彼女が居たから
2008年の夏、翌年には引っ越しを考えていた私は、まず犬を探した。
保護犬サイトで見つけた彼女に一目惚れした。
断れた
彼女には既に先約があって、一度諦めた。
それでも先約のご夫婦が高齢を理由に断念されて私達に再度チャンスが訪れた。
ラブラドールミックスの女の子。
生後3ヶ月だったけど、既に顔とかしっかりしていてほんとにきれいな犬だった。
その時が9月。その時、まだ引越し先は決まってなかった。
そこから今度は大急ぎで犬が飼える家探しになった。
元々マンション購入ではなく、一軒家ということでは決まっていたが、どの辺にするかとかは決まってなかった。
結局、夫の両親と同じ路線で買えるところに決まり、そこも3件ほどの内見で10月の頭には決まった。
そして、家が決まったことで、改めて面会することになった。
ドッグカフェで初めて会った。
他のワンちゃんと遊びたくてずっと鳴いていた。
それでも私達が迎えることができるのは12月末だった。
それまで保護家庭で面倒をみてもらうことになった。
12月20日に引っ越しをし、翌週にレンタカーを借りてドッグバッグなども購入し、引取に向かった。
帰りの車でずっと鳴いていた。
生後半年になっていた。
18kg。大きい赤ちゃんが来た!って感じ。
ハニーという名前だった。
ハニーは分離不安がすごくて最初の頃はお留守番をさせると100m先まで鳴いている声が聞こえて来ていた。
それでも半年ほどは一緒に居られたけど、私も働きに出ることになり、彼女は鳴くことを諦めたのだろう。
それでも、毎週、ドッグランに連れて行ったり、川に連れて行ったりと犬との生活を満喫した。
運動量の多い彼女のために妹を迎え入れることにした。
この決断はどうだったのだろう?とは思うが、それでも一緒にドッグランで走る姿を見て、良かったのだと自己満足するしかなかった。
写真もいっぱい撮らせてもらった。
2016年の夏、彼女の身体に異変が生じた。
突然食欲がなくなり、痩せ始めた。
夏バテかと思っていたが、フィラリアの薬の量が変わるかもと病院へ連れて行ったら、糖尿病で危険な状態になっていた。
そこから6年、毎日インスリンの注射をする日々だった。
最初の頃、低血糖になって大変な状態になったりもした。
それでも、血糖値のコントロールがうまくいって普通に生活をしていた。
2年前の冬くらいから立てなくなることがあった。
が、しばらくすると復活するを繰り返した。
一昨年の夏、左の後ろ足が動かなくなった。原因はわからなかったが、だからと言って検査をして手術をしてという選択はしなかった。
彼女はそれでも立ち上がり、歩いた。
1年前くらいまでその状態でも階段昇降をしていた。
2階のリビングだけの生活をどのくらいしていたのだろう?
先週までは自力で排泄もしていた。
が、木曜日くらいから徐々に立ち上がることができなくなったり、食欲がなくなっていったらしい。
そして昨日の夕方「やばいかも」というメッセージをもらい、私が帰宅したのが19時過ぎだった。
そのときにはまだ頭に温度を感じられた。
でも手は冷たかった。が硬直はなかった。
「ハニー、ありがとうね。」
「私も行くから待っててね。迎えに来てね。」
そう伝えた。
今朝になり、頭をさわると既に冷たくなっていた。
一人で逝ってしまった。ごめんね。
目を開けたまま、いまにも起き上がりそうな姿勢で。
私は普通に仕事をした。
同時にペットセレモニーに予約をした。
仕事集中できるわけがないが、集中して終わらせた。
一番太ったときで38kgだったハニーは18kgまで減っていた。
それでもうまくコントロール出来ていたのだと思う。
苦しむことなく、眠るように逝けたのだから。
最後の姿を見たら、やっぱり涙が出てきたけど、それでもハニーが今度は待っててくれると思って耐えた。
ハニーが焼却されている間、いつものように歩いていた。
骨になったハニーは思ったよりもしっかりと骨が残っていた。
糖尿病だったから骨が脆くなるのかなと思っていたが、歯もしっかりと残っていた。
粉骨にしてもらう前にしっぽの骨とか手の骨とかを取ってもらった。
その後、粉骨してもらったら思ったよりもあったと言われた。
そっか、最後はほんと骨と皮だけって状態だったんだね。きっと。
骨を少しもらってきたから、レジンでちょっと何かにしてみようと思う。
そんなことを考えていたら悲しみはどこかへいってしまった。
老衰。
これはしょうがないことだし、ハニーはほんと頑張ってくれた。
感謝しかないよ。
ほんとありがとう。
そして、待っててね。