体罰を行う文化
世界的に見て、指導をする際に「体罰」を取り入れているところはどのくらいあるのだろう?
日本でアスリートを育てる指導者とそこまでじゃないけど、するスポーツの指導者と。
いろんなパターンがあると思うのだけど。
ゆとり世代が親になってきた
さて、争うということを教育現場から無くした世代が「親」になり、子供にスポーツをさせる時代になってきた。
スポーツとは、自己の鍛錬ってことではあるけど、そこには勝ち負けが生じる。
勝ち負けがないもので日々の練習の成果をみることは難しい。
何のために練習しているのか?と考えるとそこには「勝つため」にと思ってしまうことが必ずしもある。
それがいけないのだと思うのだけど。
始めたきっかけや、親がやらせようと思ったきっかけは何なんだろう?
「この子は将来オリンピック選手になる」
とか
「プロになる」
ってことを目指させて始めさせる親ってどのくらいいるのだろう?
まぁ自分が指導者で教えるのは別として、他の人に預けるということを想定して。
子供が始めたい!やりたい!と言ってさせてもらえるのもまた、羨ましい時代にもなってきてたりするんだけど。
小学生のスポーツ少年団とかに入れたがらない親が増えている。
子供以上に子供だったり、共働きで余裕がないこともあって、やりたいという子供の願いが叶わないことはある。
お金の問題より、時間の問題が多いのかな。
子供をスポーツ少年団に入れると子供以上に大変なのは、親の当番だろうって思う。
そして指導者に何も出来ない状態で預けた親は子供がひとつひとつ出来るようになり、レギュラーになれることを望む。
全員が同じように練習して同じようにしていてもそこには努力以外にもいろんな要素でレギュラーになれる人、なれない人が出てくる。
そしてなれた人には指導者の熱が入る。
まぁ選ばれたのだからってこともあるのかもしれないし、選んだのだから、周囲が納得するようにしなきゃって思惑にもなるのか?
指導者の器というものがあると思う。
私は小学4年でバレーボールを始めた。
始めた当初、上級生のイジメで半年で辞めた。
そこは外部の人が監督をされていたが、後に小学校の先生が監督となり、チームメイトだった子たちが6年生になった時に県大会で優勝した。
私は、半年で辞めた後、転校をしたことで、別のチームに入り直した。
そこは、2年上の先輩が県大会で優勝したこともあるチームだったこともあり、チームとして大所帯だった。
小学1年生くらいから居て、卒業生の父兄などがそのままコーチとして下級生の面倒を見ていた。
監督さんは一般の方だった。
小学5年生から入った私は身長は高いものの、筋肉がなくまるで使い物にならない、「ウドの大木」だった。
それでも周囲の協力ですぐにBチームのエースになってた。
体罰はそこで初めて体験した。
その頃はコーチ連中が板にビニールテープを貼ったはりせんぼんのようなものを手にしていて、ももをペチペチしてた。
ミスをしたら叩かれていた。
近年、同窓会をするとそれが嫌だったとみんなが口を揃えた。
手で叩かれたという記憶はないが、その板が記憶に刻まれている。
今思うと、これってかなり悪質よ。
だって、手だと痛いから、道具を使ってるわけで。
小学生の段階で、ミスをしたら叩かれる。
ミスってしてはいけないことかもしれないけど、わざとしているわけじゃないわけで。
ミスすることだけでも心が痛いと思うんだよね。
中学はまぁ先生が顧問になるわけで、新卒採用の先生だったから、教え方もまだまだだったから、まぁこちらも舐めてたけど、一度も手をあげたことはなかったと思う。
定年退職をされたようだけど、その後はどうだったのだろう?
一番最悪だったのは、高校生だ。
春高バレーの全国出場まであと少しの位置。
練習は厳しい。
そして、先生は体罰で前の学校を辞めたという先生。
体育の先生。
まぁ体罰が初めてではなかったから、最初から「慣れてた」感じ。
そして、親も。
チームが強くなるなら何でもして良いみたいな雰囲気が昔はあった。
誰も味方にはなれなかった。
鼓膜を破られた子もいた。
私は練習中にブロックでジャンプして着地ミスをして足首を骨折したものの、そのまま氷水のバケツに足を突っ込んだ状態でお説教1時間。
それでも、その後、先生が整形外科へ連れて行って下さり、整骨院で固定してもらい、その後、自転車に乗れるようになるまで最寄りの駅まで行き、帰り送迎をしてくださった。
体罰をされた以上にしていただいた数々の恩が上回る。
卒業してもう30年以上経過していても、先生が倒れたと聞いてしまえば、片道2時間かけてお見舞いへ行ってしまう。
そして、大人になったはずの私を見て先生は脳梗塞で倒れたはずなのに、私の名前を言う。
そう、体罰というのが、その場だけの感情というか、お互いのモチベーションの向上のためのものという意識になれてたのだと思う。
今の体罰は・・・言葉も使って人格否定までをしているのか?
そんな先生は最後はやっぱり体罰で地元の新聞に載って定年退職を迎えてしまう。
それでも、その後社会人チームで教えられていたときには、もう体罰はなかったようだ。
そこまでの情熱やら何やらもなくなっていたのだと思うけど。
体罰をする指導者の思考はなんだろう?
高校だと
私立だと勝たせることを依頼されて勤めていれば、自分のためにチームを強くしなければいけない。
また、自分の教えが正しいのだと思いこみが激しいタイプの場合、自分の思い通りじゃない場合に体罰になるのか?
社会人になればさすがに体罰というのは聞かない。
やはり大人に対してと子供に対しての違いなのか?
子供は操り人形じゃない。
子供も子供なりに思い通りにいかない自分を歯がゆく思っている。
それなのに、教えている側が自分の思い通りにならないからとそこで発散していいものか?
体罰をしているからと言って本当に強いチームになるのは一握りだ。
ただ、センスのいい選手が集まって思い通りになっただけだろう。
指導者が私の世代から下の世代になってきている。
それでも、体罰で指導された指導者は結局、自分がされたようにしか指導できない。
大山加奈さんが体罰の記事でショックだという記事を見た。
大山加奈さんの小学校時代のひまわりバレーボールクラブの監督さん・・・すんごく怖そうだったけど、手は出されなかったのかな。
高校時代の小川監督は大人の方。
高校というよりもプロに向けての体作りを根底に考えているなぁと思う素晴らしい方という感じ。
ということで、きっと体罰とは無縁だったのかもしれない。
大山加奈さん世代くらいから下がゆとり世代になってきているのだけど、発信して文化を変えていって欲しい。
大人を教えるより子供に基本、基礎を教えるのはすごい忍耐力が必要となるだろう。
そしてまだまだ可能性も無限だから期待だけが大きくなってしまうのかもしれない。
指導者の大人力が試されている。
って・・・自分だったら難しいな。体罰され世代だから。
指導者を指導するような仕組みを作っていったらいいのに。
あ、それでも地域ごとに指導者研修的なことはやっているよね。どのスポーツでも。
そこで体罰についてもきっと議題に出ていると思う。
それでも、手を出す人は出す。出さない人は出さない。
手を出す人は強いチーム、アスリートを作るとしても変な話、薬をしている役者と同様に認めなければいいのだと思う。
って時代が本当にくるのだろうか。
日本はまだまだ個人が弱いんだと思う。