ディオールのオートクチュールというもの
きっとヨーロッパではもっと違う捉え方があるのだろうと思う。
移民二世という存在の脆さ。偏見。
そしてヤングケアラーという存在。
奇跡のようなこと
盗んだギターで弾き語りをしているジャド。それをたまたま聴いていたエステル。
エステルからバッグを盗む同じ団地に住んでいる友人。
エステルにギターを預かっててと預けてそのまま友人と電車で逃げる。
バッグの中の宗教的なものを売ろうとすることに友人が切れる。
モノの価値は同じ場所で住んでいても人種で違うってことなのか。
ジャドはエステルにバッグを返しに行くが、エステルはジャドを警察に突き出さずに、アトリエに来るようにと言う。
ファストファッションの彼女にオートクチュールの良さなどはわからない。
そして、アトリエに誘われたこと、技術を教えてもらえることの価値も理解が出来ない。
価値をわかるのは根底にきちんとした教育があってのことなのか?
シングルマザーがうつ状態でそれに振り回された人生の彼女の世界はとても狭いものであり、施されていることの重大さを教えてくれる人もいない。
アトリエでは団地出身の女性がそっとフォローをする。
エステルの言葉に反発しながらも、お針子仕事に興味をもつジャド。
根底の考え方はすぐには変わらない。環境もある。その中で、アトリエの人々の支えでジャドは居場所を見つける。
エステル、ジャドの行動はとてもハチャメチャに見えるが、オートクチュールで扱うものはとても繊細で壊れやすさを表現しているのかなと思う。
それにしても強調ということを知らない人の思考はすごいな。
仕事をすることを良しとしない考え方のまま、仕事をすることは夢を持つことと同意なのか?夢を持てないから仕事をするという考えにもならないし、採用されることもないのか?
フランスという国の持つ社会的問題や移民、宗教などほんとに複雑な要素が見られる。日本でも40年前の自分が学校生活をしていたときよりもっといろんな人種の人がクラスに居たりするのだろうが、今の私の生活の周囲にはなかなかそんなことはない。
日本でここまで強調がないまま大人になれるとも思えない。それでも無戸籍児などが問題になったりしているから、少なからず同じような環境の人間がいるのかもしれない。
が、彼らにそんなチャンスがあることはあるのだろうか。
昔、苗場スキー場でバイトしていたときの伝説で、リフト係だった人が割り込みをした人に注意をしたことで、その相手が社長だったとかで、そのリフト係の人はただのバイトから社員になったとかってことは聞いたことがあるのだけど・・・
いつの時代もまぁ引き上げる文化があるといいなとは思う。