。
最後に豪士の母親が自分の息子がしたかもしれないと言うがそれを証明するものはなにもない。
何もなくてもいいのか。
本当なんて必要ないのか。