【大人になるということ】アラフィフを考える

親世代

今月、小中校と一緒に部活をしていたチームメイトが倒れたと連絡を受けた。

高校のチームメイトから。

二人だけで高校へ行ったわけだから、私が小中に繋がなきゃなんだよね?

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どこまで連絡すべき?

高校のチームメイトの連絡網で知ったわけだけど、ご家族の意向はまだ広めないでってことだった。

私はどうしたらいい?

小中のチームメイトはほぼ一緒だ。

私は小学5年生からの入部だから都合5年間だけど、他のチームメイトは小学校の低学年からの付き合いだっただろうから。

最初は生死に関わるような状況であるとのことでもあったから、キャプテンだった人に連絡。

もう何年も連絡してないから、ほんとに突然だ。

お見舞いに行けるような状況ではないから、とりあえずなにかのために連絡先の確認だけしておく。

そしてお見舞いに行けるようになったらみんなで行こう!そんな感じで小中のチームメイトには特に告げない方向になった。

でも、チームメイトが中3のクラスメイトで親友だった子も居たからその子には連絡を取ってもらった。

誰に知らせて欲しい?

そんな気持ちだった。

私は基本的には1匹狼気質だから私じゃない誰かがいいだろうと思った。

私にはかなり荷が重かった。

3週間が経過し、まだお見舞いに行けるレベルではないにしても最初の頃の危機は脱したと聞いた。

ホッとした。

そしてしばらく過ぎるのかと思っていたら、小学校の時の監督が年をとってきたということで監督の息子の同級生から連絡がきた。

同級生が倒れて知らせたこともあったのだけど、そのときは「おやじも老けた」と言うことだった。

同級生男の子のお父さんが私達の監督だった。

いつも私達のところに居たという印象なのだけど、彼も野球をやっていて応援に来て欲しかったんじゃないかとか大人になって考える。

そして同級生のことで自分の父親のことを考えたのだろう。

「親父も老けた」

病気というわけではない。

それでも老いてきたということを彼は私に伝えたかったのだろう。

私は日曜日に行くと約束した。

最後に行ったのは2年前か?

2年なんてあっという間に過ぎてしまう。

そして2年で老化は進むということらしい。

元々細い人。それでも強い人。

私達のチームは関東大会で優勝した。

小学6年の夏休みはほとんど一緒に居た。

合宿から始まり、大会があり、関東大会が横浜であった。

戻ってまた合宿があり・・・私の小学6年の夏は充実しすぎていた。

中学に上がり、私達は誰一人欠けることもなく、全員が部活に入部した。

そして1年生からレギュラーになった。

先輩たちから顰蹙を買った。そりゃあそうだろう。

健気な1年生を過ごしてやっと自分たちの時代なのに成績をあげていた後輩がレギュラーになるのだから。

中学卒業で私達はバラバラになった。

その後、キャプテンだった人の結婚式で再会した。

あれがもう四半世紀前だね。

それからほとんどのメンバーと会っていない。

でも、息子の必死さに動いた。

私が会いに行くだけじゃ足りない。

メンバーもきっと会いたかったはずだけど、会うきっかけがない。

私は親代わり的な感じで接してくれていたからいつでも行ける。

息子がどうこうじゃなく行く。

そして年内にOG会をしてくれないかというミッション。

え?年内?

そんなに悪いのか?

悪いとかじゃないのだろう。

衰弱していっている姿がもどかしいのだろう。

連絡をしまくる。

同時並行的に数人と。

慣れないこととは言え、久しぶりだけどすぐに昔の雰囲気になる。

そして、ラインを入れろ!と言われて「じゃあ、掲示板作るわ」と久しぶりに無料掲示板を立ち上げてみた。

まだあるものね。

ラインとかさ、ほんと怖いからさ。

友達だからとかってことで安易に使っていいものと悪いものがあると思ってる。

友達だからこそ慎重にならなきゃで。

年内。倒れたチームメイトのお見舞いに行けるくらいになってるといいのだけど。

さすがに突然、監督のことだけ伝えるわけにもいかないから倒れたチームメイトのことも伝えることに。

でも、3週間前の状況よりは快方に向かっているはずだから。

今週末、私は無事乗り切れるか?

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