前評判だけで観に行ってみた
Twitterでかなり評判が良さそうかなってことで観に行ってみた。
そんなに多くのシアターで上映しているわけではない。
レイトショー、男性が多い感じで20人ほど居たかな?
邦訳のなぜ?
原題は「The Public」
なのに、なぜ邦訳で「奇跡」をつけたのだろう?
私は、物語の展開の先にどんな「奇跡」が起こるのかとそれだけを期待してしまっていた。
寒い中、図書館の前の行列から始まる。
一目でホームレスとわかる人たち。
何かの論評では「お金持ちの国アメリカで屋根のない生活をしている人がいることに驚く」的なことが書いてあったが、この映画の言いたいことはそこなのだろう?
公共図書館。
なんだろう?
日本だと県立図書館的な場所なのだろうか?
オハイオ州シンシナシティ。桃太郎電鉄USAで見た記憶があるけど・・・どこだった?
とても寒いという描写だったから、「あれ?北部だった?」と思っていたが、そうだよね。中西部辺りだよね。
それでも冬は寒いということだよね。日本の冬、東京の冬よりは寒いのだろう。
2017年に「エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館」でも思ったのだけど、アメリカの公共図書館ってすごい。
いろんなものが貯蔵されている。
この公共図書館ではいきなり北極熊の剥製がいたりする。
そして、ホームレスの人々は日中は図書館のトイレで身だしなみを整えたり、ゆったりとした時間を過ごしている。
それを職員のスチュアートをはじめみんなが見守る。他の利用者との権利を考えながら。
それでも異臭のするという苦情で一人のホームレスを追い出したことで図書館は訴えられてしまう。
その担当検察官は市長選を控えたジョシュ。これがまぁ嫌なやつ。
この映画にはそれでも黒人差別的な要素はあまり感じない。
それが監督の狙いか?
ある朝、顔見知りのホームレスが凍死しているのが見つかった。
いつもの仲間のホームレスが見当たらないことで、退役軍人のジャクソンはスチュアートに懇願する。
「追い出さないでほしい」
そして70人のホームレスと図書館に立て篭ることになる。
外野の思惑と中の思惑。
その交錯がキーなんだけど、「奇跡」はどういう結末を待っているんだろう?
結局、警察の交渉人の息子が中に居た。それを知ってて伝えなかったと勝手に決めつける。
暴力行為で結局息子は逮捕されるわけだけど、中の要求は自分たちの存在を知らせたい、声を上げたいということで、終わりに向けてお互いが行動を開始する。
テレビで生放送でまるで違う方向の報道をする。スチュアートは本からとった言葉を伝える。
それを知らないインタビュアー。が、テレビの先の人には伝わっていた。続々と支援を持って訪れる。優しさがまだ残っている街。
最後は突入寸前で出ていく。
うーん、存在がわかってもらえただけで良かったのか?
ホームレスの問題は各国ごとに根底は変わってくるのだろうけど、それでも根底に何かしらあるはずで。
日本ではこんな寛容な図書館はあるのだろうか?
最近はホームレスを都心で見かけることはない。
私が上京してした当初は駅の周囲に多くのホームレスの方がそれぞれの空間を作っていた。
それを寛容したとも言える。
それが、日本人は簡単に切っていく政策になり、ホームレスを排除していったのであろう。
そんな国が図書館などに入ることを許容しているとは思えない。そして、もし自分が利用者として行く場所で多くのホームレスの方が寛いでいることを良しとできるだろうか?ということ。
私も狭い人間。スチュアートは自身もホームレスでありそれを救ってくれたのが本であり、きっと他の人だったのだろう。
それがあり、今度は守る側に立っている。そして日々訪れるホームレスの人のことを気にしている。
まだいまだにわからない。何が「奇跡」だったのだろう?日本人に何を伝えたかったのだろう?