【映画 春画先生】春画の世界観とリアルの世界観と・・・

内野聖陽のフリ幅が・・・

最近の内野聖陽のイメージがどうしても「きのう何食べた?」のケンジが強くて、最初の数分、なかなかこちらの役としての内野聖陽に馴染めない感覚になってしまった。

それでも内野聖陽はすごいのです

ケンジはすぐにいなくなりました。

すぐに芳賀一郎という変わった印象の春画先生になってました。 まぁ演出が独特だった。 カフェで突然地震が起こるのだけど、それは春野弓子が衝撃を受けたことを表現しているんだと気づくのが遅かったのですが、あぁそういうことなのねって感じで。

普通、カフェでバイトをしていて客がエロ本を広げていたら、どうするんだろう?って思うが、春画に対して衝撃を受けるというこの女性がもっと意味不明と思ってしまった。

他のスタッフはこの先生のことを「変人」としていたが、弓子はこの一瞬で惹きつけられたように自宅まで行く。 そして、春画についての見方を説明され、魅力にはまっていく。

どっちの魅力にはまっていったのだろう?って思うが、ただで教えてもらうのは嫌だといい、家政婦さんがいるのに、家政婦の仕事をさせてもらいながら教えを請うことになる。

摩訶不思議な感じしかない。

ただ、この弓子という人は春画の本を見て、感動?したりしている。芳賀に対しての気持ちも高まっていくわけだけど、芳賀は7年前に他界した奥さんのことが忘れられずにいるという設定。

でも、奥さんのドレスとかバッグとかを使わせて、人前に同伴させる。意味不明すぎる。他の人に侮辱されれば怒るのに・・・うーん。

まぁ変人を好きになるということは自身も変人になっていかなければいけないものなのかもしれない。

柄本佑が芳賀の編集者の辻村として登場してくるともっと摩訶不思議になっていく。

春画、まぁ昔の浮世絵師などが書いていることで芸術作品となっているけど、今で言うところのエロ本的なものだったわけでしょ?「春画大全」ってすごすぎるわ。一般に販売されているものなのか?

芳賀は弓子のことを想い、弓子も強烈に惹かれていくが結ばれることはない関係のまま、なぜか辻村が弓子と行為を持ち、その声をリアルで芳賀がスマホ越しに聴くという・・・変態そのものだろうと思うのは心が卑しいのか?

まぁそんな三角関係のまま、お互いの利害があるからなのだろうけど・・・まぁ弓子役の北香那という女優さんが一番大変だっただろうなと思うのだが。

感情の起伏も納得する。自分がまだ若かったら、私も弓子のような感情になる。でも、好きという気持ちにも抗えないまま、言うがままになってしまうという。。。第三者からみたら、狂っているような関係。

芳賀の亡くなった妻という役で安達祐実が写真で登場した。

なんと無駄な使い方と思ったら・・・最後には一番すごい部分を持っていった感じはある。

まぁ春画には今のエロよりリアルに性器が描かれているが、その分、情景も描かれているようにも思う。

今のエロ画には春画のようなリアルは乏しく、どこか理想を追い求めているような絵になっているような。まぁそんな芸術としての作品は別として。

春画だって当時はそんな芸術としての作品であったわけじゃないんだろうけど。

まぁ春画を映画の題材とするなんてすごいなぁと思うが、そこに現実世界の春画の世界よりももっと奇異な世界が描かれていることが面白いのか?

などなど考えてしまった。