【映画 すばらしき世界】感想。不寛容な世の中は変えられるのか

やっぱり教育が大切なのだと痛感した

親がどうこうではない。社会がきちんと個の生育に向き合い、善悪、他人の痛み、自身の守り方、などなどを教えなければいけないのだと思う。

社会として日本は歪んだ国になっていることへの警鐘なんだと思う。

ヤクザ映画全盛期

ヤクザ映画全盛期の頃、映画は何を社会に伝えようとしていたのだろう?

北野監督はなぜヤクザ映画を撮ろうとしたのだろう?

ってことで、この作品は西川美和監督。

女性目線というか、役所広司さんと言うと「孤狼の血」でヤクザのような刑事役がとても印象的だけど、その原作も女性だった。

なぜ女性が今の時代にヤクザ社会ものをテーマに選ぶのだろう?というのも気になる。

役所広司さんは今の時代できっとこの役が出来るのはきっと彼しかいない。

存在感とか雰囲気とか。

先月観た「ヤクザと家族」とはまた違った感じだけど、それでも反社の人々への社会のあり方が根底では同じなんじゃないかって思う。

刑務所に収監されて罪を償っても日本ではそれで「はい、おしまい」とはしない。

その風潮が強くなり、無関係な人々が無自覚に居場所を搾取している時代。

役所広司さん演じる三上さんは、覚悟を決めて出所する。

「今度こそ、気質ぞ」

身元引受人が橋本功さんとその奥さん役が梶芽衣子さん。

そして、自分の母親を探したいとテレビプロデューサー役の長澤まさみが絡み、取材依頼をするのが仲野大賀演じる津乃田。

「悪い人はいない」

そう、生まれた時から悪い人はいない。

他人に悪いことをするようになるのはその人自身が先に傷つけられていることが多いわけで。

育児放棄などはその最たるものなのだろうってこういう映画や小説を見ると思う。

長澤まさみ演じる吉澤のセリフで「不寛容な社会がレールから外れることを出来ない社会にし、外れた人を許さないようにしている。」

「明日は我が身」かもしれないって感じのことを言っていて、すごく納得してしまった。

津乃田は三上の「身分帳」を見て、生い立ちなどを知り、撮影を開始するが、一度キレたら止まらない一般人では理解できない行動に逃げ出す。

そんな津乃田に吉澤は暴力シーンを撮り続ける勇気もなければ、止めることもしないで助けられるのか?と言う。

三上は暴力で相手をねじ伏せたことを津乃田に見せつけたかった。が、相手はそれを理解出来なかった。

そもそも悪いのは一般人をカツアゲしようとしていた相手ではあるが、それを見過ごせずに成敗してしまう思考がやっぱり難しい。

正義って諸刃の剣なんだってつくづく思う。

言葉もそうなんだけど、「正義」が必ずしも「良し」ではない。

この1ヶ月、仕事でそれを嫌というほど味わった。

仕事を出来ない人の分までしなければならない中で、優しい言葉でどこまで対応出来るのか?

矛盾だらけの設計書で何を作らせたいのか?

時間がないのに、設計書の不備をいちいち確認させられ、そんな不備な設計しかかけない人間はそもそも「出来ない」人間なわけで。じゃあ、どうしたら良かったのか?

なんて自分の境遇と照らし合わせながら観てしまった。

ケースワーカーの井口役が北村有起哉さん。

ケースワーカーさんも大変な仕事だと思う。

相手の状況をいちいち同情していたら身が持たないし、それにつけこんで詐欺まがいの請求をする人までいる世の中。

昔のように誰でも信じていい時代ではなくなってしまっているのも事実。

でも、なんだかんだで世話をしようとしてくれている存在だった。

あとはスーパーの店長役が六角精児さん。

最初、見た目だけで「万引」を疑ったわけだけど、そこで三上も怒りを留めたことで、交流が始まる。

町内会長ということもあり、気にはしていたのだろう。

そして、テレビに出演するかもしれないと浮かれる三上に「食い物にされるだけ」と親身にアドバイスを送るが、三上には伝わらない。

それでも、見守る姿勢でいる人がいたんだってことがすごい救いだったのだと思う。

一度は逃げた津乃田も三上に反社に戻ってほしくないと伝える。

井口さんが仕事の斡旋をしてくれ、介護施設のスタッフとして就職が決まる。

そこで六角精児さんのギターで梶芽衣子さんが歌うというなんとも贅沢な感じのセッションがあったりして。

より、梶芽衣子さんの肌が美しすぎて・・・すごいわ。あの年齢であの肌ツヤ。

そして三上に言う。世の中は正直でまっすぐでは生きていけないことを。

自分をまず守ることを考えて、私達のことを思い出してと。

三上は施設に慣れてきた頃、スタッフ同士でいじめをしている現場を見かける。

以前の三上だったら・・・という嫌な予感しかなかったが、踏みとどまる。

そして、スタッフ同士の軽口も耐える。

そして耐えたのち・・・

正義ってなんだろう?

きっと今、このときも生きることが難しい人がいるんだろうなって思う。

私はどうにか「正義」だけでは生きていけないことを勉強しているところかな。

それでも数年おきに「正義」で負けるのだけど。

HSPという特徴でいろんなことに気づいてしまうこともきっとそれに拍車をかけるのだろうなぁ〜。

多くの人がこの映画を観て感じて欲しい。

自分が生きている世界はこのままでいいのかって。

まぁ多くの人が不寛容であり、そして不感な世の中だから、変わらないのだろうけど。