【映画 三島由紀夫VS東大全共闘】感想。私が生まれた頃の出来事

三島由紀夫のイメージ

正直、三島由紀夫も全共闘も全然知らない。

学生運動という時代があったということくらいしか知らないと言える。

団塊の世代の人でしょ?

三島由紀夫は45でこの世を去った。

その年に私は生まれた。

大体、学生運動で彼らは何を求めていたのか?

書かれているのは自分たちの生活擁護を求めたものってあるが、大学へ行けるだけでもこの時代だったら、まだ特別なものだったんじゃないかと思うのだが、まぁそれぞれの大学が自分たちの地位を守ろうとしたってことなのか?

一番、不思議なのは、東大の安田講堂の籠城?

東大という国家の上級大学の人々で、将来は官僚になるような人がなぜそこまでの熱量で国に挑んだのだろう?ということ。

そして、そこへ反対思想の三島由紀夫を読んで討論をすることとなった。

東大の駒場キャンパス900番教室。今の大学生とはまるで違う人種が集う空間。

今、70代になっている彼らの情熱は何だったのだろう?

三島由紀夫は最後に「君らの熱量だけは信じる」と結んでいた。

三島氏の半分くらいの年齢の彼らは、やっぱり言っていることが支離滅裂のように思うのだ。

彼らの倍以上の年齢になっているからなのかもしれないし、時代が違いすぎるからかもしれない。

それでも、彼らは無償で大学に行けたわけでもなく、誰かが彼らのために働いたお金で大学へ行ってたのではないのか?

それでも、その値上げや、寮の環境などと言ったものへの不満などの熱量がいろんな形でデモという形態で衝突していく。

三島由紀夫という人の作品を読んだことはない。

そして、三島由紀夫という人を知らない。

それでも、私は三島由紀夫という人が45で終えてしまわれたことをかなり残念に思う。

彼は若いだけの揚げ足取りのような質問にも感情の起伏もなく、否定をするでもなく自分の意見を述べる。

よくよく考えればだ、子供が大人に物申してるってことなんだけどね。

やっぱり20代前半の大学生という肩書にあぐらをかいている世代ってことにしか見えない。

印象的でもあり、私の感覚では理解しきれないのは、やっぱり芥正彦さんだろう。

今でも表現者としているのだろうが、討論の場に子供を連れてくるということが意味がわからない。

そして言っていることも現在もほぼ変わらない思想で居続けていることは素晴らしいが、やっぱりどこかに甘えがあるように思う。

全共闘側のメインどころと言える人は、どのような社会人を過ぎしてきていたのだろう?と思っていた。

学生運動全般に言えることだけど。

団塊の世代の中心として結局、高度成長期の日本、バブル期の日本を作ってきた世代だと思っているから。

TBSがカメラを回し、記者さんが三島由紀夫さんの思うような写真を撮っていく。それが半世紀を経て表に出る。

なぜ今だったのだろう?

半世紀必要だったのか?

三島由紀夫さんの自決に至る諸々はこの作品には関係がないことなのだろう。なんで?しか残らなかった。

そして三島由紀夫という人を知りたくなった。

すでに私の年齢は彼の年齢を越しているわけだが、こんなにカッコいい人って居ない。

何かのアンケートが紹介されていたが、トップが三島由紀夫だった。

3位に石原裕次郎がいたかな?

もう一度じっくり観てみたい。言葉が言霊になってくる。今の時代でも響く言葉がたくさんあったと思う。