【映画 Vision】感想。吉野の山奥にある精神を浄化する場所

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舞台挨拶ビューイング

公開初日は関西方面での舞台挨拶だったらしい。今日は関東で130会場に中継されるライブビューイング舞台挨拶。

日本人には興味がむかないのか?舞台挨拶付きなのにほとんど客が入っていない。

残念だ。

今の日本に大切な何かがある映画なのに。

全てに繋がりがある

ジュリエット・ビノシュというフランスの女優さんを私は実は知らなかった。

それでもカンヌ映画祭ではいろいろな賞を受賞されている女優さんだ。

そんな女優さんが主演で日本の吉野という人里離れた場所の物語だという。

河瀨直美監督は奈良のご出身ということでビジョンがあったのだろう。

そして生まれた「Vision」という作品。

奈良の山奥、鹿を狩るシーンから始まるが、それが意味することは?

最初から最後まで全てに繋がりがあることがわかるのは終わってから。

2度見て確認したい感じになる。

それでもセリフということよりも人間の繋がりが紡がれていく作品だ。

劇場予告を見て、永瀬正敏が主演の映画だと思っていた。

一人山を守るために20年前から住んでいる智という男性だ。

木を倒し、薪を作って夏木マリ演じるアキの自宅へと届ける。

舞台挨拶に登場した夏木マリは派手な衣装と派手な髪型がカッコいい女性だが、アキは髪の毛も短くし、一人で生活している老婆?でもないが、そんな感じだ。

アキにお茶を入れてもらい雑談する二人。

アキが智に「いくつになった?」と問うと「もう忘れた」ととぼけるが「48」と答える智。

智もアキに年齢を聞く。

アキは「ワシは1000年前に放出された胞子だと」

嘘なのか、本当なのか。

そんな雰囲気が漂っているアキ。

アキは智に「雨がくるぞ」と言う。晴れた空に雨の気配はない。が、じきに雨がやってきた。

アキには自然が見えている。

お互いが一人で生活しているが、お互いの存在は必要なのだろう。

智にはコウという猟犬がいるけど。いつも一緒に山に入るコウの存在がとてもいい。

ジュリエット・ビノシュ演じるジャンヌが電車に乗って吉野を目指している。

連れには通訳の美波演じる花がいる。

花はジャンヌの旅行記などに感銘をうけていることを告げる。

美波は役としてフランス語の通訳をしていると思ったら、舞台挨拶でも通訳をする。たまたま通訳さんが聞き逃したジュリエットの言葉を翻訳してくれた。

とても素敵な言葉だった。

ジュリエットさんはとても言葉が豊富で通訳さんも大変だったと思う。

司会者の言葉はわからないから突然話し出してしまったりするわけで。

それをフォローした美波さんに感動した。

ジャンヌと花は春日神社の前で智と出会う。

智に何かを感じたのか?ジャンヌは「Visionという薬草を知っているか?」と聞く。

知らないと答える智にいろんなことを尋ねる。

人嫌いなのかと思っていたが、人がいなかっただけだ。きっと。

智は20年前にいろんなことに疲れてこの地にやってきて、山の守り番をしていると告げる。

何かを感じるジャンヌ。

二人は智の住まいへと一緒に行き、しばらく宿泊させて欲しいと言う。

受け入れる智。

Visionとは何なのか。

智の思うものは感じることが全てだと。

そのシーンがとてもいい。

劇場予告でもあるけど。

森へと行っていたジャンヌと花をアキを乗せて車で走っていた智が追い抜かす。

アキが「いいのか?」と聞くと智は車を止めて二人を待つ。

アキはジャンヌと話、「あんたがそうか」「待っていた」と意味深な言葉を告げる。

アキの家でで薬草のことを聞くジャンヌ。

Visionという薬草のことは知らないが、1000年に一度のことが起こる気配を感じるというアキ。

それは何なのか?

智も山に少し違和感を感じていた。

アキは目が見えない。それでもいろんなことを感じていた。

目の見えない演技。

山の景色、紅葉の時期もあって、赤く染まる山。そして森に注ぎ込む光。

全てが美しい。

花が一人山を降りて帰った。おばあさんのところへ行くという。

二人きりになった智とジャンヌ。

そして結ばれる二人。

だけど、ジャンヌの想像にはなぜか森山未來演じる岳が重なる。

岳とは誰なのか?

フランス人だからなのか?激しい絡みのシーンではないが、官能的な描写がすごい。

アキが自宅を閉めて森へと行く。

アキは1000年に一度の訪れを求めているのか?神々しい光の中で舞う。

神々しい神木の前で。

そして神木の前で息絶える。

それの意味するものは?

アキが姿を消し、そしてジャンヌも仕事で帰国するという。

「まもなく”ビジョン”が現れる」と言い残して。

秋になり、一人の青年を保護する。岩田剛典演じる鈴だ。

鈴は足を怪我していた。自宅へ連れて帰り彼らは次第に心を通わせる。

智の林業を手伝う鈴。

一人では出来ない作業も二人ならできる。

1ヶ月ほどしてジャンヌが戻ってくると、自分の居場所がなくなっていることに気づく。

それでも、男女は結びつく。

結びつけば結びつくほど岳の姿が出てくる。

彼は誰なんだ?ジャンヌの心の傷なのだろう。

満月を見上げる寂しそうな鈴を見つめるジャンヌ。

翌朝、コウの姿が見えないことに気づく智は鈴まで姿を消したことに気づき、後を追う。

見つからない。

しばらくして、鈴が戻る。腕の中に息をしていないコウを抱いて。

犬が亡くなるシーンは駄目だ。泣ける。きっと麻酔とかで気を失わせているのだろうけど、智の悲しさが伝わってくる。

何がビジョンなのか?

映像の中にあるビジョンが何なのか?

鈴が森へと入る。ジャンヌは鈴にビジョンについて教える。

1000℃ => Vision => PAIN

この意味するものは?

明らかになる繋がり。

岳は智の前の山の守り人だった人間なのだろう。しかし、田中泯演じる源に鹿と間違って撃たれてしまう。

ジャンヌのお腹には岳との間に命が宿っていた。

神木の前で出産するジャンヌ。

そのまま神木の前に置いて姿を消す。

赤ちゃんに気づいたのがアキだった。

アキを自宅に連れて帰るが、なぜか自分で育てるのではなく、源の自宅へと置いてくる。

源が育てたのが鈴だ。

鈴は自分の母が誰なのか次第に気づく。

そして1000年のときなのか、森が火に包まれる。火の中にいる鈴。

助けようとする智に「大丈夫だから」と。

火は収まり、平穏が訪れる。

ビジョンとは何だったのか?

山はトンネルが出来たことで人の流れがなくなったと言う。

時代の変化で忘れられた場所がある現実。

それでもそこには太古から息づくものが今でもしっかりと根を張っている。

なぜ人は疲れると森へ行きたくなるのだろう?

この映画を見ていて、自分の疲れを感じた。

あぁ羨ましいなと。

ビジョンに包まれて生活することを目指した智が羨ましいなと。

心が浄化されると舞台挨拶で永瀬正敏は言った。

浄化だろうか?

それでも人間とは不思議な生き物だと思わせられた。

舞台挨拶でフランス人のジュリエット・ビノシュによって日本の良さを再確認させられた。

通訳役の美波はジュリエットの探究心に日本人であるのに知らないことが多すぎて大変だったと言っていた。

一流であることがそこにあると。

河瀨直美監督は最後に「万引き家族」と公開日が同じであることに言及した。

同じ時期から似たような雰囲気を持つ二人だと思う。

そして「万引き家族」も「Vision」も現代社会において見えていない影の部分を探しているような作品だ。

光が大切だと言う。

光があるから、影ができる。

その影を感じる作品なのだと思う。

映像はキレイで神々しく、ISO感度10000くらい?って感じの世界観。

過剰な演出もなく、自然な生活の1部を切り取っているような作品。

岩田剛典・・・で良かったのか?

また違う一面が見られたが、彼の笑顔がない作品の方がいいと思ってしまう。

彼の笑顔は邪魔だ。

彼の笑顔は悲しく見えてしまう。

なぜだろう?

まぁ鈴という役はそんな役だったのかもしれないけど。

もう一度観に来なきゃな作品だ。

散りばめられている様々な要素を確認しながら。

観たいと思う作品だ。

週末興行ランキングで10位に入るかどうかはわからない。

日本人が目を向けたがらない要素かもしれないから。

【映画 羊と鋼の森】感想。若さゆえの歯痒さとひたむきさと。

エンディングテーマに鳥肌

調律師がメインの作品は初めてで、ピアノというものの維持の大変さを感じた。

ピアノの音色が心地よいのだが、最後のエンディングテーマに鳥肌。

誰も席を立たない。

エンディングを聴けただけでもいい。

あ、映画もいいんだよ。

山﨑賢人の等身大の作品

23歳になった山﨑賢人。まだ高校生作品が多く、2017年は4本主演作品があったけど、すべて実写映画化の高校生役。

2018年最初の作品の今作はほんと主人公の外村直樹のままなんじゃないかと思うくらいだった。

若さゆえの葛藤。

誰しもが通る道なのだけど、できる人を見てなぜ未熟さを「自分は出来ない」としてしまうのか?

人間の弱さなのだろう。

この作品は「森」があるから彼がいるというところがいい。

旭川市のレトロな楽器店。

街並みが旭川市というより、美瑛町の街並みに見えたのだけど。

気のせいか。

高校で三浦友和演じる板鳥宗一郎と出会えたことで彼の人生が変わる。

外村は山と森しかない場所で育ち、自分の未来なんて考えてなかったのだろう。

体育館で調律を初めた板鳥の鳴らした音色に森を感じる外村は、何の経験もないのに調律師になることを決意してしまう。

そして生まれて初めて北海道を出て本州の調律師養成の専門学校に2年行き、板鳥の在籍している楽器店に就職する。

調律の技術を学ぶ

自分がきっとエンジニアとして言語を学んだと同じで実践には程遠い段階。

自分が何をすればいいのか。

調律の練習をしているだけで音の森へ迷い込む外村。

それを見ていた板鳥はそんな外村に「コツコツとすればいい」と言う。

真面目で要領がいいわけではない外村はその言葉に惑う。

事務員の堀内敬子演じる北川に「あの〜調律師でコツコツするって・・・」と聞くが、間が悪すぎて怒られてしまう。

光石研演じる秋野に尋ねるが、相手にされない。秋野は鈴木亮平演じる柳に教育係を命じる。

柳は外村の不器用さも寛大に受けとめる。

先輩として頼りになる存在だ。

そして外村の真面目すぎる部分にも彼なりに試行錯誤する。

双子の姉妹の佐倉家。姉の和音を上白石萌音。妹の由仁を上白石萌歌という本当の姉妹での共演。

息が合わないはずがない。

息の合った音色の連弾。

それでも姉妹としての葛藤がある。

姉の和音は妹には敵わないと思っている。自分がどんなに努力をしても拍手をもらうのは妹だと。

妹の由仁は天真爛漫で明るい曲を奏でる。

姉の和音は外村に森の景色を感じさせる曲。

妹は言う。「もう少し明るい感じになりませんか?」

外村は姉妹の曲調が違う調律は難しくないかと柳に聞くが、柳は言う。

「お姉ちゃんのために言ったんだろうな」

外村には意外に思えた言葉。それでも真意がわかり納得する。

この姉妹はまだ何も出来ない外村には劇薬だった。

まだ自分の音や調律に自信がない時期には。

柳の同行を続けていた外村が一人のときに、由仁に呼び止められて自宅へ行く。

季節の変わり目で軸の間接部分が固くなっていた。その修理はできるものの調律となると別だ。

姉妹の要求に応えようとする外村。

しかし、彼は迷路に迷い込み柳に電話で翌朝の調律をお願いすることとなる。

自分の位置を確認する外村。

しかし板鳥はそんな外村に「ここからがスタートだ」と道具をプレゼントする。

もうさ、友和さんがカッコ良すぎなわけ。私の中で最初にカッコいいお兄さんは友和さんで、従姉妹のお姉さんが大ファンだったからポスターとか貼ってあったし。初めて観た映画はまだ小学生に入ってないのに山口百恵との何かの映画だし。「風立ちぬ」だったのかなぁ〜。

外村は柳について周りながらも愚直にいろんなことを書き留める。

そして柳から「お前に必要なのは1台でも多くのピアノと向き合うこと」と新規のお客様に一人で行くことに。

そこには生気をなくした森永悠希演じる南隆志が、何も言わずにピアノの元へ連れていく。

幸せなピアノしか見てきてなかった外村は戸惑う。

それでもピアノの調律を始める。

最後の調律から14年経過したピアノ。

何かが止まっていた。

ピアノを解体し、隅々までキレイにしていく外村。

それを隣の部屋で聞いている南。

調律が終わり、確認をしてもらうと南は変わっていく。

そこには幸せだった頃の自分と両親と犬の姿が。

14年前に両親が他界したのだろう。それ以降、犬との生活を送っていたようだけど、その犬も居なくなってしまった。

残されたのはピアノだけだったのだろう。

生気を取り戻す南だった。

経験を積み、佐倉家の担当となる。

和音が出迎えて和音の音に合わせた調律を進めていたところで由仁が帰宅し、姉が音合せを待っているのに、「弾いていいですか?」と弾き初めてしまう。

姉はそれを咎められない。

そして弾き終えた由仁は「いい音ですね」と言って2階へと上がってしまう。

発表会があり、そこで入賞するとコンサートが開けることを目標としている和音。由仁はそういうことは言わない。

自信がある妹に嫉妬している姉という感じが自分と重なる外村。

自分にも優秀な弟がいると。

調律師になることを家族に告げた場でも兄の言葉を軽く流してしまった弟に好感を持てずにいるようだ。

そして、調律というものが世界とつながっている感じがするという言葉も冷やかされてしまう。

森の中を彷徨う外村。それを森の入口で待っている祖母の吉行和子。彼女は何も言わずに外村を見つめる。

発表会の日、結果を知りたい江藤楽器店の面々。きっと連絡があるだろうと思って待っているとそこには悲しい知らせが。

由仁が弾けなくなってしまってしばらく調律はいらないという内容だった。

自分の調律で壊してしまったと自分を責める外村。

柳は自意識過剰過ぎだと咎め、しばらくは自分が担当すると言う。

行ければなと。

調律師としての自分に自信が持てない外村は、祖母の死で帰省することになる。

調律を辞めるつもりなのか?板鳥にもらった道具を板鳥の机に載せて。

久しぶりに会う弟ときちんと話ができない外村。弟はそんな兄にキレる。

兄の煮え切らない態度。祖母はそんな兄のことを「直樹は森に入っても迷ってもきちんと帰ってくる」と言っていたと。

心を閉ざしていただけの自分。

外村は板鳥のコンサートの調律を遠くから見ている。

板鳥の細かい気配りを目にする外村。

そして板鳥の調律したピアノのコンサートを聴く。

感動しかない外村は再び、板鳥から道具を受け取る。

再び働き始めたところに由仁が来る。

心配させたことを謝りに。

由仁は最初は凹んだけど、もう立ち直っているのに、ピアノを弾かなきゃいけない和音が全然弾かないと言う。

夜、北川、秋野、柳にその話をする。秋野は元々ピアニストを目指していたが、なぜ辞めたのかを北川が聴く。

秋野は「耳が良すぎて自分がトップピアニストの音になれないことがわかってしまったから」と。

いろいろあるなぁ〜。

柳にも過去はある。それを最後に結婚することになる仲里依紗演じる濱野絵里が語る。

ジャズバーのピアノ調律を柳から変わったが、見習いではダメだとダメ出しされてしまった外村をライブへ誘う柳。

そこにはバンドのドラムをしている柳の姿があった。

柳はメトロノームのままドラムを叩くらしい。

昔はいろんなものがダメで、メトロノームに救われたとかって。

人に歴史ありなんだよ。

仲里依紗が・・・ちょっと雰囲気が変わった感じだったね。

和音が江藤楽器店のドアの前まで来るが、中には入れないで、外村の姿を見ていた。そこに柳が戻ってくる。

柳は同僚に「今度結婚式をします!」と招待状を渡す。

そしてピアノを演奏するから調律を外村に依頼する。

そんな場面での大仕事に躊躇する外村だったが、ピアノは和音にお願いしたからということで、「やらせてください」とお願いする。

今までと違う場所での調律。

準備が始まる前には通っていた音色が止まった感じがすると和音。

天井の高さや奥行き、ドアなどなどいろんな要素を感じる初めての場面だった。

由仁は柳に「ピアノはどうした?」と聞かれ、「調律師になりたい」と言う。ピアノは弾き始めたら1人で孤独でそんな人を全力で支えていきたいと。

そんな由仁が外村に協力して端の席まで音を届けるように努力する。

披露宴が始まり、ピアノの音がどこの場所からも心地よく聴こえる。

外村はそれまでなかった「コンサートチューナーを目指す」と宣言する。

いろんな成長を感じられる作品。

外村のような自分に自信がなく何もできないと思ってしまう世代はとうの昔に過ぎてしまっているが、誰でも通ってきていると思う。

それを森を随所に取り入れて映像がとてもキレイだ。

まぁ美瑛だし。

美瑛らしい場所はないけど、美瑛から旭川に向かうあたりだと思うんだよなぁ〜。

また行きたくなってくるわ。

こんな人間関係の職場は理想だな。

優れた上司とちょっと嫌味な人と人の良い先輩と、口うるさい感じの事務員さんと。

いいなぁ〜って余韻の中で始まる辻井伸行のピアノの音色。

The Dream of the Lambs

The Dream of the Lambs

  • 久石譲×辻井伸行
  • サウンドトラック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

それまでもピアノの音色はいいのだけど、やっぱりね、エンディングテーマにはかなわない。

ほんと鳥肌たつくらい良かった。

世界観がそのままだから?

エンディングはそんなに長くないから最後まで聴くことをオススメします。

【万引き家族】感想。現実の事件とオーバーラップする映画

パルムドールを獲得しただけでも

カンヌ映画祭で名誉な賞に輝いた作品というだけでも興味を持てる作品だ。公開初日、ほぼ満席であった。

でも、今週発覚した事件がオーバーラップして余計にいろんなことを考えさせられた。

家族とは?

この作品が世界の人にどう映ったのだろう?

海外から見た日本はどういう国だろう?

環境客が増え、裕福な感じを与えている国の現実として、受け止めてもらえた結果がこの受賞だとは思うのだけど、海外でもある話なのだろうか?

父役の治がリリー・フランキーで妻役の信代が安藤サクラ。

息子役の祥太が子役の城桧吏くん11歳。小学6年生。

妻の妹役の亜紀が松岡茉優で、母親役の初枝が樹木希林。

彼らは家族の役目を演じている家族だ。

どこにも血の繋がりはない。それでも、お互いの利害の一致なのか?一緒に暮らしている。

治が祥太とスーパーで連携で万引きをしているシーンから始まる。

このような光景にあまり驚かない。教えられることは「万引きだけ」そう言ってしまう治なのだから。

コロッケを買って帰る途中でアパートの玄関の前に寒い中、座っている女の子に気づき声をかける治。

「コロッケ食べるか?」

女の子は自分の名前を「ゆり」と言う。子役の佐々木みゆちゃんが小さい頃の芦田愛菜のようで可愛い。小学1年生になったところだろうか。

治は寒い中、可哀想になりゆりを連れて帰る。狭い部屋に母親、妻、妻の妹、息子がいるのに、お金の匂いもしないゆりを連れてきたことに、母親は「もっとお金の匂いのするもんを拾ってくれば・・・」とボヤキながらも、世話をする。

名前を聞き、身体に多数の虐待の痕を見つける。

それでも、誘拐にならないようにと信代と治は団地に返しに行くが、そこにはゆりの両親の言い争う声が聞こえる。

その中に「産みたくて産んだわけじゃない」と言うゆりの母親の声が聞こえ信代はゆりを残して帰ることができずに、連れて帰る。

ゆりは良かったね。

虐待されていても拾ってもらえて。他人のおせっかいで助けられた命がまた奪われた事件が報道されている。

何に反省してゆるしをこうていたのだろう?メモにいたたまれない気持ちしか残らない。

現実に起こってしまった事件が悲しくてしょうがない。映画だけの世界の話としておきたいのに。

治は日雇いの工事現場で働いている。信代はクリーニング店。祥太は学校には行かずにゆりを連れ、駄菓子屋で万引きをする。

店主役の柄本明は知らないふりをしているだけなのだろう。

初枝は亜紀を連れて年金を下ろしに行く。亜紀はJK見学店というマジックミラー越しにサービスを行う店でバイトをしていた。

最近のバイトって・・・これって海外ではどう受け止められたのだろう?そういう観点でしか見られなかった。

まぁチャットレディーとかと変わらないのか?結局は男性の要望によって、女性側のオナニーシーンを見せるというスタンスなんだろう。

意味がわからない。

ゆりは家族に馴染んでいく。身体の痣を聞いても「ころんだ」と嘘を言う。そこには明らかに火傷とわかる痕もある。

春先にやっとゆりが行方不明というニュースが報道される。

両親は2ヶ月以上「親戚に預けた」と言っていたがそれを児童相談所が怪しく思い、警察に届け出ていた。

児童相談所も映画の中では機能しているのに。現実では機能しきれないケースが多すぎる。悲しい。

ゆりの本当の名前は「じゅり」だった。それでも名前を再び「りん」とし、髪の毛も切ってしまう。

りんは戻りたいとは言わない。

子供でも選んだ家族のほうが「キズナ」が強くなると信代は言う。

治は怪我を理由に働かず、信代もクビになってしまう。

信代はりんの存在を知られたことでクビを受け止めざるを得なかった。

万引きしてきた水着を着て信代と一緒にお風呂に入るりん。

りんは洋服を買ってもらうことは虐待されることと同意だった。

そんなりんを不憫に思う信代。

そしてりんが着ていた着衣も燃やすことにした。

夏になり、家族で海へ出かける。

楽しそうな家族の模様。

駄菓子屋で祥太は自分が壁になりりんに万引きをさせる。

駄菓子屋の店主はそのことに気づいたが、祥太にお菓子を渡し、「妹にまでさせるな」と釘をさす。

祥太には最初からりんに万引きをさせることに抵抗があった。

しかし、治は万引きの場にりんも連れて行った。そして祥太の意見に「りんだって何かしてないと家に居辛いだろう」と言う。

祥太の中で膨れ上がる疑念。

そんなとき、初枝が起きない。既に死んでいた。救急車を呼ぼうとした治を止める信代。既に死んでいるのだからと。次のことを考えなければならなかった。

なぜならそこは初枝の家であり、自分たちは「他人」であり、初枝の年金だけが頼みの綱なのだから。

自宅の部屋の中に穴を掘り、埋葬することに。

治は祥太に言う。「この家には最初から5人しかいかなった」

祥太はスーパーに万引きに行くが、りんには表で待つようにと言う。

しかし、後ろを向くとりんが万引きをしていた。

気づいた祥太は陳列棚から物を落としてみかんを盗んで店を出る。

その間にりんも表に出る。

祥太は追い詰められ、飛び降りる。

骨折をし、入院する祥太。聞き取りを受ける治。そこに信代も登場し、一度自宅に着替えを取りに戻ってきたいとその場を後にする。

身の危険を感じた「家族」は夜逃げをしようとしたところで捕まってしまう。

バラバラにされる家族。

りんは海へ行った絵を描いていた。そこには5人でジャンプする家族の絵。捜査員が「何人で行ったの?」と聞くがおばあちゃんのことは言わない。

りんは両親の元へ返された。マスコミが取り囲む中、両親が何食わぬ顔で無事に安堵している。

祥太は子供だけの施設へ行くことになる。祥太から初枝のことを聞き出そうとする捜査員だったが、口を割らない。そして一人で車での中で生活していたと言い張っていた。

亜紀は初枝が「家に来ない?」と言われて家族になっていた。

亜紀の祖父が初枝の元彼?という間柄なのか?度々、亜紀の実家へ行き、線香をあげていた。亜紀のことは知らせずに。

亜紀もそのことは知らず、お金のために利用されたと気づく。

治は誘拐を信代のしたこととした。

この二人の関係性は?

治は信代の元夫を殺害していた。そのため、信代が罪を被ったほうが軽いと判断した結果のことだった。

信代は捜査員役の池脇千鶴から「母親になりたかったんでしょ」と言われる。

女性同士、きつい。

子供から「お母さん」と呼ばれていたのか?など彼女を追い詰めていく。

りんが自宅に戻されたと言われ、なぜ虐待のことを言わないの?と思ってしまった。

りんは自宅に戻り、母親にまた冷たくされていた。りんは信代にしてもらった優しさを母親に向けるが、母親には怒られてしまう。

母親は「じゅり、お洋服買ってあげるからおいで」と甘い言葉を言う。きっとそう言って来たじゅりを叩いていたのだろう。じゅりは首を横に振って近寄らない。そして一人玄関の外で迎えに来てもらえないかと待つ日々になっていた。

祥太は施設から治といっしょに信代の面会に訪れていた。

信代はそこで祥太の過去について告げる。

「あなたは松戸のパチンコ屋の駐車場に居たの。習志野ナンバーの赤のビッツ」

「本当に探せば本当の両親が見つかるから」と。

偽家族を解体した瞬間だったのか?

祥太ももしかしたら、この二人に助けられていたのだと思う。

パチンコ屋の駐車場で熱中症で死んでしまう子供になるところだったのかもしれない。

だから祥太には記憶はない。

そのくらい小さい頃からこの二人に育てられていたのだろう。

その日の夜は治は祥太を一人暮らしているアパートへ連れていく。

そして治は言う。「お父ちゃんからおじさんになる」と。

翌日のバス停。祥太は言う。「僕、捕まろうとした」と。

きっと教育をされなくても善悪というものはわかってくるのかもしれない。

りんという存在を守らなければと思ったときに正義が出てきたのだろう。

家族が終わった。

それでも亜紀は行く場所がなく、一人、元の家に行く。

そこにみんな戻る日があるのか?そんな想像をさせられる最後だった。

エンディングテーマもない。

この映画のメッセージを海外ではどう受け止めたのだろう?

そしてこれから観る日本人はどう受け止めるのだろう?

重いテーマ。

リアルに抱えている問題。

映画が評価され、問題の解決になることを期待するのだけど。

【映画 Blank13】感想。ロングランヒット中の作品をやっと観に行けた。

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キャストかぶりで

リリー・フランキーさんと松岡茉優が出ていて、しかも昭和で「万引き家族」か?って感じだったけど。

存在感のある役者さんってことなんだろうな。

雰囲気のある映画館で

先行上映は確か2月の最初の頃だったと思う。そして2月24日から順次全国ロードショーってことで、約4ヶ月待ってしまった。

新宿に行っても良かったのだけど、この「スカラ座」に行ってみたい気もしてたから。

川越スカラ座。「時の鐘」の裏辺りなんだけど、見かけたこともなかった。

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表側はちょっと手を入れたのだろうね。募金箱もあった。改修費用募金ってことみたい。

ちょっとした体育館のような感じのところに200席弱のシート。

最近の映画館って段々にしてあるからあまり前の人の頭が気になることもないけど、身体をどちらかに預けないとがっつり頭だった。

後ろの人、ごめんなさい。席を移動されてた。そうだよね。

そんな映画館だけど、3割程度埋まってた。

予告もあまり観ていない感じの分野でまた興味を持てる作品があって困ってしまう。

物語は・・・

どうしようもない父親が失踪して13年後に余命3ヶ月で再会したものの心の溝を埋めることなく死亡してしまい、そのお葬式で数人しかいない参列者一人ひとりからお言葉をもらうという展開。

あまりないんじゃないかって思うけど。

どうしようもない父親。

父親という立場に求めるものは何なんだろう?

家族ができるとはどういうことだろう?

母親はなぜ苦しい立場でも自己犠牲の上で子育てをできるのだろう?

まぁ一概に全ての人が当てはまるわけでもないのだけど。

よくある話としては、博打に明け暮れる父親が借金をして借金取りが家に押しかける。

その状況で息を殺して生活をする家族。

父親役のリリー・フランキーさん。ぴったりなんだよね。

だらしないわけでもないのだけど、肩の力がいい具合に抜けているから、わかりやすい。

ちょっとずるいな。

リリー・フランキーさんって人がそういう人ってイメージがそのままなんだもん。

母親役が神野三鈴。この人もね、幸薄そうな女性がピッタリで・・・。

斎藤工と高橋一生が兄弟という役柄。それでも13年前はまだ中学生と小学生の兄弟ってことで、子役。

弟役の子役が可愛い。大西利空くん。今後期待。

まず火葬場のシーンから。

火葬にする意味なんて考えたことがなかった。

国土が狭い国では火葬にすることが多いって。そうかぁ。アメリカは土葬だもんなと思ってた。

そしてセミを火葬する。

うーん。うーん。うーん。

弟のコウジが暑い夏の日、父親を探して自転車で雀荘を巡っている。

そして、自分が書いた作文が表彰されたことを報告する。

麻雀に忙しい父親はそんな息子の存在を無下にするわけでもないが、作文をすぐに読もうとはしない。

作文は父親と初めて甲子園を見に行ったことを書いたものだった。

コウジの記憶の父親は自分と野球をしてくれた記憶が残っている。

それでも日々取り立て屋がアパートのドアを叩き、叫ぶ。

息をひそめる家族。

それもいつしか限界がきて父親が家を出ていく。雰囲気を察している母親とコウジ。

父親は帰らなかった。

そんな父親でも居るだけマシだったのか?

その日から母親は懸命に働く。朝早く新聞配達へ行き、夜は水商売へと行く。

ある日、新聞配達の途中で車に自転車で突っ込んでしまうが、時間がないと病院へも行かずに腫らした顔に化粧をして夜の仕事へ向かう母親。

倒れたのか?翌朝、兄ヨシユキとコウジが新聞配達をし、ヨシユキがお弁当を作っている。

遠足に間に合わないと言い出すコウジに「なんでこんなこと自分がしなきゃいけないんだ」切れるヨシユキ。

子供時代の象徴的な場面だったのだろう。

13年後、大人になった兄弟と母親が久しぶりに対面している。

って言っても、かなり無理のある年齢設定でしょ。

13年ってことはお兄ちゃんが28歳くらいで弟が23歳くらいなんだけど・・・二人共30代後半よね?

そんなことは気にしないでと。

ヨシユキが父親が入院していて余命3ヶ月であることを告げる。

見舞いに行くかどうかという相談らしい。

ヨシユキは即答気味に「俺は行かない」と言う。

母親も「私も・・・」

コウジは何も言わない。

なんだろう?「親はなくても子は育つ」と言う話はあるもので、自身がきっちりとしたことをしていればきちんとしたところへ就職は可能だ。

兄は大手広告代理店勤務、弟は現金輸送車の運転をしていた。

兄弟は父親の背中を見て反面教師にしている。そして母親の苦労も見ていたのだろう。きちんと母親にお金を渡している。

コウジは一人父親を見舞う。

そこで会った父親は昔のままにお金の工面をしている姿。

失望。

家族の溝が埋まることなく、お葬式となる。

お葬式の場は、お寺の本堂ではない場所。そこに受付をするコウジの彼女の松岡茉優演じるサオリ。

奥の本堂では大規模なお葬式をしていた。同じ名字。

間違えて受付しようとする人に頭を下げるサオリ。

お葬式は必要なのか?と思ってしまったのだけど。

父親のお葬式の参列者はいずれも素性のわからない人々。

読経の後、それぞれに一言をもらうことに。

家族のことなど気にしない面々。

自分と父親の雅人との関係を語りだす。

そこには家族の知らない父親の姿が浮かび上がる。

借金をしていた父親。その多くは他人のために借りていた事実。

子供のためにマジックを覚えようとしていた父親。

そして、入院していたところに自分の作文を大切にしまっておいてくれた父親。

人間の本質というものは?

奥の本堂のお葬式には雇われたおばあさんが大泣きの演技をしていた。

そんなことをさせなきゃならない人間性と。

家族には本当の姿は見えない。

母親も喪服に着替えながら、お葬式の場には現れない。

どんな相手であってもきっと母親の中には悲しみがあるのだろう。

憎しみではないだろうって思う。

憎しみしかなかった兄は参列者の言葉を聞き、喪主挨拶も出来なくなっていた。

その後を継いで語りだす弟。

13年って言う期間はあっという間だと思う。

子供の中の13年はそうでもないのか?

などなどいろいろ考えることが多い映画だ。

齋藤工の監督作品。

撮られる側のプロが撮る側にまわった時の表現って面白いと思う。

こんな小さい劇場で2週間くらいで1日1本って割合しかしていないのに、ロングヒットで1億円突破はすごいと思う。

若い人というよりは年配の人。

斎藤工という俳優を知っている方だろうけど、年配のおじさんとかもいて、どういう経緯で来ているのだろう?とかって考えてしまった。

【映画 OVER DRIVE】感想。日本であんなラリーの大会があるの?

メカニックがカッコいい

日本国内をラリー場として本当に撮影しているのだよね?

首都高とかカッコいい。

一番カッコいいのはドライバーになりがちだけど、この映画は「メカニック」

男性が多かった感じがする。

ターゲットは?

この映画のターゲットはどの層なんだろう?

若者の車離れが言われている現代にあの映画はどの年齢層がターゲットなんだろう?

新田真剣佑演じる檜山直純と東出昌大演じる兄の檜山篤洋の兄弟の話が根底にある。

ドライバーの直純は兄がメカニックをしている「スピカレーシング」に所属している。

メカニックの篤洋の言葉に耳を貸さずに対立する日々。

ラリーの花形はドライバーだろうけど、それを支えているメカニックをないがしろにしているように見えてしまう。

そこに直純のマネージメントにされた森川葵演じる遠藤ひかるが配属される。

ラリーも自動車レースについても興味のないひかる。それでも仕事として直純に張り付く。

直純にも相手にされず、メカニックの邪魔になることしか出来ない。

スポンサーのこともあり、スポンサー名が隠れないようにという事にだけ心血を注いでしまう。

メカニックが1秒を削るためにパーツの整備をし、テストを繰り返す。

デザイナー志望の若手には繰り返すテストが理解できない。

それを見たひかるも自身のしていることと重ね合わせて助言するが、それを直純に聞かれてしまう。

直純はひかるに冷たくあたる。

ひかる自身は高校生ゴルファーのマネージメントをしていて、その子が気になってしょうがない。

自分を削るように走る直純を心配する周囲。

直純は約束を守りたいのだと言う。

幼い頃に誓った約束。

お互いの存在がずれてしまっている兄弟。

ライバルチームのドライバーの北村匠海演じる新海はメカニックとも話し合いをして協力していることで成績を伸ばしているが、自分勝手な振る舞いしか出来ない直純はマスコミからも叩かれる。

結果だけを追い求める直純は孤立していく。

その原因は何なんだろう?ひかるは直純に聞く。

直純から出てきた言葉を検索してあることを知る。

直純の想い人は既に亡くなっていた。ボストンへ留学し、そこで銃の乱射事件に巻き込まれていた。

兄弟の不仲の原因は彼女だった。

幼馴染の彼女を好きになった直純は世界一になると宣言する。

世界一になれば彼女が自分を好きになると思っていたのだ。

それでも自分へは向かない想い。彼女は篤洋を好きだった。

そしてひかるもまた篤洋に目が向いていた。

優しい兄にやんちゃな弟。

よくある構図。

ひかるは自分がマネジメントをしていた選手のマネジメントから外されたことを知る。

自分はどこに向かえばいいのか?

その答えが出ずに篤洋に聞く。

篤洋は自分の失敗した過去を話しだす。

ひかるは自分でどうにかしなければとラリーについて勉強を始める。

いろいろなことがいい方向へ向かい出す。

最終戦の北九州の初日、事故で車が湖に落ちてしまう。

篤洋は直純に言っていた言葉を思い出す。「すぐに直すから」

車を引き上げて5分のペナルティを加算されても急いで次の日に間に合わせる。

そして直純へのアドバイスは「攻めてこい」

攻めることしかできないのだからそれにあった仕様に仕上げてドライバーが気持ちよく走れることを優先させた。

そして優勝。

2時間でいろんな想いが錯綜していてひとつひとつが重たくて。

それでも大事なものがあるってことがわかった。

続編あるの?

あっても不思議じゃないけど、この兄弟、カッコ良すぎよ。

森川葵がいろんな顔がありすぎて?まだ彼女の個性がわからなくて誰だかわからなかった。

ラリーのシーンは迫力満点でカッコいい。ほんと。

日本でもラリーってあるの?

【50回目のファーストキス】感想。お笑い要素と切ない要素と。

もし今日の記憶が残らなかったら

記憶の定着がないパターンはドラマ化もされた「掟上今日子シリーズ」が思い浮かぶのだけど、今回はまるで別の話し。

ハワイの雄大な景色と星空と。

それだけを見るのも大変良かったと思う。

夢の実現か恋愛か

元々はアメリカで2004年に公開された映画のリメイクなんだ。

初めて知った。

日本版ではオアフ島でツアーガイドをしている山田孝之演じる弓削大輔が変わっていく様子が面白いのかもしれない。

ツアーガイドの大輔は日本からの旅行者と1夜限りの関係を遊んでいた。

お互いに持ち腐れのない関係。

久しぶりの山崎紘菜が大輔の同僚役で出ている。「チア☆ダン」の頃とちょっと感じが違っててわからなかった。

そしてそのツアー会社の上司役が勝矢。地元の人でも十分通じるな。あおの濃さ。

ツアー会社は和気あいあいとしていて最初から面白い。

でも大輔の本当の顔は天文学の研究者。ハワイに来た理由も天文学を研究することだった。

そんな大輔の車がエンストしてしまったことでロードサービスを待つ間に入ったカフェ。

そのカフェで注文は?と言われ、朝食は食べたからコーヒーだけでいいと言う大輔だったが、なぜかスパムバーガーを頼まされてしまう。しかもピーナッツバター入りで。どんな味よ。

その大輔の顔に反射光が当たる。

そこに居たのはワッフルを切る長澤まさみ演じる藤島瑠衣がいた。

瑠衣はワッフルを切って建物を作っている。

一目惚れをする大輔は翌日もまたカフェに行くと瑠衣の姿が。

ワッフルで作っている家のドアをどうしようかとしているのを見て、大輔は爪楊枝で「こうやればいいよ」と助ける。

瑠衣はその行為に感謝し、一緒にどうぞと相席をすることに成功する。

大輔は星の話しで瑠衣を笑わせる。

お互いに自分の車に戻るとそれぞれにいい相手と知り合えたことを体いっぱいに喜びを表していた。間に居た車がいなくなると、お互いちょっと気まずい感じ・・・

そしてまた翌日、カフェに行く大輔。

カフェの店員が大輔に「話がある」と言う。が、その前に瑠衣が来て、前の日の感じのまま瑠衣の前に行く大輔。

突然知らない男に言い寄られた感の瑠衣が騒ぎ出す。

店員は大輔を外に連れ出す。

そして瑠衣のことを教える。

瑠衣は1年前に交通事故にあい、「短期記憶喪失障害」というその日の出来事が1晩でリセットされてしまう状態であった。

自分のことを忘れてしまっている瑠衣に大輔は落胆する。

それでもどうにかして瑠衣と仲良くなりたいと必死になる大輔。

英語が読めないフリをして助けてもらうとか。

瑠衣は荒手のナンパだと思いながらも助けたりしていた。が、それ以上を要求しない大輔に怒り出す。

大輔は慌てて彼女の後を追う。

瑠衣の父親役が佐藤二朗で弟が太賀。この二人がヤバすぎるくらい面白すぎる。

瑠衣は父親の誕生日にパインナップルを取りに行く途中で父親の運転している車が道路に出てきた仔牛を避けて木に激突したことで頭を強打して怪我をしてしまっていた。

その日から父親と弟の努力の日々が始まる。

記憶がリセットしてしまう姉のために、生活もリセットする。

そして毎日が父親の誕生日になっている。

弟の慎太郎はなぜかミートソースを作りながら、鉄アレイを持って筋トレをしている。変な声を出しながら。

それを見た父親の健太郎は心配する。

「え、お前・・・ゲイなの?」

「鍋の中にお前の汗がいっぱい入ってるんじゃないの」

掛け合いが面白すぎる。

瑠衣の誕生日プレゼントはピコ太郎の衣装だった。なんかまだ2年だけど懐かしい感じしかないんですけど。それを来て健太郎がまぁ生のパインナップルとココナッツを持ってするわけですが、何百回も見ている慎太郎が未だに大爆笑することに健太郎は「お前、もう何回も見てるのに何がそんなにおかしいわけ?」とマジツッコミになってる。

カフェの店員は健太郎に大輔のことを電話していた。

そこに大輔が登場し、瑠衣のことをカルテも含めて説明し、「娘には近づくな」と釘をさす。

そこに慎太郎が「僕はいいよ」となぜか自分を売り込もうとする。

健太郎はそんな息子に「顔をこの辺に持ってきて」といい、出された顔にピンタする。

まぁパニックのような感じで面白いの。

この面白さがないときっとしんみりしちゃって家族にとっても苦痛にしかならない。

そして健太郎は大輔に「カフェには行くな」と言う。

健太郎は美術の講師だった瑠衣に真っ白にした壁に絵を描くようにと毎日頼む。そのため、瑠衣が寝た後に健太郎と慎太郎は二人でまた白いペンキを塗って白い壁を作り直す。

新聞も事故の日のもののまま。

事故直前の記憶しかない彼女にはちょっとした違いもパニックになるらしい。

大輔はカフェに行くなという言われたからと今度は彼女が帰ってくる道端で会うようにいろいろと仕向ける。

そこには友人のムロツヨシのウーラも巻き込んで。

熱意に健太郎が折れる。

ある時、カフェにいるときに瑠衣の車が車検切れで取締を受ける。

彼女の記憶ではまだ先のはずの車検が切れていた。

彼女は悲しみの中で家に帰り、健太郎から説明を受ける。きっとこれまでも何度となく繰り返されてきたのだろう。

お医者様にきちんと聞きたい。

健太郎にしたらもう何度となく聞いているからと思うが、瑠衣は聞きたいという。そして大輔も。

病院で大和田伸也演じる名取医師から説明を受ける。

瑠衣は悲嘆しながらも大輔に「今日はありがとう」とお礼を言う。

そして、「明日声をかけるときには "ユリ” をキーワードにしてみて」と言う。

大輔は大輔なりにどうにかしなければと考える。

家族は家族でいかに瑠衣がパニックにならないかという結論で生活をリセットしてきているが、それは重荷である。

翌日、大輔はユリの花束とDVDを瑠衣に渡す。

そのDVDには瑠衣の状態と今をつなぐニュースが散りばめられている。

瑠衣が事故にあったのはトランプ大統領が決まる前だった。だからまだトランプ大統領になったということは記憶にない。そのため、普通のニュースは見られない。

その中になぜか「藤井聡太四段の29連勝」のニュースもある。ハワイに住んでて必要か?

新しい試みで大輔との距離は縮まる。

そして「ファーストキス」する。

瑠衣は記憶の無くなる前に「ファーストキスって素敵」と思っていたのか、記憶がリセットされるから毎日がファーストキスとなっている。

この辺になるとね、大輔の努力がほんと健気でそれまでの行為は1夜限りだからという関係を好んでいたわけだけど、今は自分がそうされている。

しかも自分の中には積み上がっていく記憶。

瑠衣とは別に元々の研究結果が認められる段階まできていた。

でも、瑠衣に「結婚しよう」と申し出る。

そのまま寝ないで朝を迎えられたら・・・夜明けの星空を見せたいと言う大輔。

寝てしまった瑠衣。記憶はリセットされ、パニックになる。

健太郎は大輔に聞く。「ハワイにはいつからいるんだ?」

10年前から天文の研究のために来ていることを告げる大輔。

健太郎は「もしその研究が認められたらどうするんだ?」と問いかける。

それを聞いていた瑠衣は日記に書いたのだろう。

翌日、仕事をしている大輔のもとへ行き、「大輔をリセットする」と告げる。

瑠衣は自分が大輔の重荷になっていることを気にしていた。

瑠衣の気を引くために奔走している大輔。「望遠鏡を覗いたのはいつ?」と聞かれて言葉に詰まってしまう。

夢をとるか、愛をとるか。

瑠衣の希望で日記の大輔の行や、スマホのデータを削除する。

そして「最後のファーストキスを」と言われてファーストキスをして別れる二人。

帰った大輔の元に研究所から招待がきていた。

ハワイから旅立つ日、健太郎と慎太郎も見送りに来ていた。そこで瑠衣が入院していることを聞く。

「これ以上重荷になりたくない」と。

慎太郎は最後の最後までハグしてキスまでしようとして健太郎にピンタされて終わるという一連のコメディ。

飛行機に乗った大輔はパソコンを開く。そこには自動転送されたんだろうね、画像データが削除されずに残っていた。

それを見た大輔は飛行機から降りて瑠衣の元へ。

入院している瑠衣は同じ症状の方へ美術指導をしていた。

そこへ大輔が登場するが、「あなたの名前は?」と冷静だ。

「大輔」と告げると「大輔、ついて来て」と病室へ連れていく。

そこには瑠衣がが描いた大量の「大輔」があった。

瑠衣は誰だかわからないけど夢に出てくる人物をずっと描いていた。

感動しちゃうよね。

で、終わりになるかと思ったのだけど、また瑠衣の寝起き。

そこにはスマートスピーカーの存在があり、DVDをプレイする。

それを見て瑠衣は外へ。

そこには夜明け前の満天の星空と大輔と一人娘が。

もう良かったねぇ〜っておばちゃん気分だわよ。

山田孝之の普通の役?って久しぶりって感じでやっぱりカッコいいわねって感じ。なんか髭面だったりヤクザだったりって感じのイメージが強かったのだけど。

長澤まさみは30であの脚の綺麗さって何なの?ってくらい細いわ長いわ。

最近は「散歩する侵略者」「嘘を愛する女」ときて今回の作品と言い、健気な女性像って感じ。ちょっと強いんだよね、どれも。でも素直に幸せになれない感じで。

オアフ島に移住したくなった。うん。

みんな英語がうまくて驚いたんだけど。長澤まさみなんて中国語まで喋ってたけど。

【海を駆ける】感想。ディーン・フジオカの存在感

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「月が綺麗ですね」

この言葉を知ってますか?

私は、ドラマ「相棒」で知りました。

夏目漱石って英語の教師だってことも知らなかったのだけど。

インドネシアの海と人と

 

インドネシアという国は近くて遠いところ。

なかなかインドネシアという国について知ることはなかった。

地震、津波の被害があるという場所というイメージ。

観光地でもある地域もあるのだろうけど、私は行ったことががないからね。

舞台はインドネシアのアチェという場所。海に打ち上げられる日本人。

それがディーン・フジオカだった。

記憶を無くしているのか?自分のことが誰なのか、どこから来たのか。

アチェにNPO法人の災害支援で移住してきている鶴田真由演じる貴子と息子のタカシ役の太賀。

二人共インドネシア語でセリフを話している。ネイティブスピーカーよ。

最初のシーンは太賀の大学の同級生のクリスとクリスの幼馴染のイルマによる取材シーンから。

スマトラ沖地震の地震で被災した人への取材、NPOで来ている貴子への取材、そしてタカシへの取材。

取材の途中で貴子へ電話が入り、海に日本人が打ち上がれらていることが知らされる。

貴子はそこに行かなければならないからとタカシに姪のサチコを空港に迎えに行くようにタカシにお願いする。

タカシは足がないため、クリスにも頼む。

空港で待つタカシのもとにサチコ役の阿部純子。「孤狼の血」にも出演していたなぁ〜。眼力はあるけど、全然雰囲気が違う。サチコはなぜインドネシアに来たのか?

何をしに来たのか?

大学を突然辞めてしまい、突然インドネシアに来たいという事になったという。

海に打ち上げられて日本人を「ラウ」と呼ぶことにし、貴子親子の家で面倒を見ることになった。

ラウは誰なのか?

インドネシアの漁師町なのだろう。海辺から送ってもらうトラックを見かけた漁師が途中で乗り込んでくる。

釣った小魚をかごにいれて。

トラックの荷台にラウは立っている。突然ラウが何かを唱えだす。

そうすると死んでいたはずの小魚が突然跳ね出す。

川べりに親子の姿を見かけた運転手がブレーキをかけて車を停めると姿が見えなくなってしまう。

ラウの起こしていることなのか?

ラウが水道管に触れる。

水しか出ないはずのシャワーからお湯が出てくる。

ラウは何者なんだろう?

まぁセリフはほとんどないよ。おディーン様の。

ただ、居ることの存在感は感じる。

ラウの身元を探しに情報を探しに行く。そこには年配の人も居る。日本の軍歌を歌い出す彼ら。

日本が戦時中に支配していたことをあまり良く知らないけど、インドネシアでオランダ軍が戦っていたらしい。

ラウを見かけた人がいないか探している時、サチコは一人写真の写された場所を探している。気になるクリス。写真の場所に見当をつけて連れて行くがちょっと違うかもというサチコ。

記者になることが夢だというイルマはラウのことを撮影しながら探していく。

帰ろうとした時、熱中症で倒れた少女を見かける。水を取りに車に戻ったり人を呼びに行ったりしている中、ラウは少女に寄り添い、手のひらに水の塊を作って、少女に飲ませて少女を助ける。

イルマはそれを撮影していた。

大学生の男女4人がメインになっていく。

幼馴染のクリスとイルマ。従兄妹同士のタカシとサチコ。

クリスはサチコのことを好きになったとタカシに告げる。

タカシはクリスに「結婚したら俺たち兄弟になるのか?」とおちょくる。

でも、インドネシアだと宗教の問題で簡単に結婚出来なそうな感じ。クリスとイルマは宗教が違うという理由で付き合わなかったとイルマは言う。

サチコの歓迎パーティに来たクリスはモジモジしながらサチコに「ツキガキレイデスネ」と片言の日本語で思いを告げる。

日本人の母親とインドネシア人の父親の間に生まれ、日本に行ったことはないが、日本語の読み書きはできるタカシにサチコが日本語の本を数冊持ってきていた。

そして貴子がタカシに夏目漱石の話をしていた。

英語教師だった夏目漱石が「I Love you」を「我君を愛す」と訳した生徒さんに明治時代、そんなことを言う日本人はいないってことで「月が綺麗ですね」くらいにしたらという話があると教える。

日本を知らないタカシは日本では「好き」ということを「月が綺麗ですね」と言うものだと思いこむ。

はっきり言えば、そんなことを知っている日本人はどのくらいいるのだろう?私は数年前にドラマで右京さんが言っていたから知ってたけどってことでサチコには本当の思いが伝わらない。

クリスはサチコの態度に振られたと思う。

クリスはイルマに「変なことを言ったんじゃないの」と言う。以前イルマと付き合うときにイルマとしたら言われたくなかったことを言われたらしい。

津波で母と妹と家を失ってしまったイルマ。それを気の毒だと思うクリスの優しさが逆に彼女を傷つけていた。

難しいね。どこの国でも。

記者希望のイルマに貴子は友人のジャカルタの新聞社の記者のレニを紹介する。

記者になりたいと思うイルマはラウの映像をレニに見せる。

ラウが水の塊を作りだした映像。地元の新聞社に送ったら手品だろと相手にされなかったためにわかって欲しいって気持ちがあったのだろう。

レニは映像をもう少しちゃんと見たいから貸して欲しいと言う。

渋々了承してしまうイルマ。

どこの世界でも成功する人間はずるいのです。

サチコは高熱を出して寝込んでしまう。

熱にうなされるサチコをラウは海へと引き連れていく。海で漂いながら、写真に写っている場所を確認するサチコ。

眠りから覚めたサチコの熱は下がっていた。

心配したクリスが朝からお見舞いに来てくれた。サチコはクリスに夢で見た場所を確認する。そしてそこにどうしたら行けるかと聞くと連れて行ってあげると言われるサチコ。

約束を取り付けたクリスはウキウキだ。

テレビを見るとラウとレニが会見をしている。イルマの撮影したものを自分で撮影したものとして流してしまうレニ。

それを見て固まる従兄妹たち。

会見中、「疲れたので帰ります」と会見場を後にするラウ。

追いかけるレニの前にラウの姿は消えている。

そしてタカシとサチコの目の前に現れるラウ。

「どこでもドア」か?

タカシは自宅のドアを開けて確認する。

タカシの行動が面白い。

バンダがサチコの探しいている場所ということで船乗場へ向かうサチコとタカシ。そしてラウ。

貴子の働いている場所で車を降りてしまうラウ。

ラウを置いて船乗場へ行く。サチコはクリスと待ち合わせをしているというが、クリスの姿はない。

タカシはなぜか「クリスは来ない気がする」とサチコを絶望させる。二人で船に乗り込む。

その頃、クリスが現れ、イルマも一緒だ。元々イルマがクリスを誘って行くことになっていたのだが、結局4人とも同じ船に乗船することになる。

船の中でクリスを見かけたサチコはイルマと一緒のクリスに勝手に裏切られたと思い、ビンタしてしまう。

意味のわからないクリス。

そこにタカシも来る。

クリスは先に僕を振ったのはサチコだと言う。

何がそうなったのかもわからないサチコ。そして「月が綺麗ですね」とまた続けるクリス。

勘違いしたことに気づくサチコは笑いだし、4人でもとになり、「幸せなら手をたたこう」を歌う。

言葉は違うけど同じ歌を歌っている彼ら。

バンダに着くとなぜかラウの姿がある。

また固まるタカシとサチコ。

ラウって何者なんだろう?

でもサチコはラウに自分がここに来るようにしたのはラウだよね?と確認する。

サチコが探していた場所は亡くなった父親の影を探して遺灰を散布することだった。

タカシはイルマに「月が綺麗ですね」と言い、海へと入っていく。

散布するサチコ。

撮影するイルマ。

どこからかラウの唱える声。

子供の唱える声。逆流する滝。

何が起きているのか?

人々が棺を抱えて歩いていく。子供が4人川に流されたと。

ラウが子供を川に引き込んだと言う。

ラウは「そろそろ帰ります」と海へと駆けていく。

遠浅の海なのか?

その後に続く4人。

途中で消えてしまうラウ。

かなりのところまで行ってしまっている4人。波に流れてしまっている。

ラウは本当はこの4人を道連れにしたかったのではないだろうか?

そのかわりが子供4人だったのではなかったのだろうか?

ラウの行動は良いことをしているだけではない。

痴呆のすすんだ老人に手をかざしていた。その夜にその老人は亡くなってしまう。

船乗場へ来るときに貴子のところで車を降りていたが、なぜか貴子を気絶させてしまう。その後の貴子は?

そして子供を川に引き込んで殺してしまっている。

ラウの目的は?

この映画にはきっと明確な結末はない。

「心揺さぶる美しきファンタジー」

が何を意味していたのか。

私にはわからなかった。

ラウは何をしに来た誰だったのだろう?

海に入った4人は岸に戻れたのだろうか?

かなり結末が気になる終わりだった。

おディーン様、前作の「結婚」の最後も海に消えるシーンだったな。

おディーン様の映画はとてもいい感じなんだけどね。

綺麗だし。彼が綺麗なんだろうけど。

筋肉があるわけではない。年齢よりもちょっとぽっちゃり系な感じよ。

次の「空飛ぶタイヤ」は一転カッコいい役。ラウは不思議な役。

セリフは・・・ほとんどない。

太賀がほとんどネイティブインドネシア人。

鶴田真由は変わらず綺麗。

阿部純子もこれから期待したい女優さん。

サチコの父親の死因が東日本大震災の津波であればスマトラ沖地震の津波被害の地域へ来ることも納得なんだけど、そこも想像するしかない。

そんな映画。

【映画 友罪】感想。これは21年前の事件と関連があるのだろうか

21年前の事件は忘れられない

21年前の5月24日。あの事件が報道された。

1997年。

神戸で起きた連続児童殺傷事件。

罪を犯した人は幸せになってはいけないのですか?

この映画の根底にあるものは「罪を一度でも犯したらその人は幸せになってはいけないのか?」

この映画では3人の過去の罪と向き合う人が描かれている。

主人公の生田斗真演じる益田の罪。

瑛太演じる鈴木であり、青柳健太郎が少年A。

そして佐藤浩市演じる山内の罪。

開始すぐの山内の罪がわかりづらい。私は少年Aの父親なのだと思った。

多分、実際の少年Aの家庭をベースにしているのだろうと思う。

山内はタクシー運転手をしているが、そこにある男性が訪れて酒に酔った状態で待っていた。

「俺の子供を返してくれ」

償いをしても追いつかない山内。

見えてくるのは自分の罪ではなく、自分の子供の犯した罪の賠償。

自分の子供が殺してしまった子供の親の元へと謝罪に行くが「こんなことされても子供は帰ってこないんだ」と冷たく突き返される。

それでも行くのは自己満足なのか?

親の責任なのか?

親はどこまで責任を持たなければならないのか?

それが交錯している。

殺人事件が発生し、そこに山内のタクシーでかけつける雑誌記者の山本美月演じる杉本清美。多くの人の頭によぎるのは過去の連続殺人事件。犯人の目星がつかない清美は編集長から少年Aのその後について探るようにと言われる。

ある工場に益田と鈴木が入社する。

鈴木の暗さにみんなが遠巻きにしている。

益田は元ジャーナリストということが知られているが、それなりに先輩につく。

1戸建てに住む先輩に半分脅されて鈴木の部屋を漁る。そこにある絵。ちょっと年齢のいった女性の裸体。

ナイフまである。

得体の知れない人間と言うことは言える。

夏でも長袖のシャツを着ていることもあり、工場では鈴木のシャツをめくりあげ入れ墨があるのでは?と言うことも思われている鈴木。

そんなことを遠目で見ている益田。

そんな益田もうなされる日々だった。そして隣の鈴木も。

鈴木はあまり部屋に寄り付かない。街で時間を潰しているところで逃げる夏帆演じる藤沢美代子を助ける形になる。

美代子はどこかビクビクしながら生きている女性で、まぁ見ててイライラするタイプの女性。

ある夜、青木崇高演じる先輩の清水が玄関で酔いつぶれて嘔吐している。

自分のことを悪く言っている相手だと知ってか知らずかそんな相手に対しても介抱する鈴木。普通、躊躇してしまうことをすんなりとする人間だ。

そんな鈴木に益田が「自分の自殺した同級生に似ている」と言う。お互いにうなされていることに気づいている。

お互いの根底を知りたいと思いながらもそれ以上は聞けない。そして鈴木は唐突に「俺が死んだら悲しいと思えるか?」と問う。益田は戸惑う中で「悲しいに決まっているだろ」と言う。それは鈴木にとっては重要な一言になっていく。

鈴木は美代子が追いかけられている場面に出くわし、助ける形となる。

元カレの達也は彼女をAV出演させていた。

益田は自分の罪と向き合おうとしていた。

それは自殺した同級生の親のところに行くこと。余命いくばくもない同級生の母親にとって益田は息子の唯一の友だちだった。

益田にとって同級生の自殺は消えない過去と罪だった。

益田は仕事中の不注意で指先を2本切断してしまう。

切断した指を氷に入れて持ってくる鈴木。

無事に指の手術が終わる益田。見舞いに来たのは元恋人の雑誌記者の清美だった。清美は児童殺人事件で行き詰まっていること、そして少年Aの再犯じゃないかと言う噂があることについて意見を求めるが、ジャーナリストを辞めた益田は拒絶する。

退院した益田を祝うために先輩の清水や助けた美代子、鈴木も来てカラオケを楽しむ。

楽しそうな鈴木の動画を撮る益田。

帰り道、指のお礼を言う益田に鈴木は「友達だから」と告げる。

清美から再度の意見を求めるライン。事件を調べる益田の目の前に14歳の鈴木に似た少年の写真が目に入る。

そして、医療少年院の先生の写真。それは鈴木のスケッチブックに描かれていた人だった。

鈴木は「少年A」なのか。

「少年A」を辿り、少年Aの中学時代の同級生を訪れる。そして鈴木の動画を見せると本人だと教えられる。

「ともだち」になった人間が犯罪者だった。

別のストーリーも展開している。タクシードライバーの山内だ。

誰かの葬儀へ向かう。そこは元妻の父親の葬儀だった。

息子が未成年で無免許運転の上、小学生を殺してしまう。そのことで家族は解散し、それぞれで生活を送っていた。

今の日本は子供の事故であっても家族全員を許さじという空気が流れる。

自分の子供が殺されたのにという被害者意識もあるだろう。それを受け止めて謝罪の意識だけで生きていた山内にとって久しぶりの元妻家族との再会だった。

そして元妻の母親も在宅介護状態になっていたが、何も手助けを出来ていない。

そこに財産分与の話となる。自分たちはそんな資格はないと言う山内に「家族だろ?」というが、山内にとっての家族とは?がある。

そんな元妻との会話で事故を起こした息子の現在を知る。

家族を離散したのに息子は家族を持とうとしていた。困惑する山内。山内は息子の元を訪れる。

妊娠3ヶ月だという。

自分が他人の子供を殺したのに子供を持つことをどう考えるのだと問いただす。

妻となる女性も「償いの気持ちでいるし、一度罪を犯した人間には幸せになる権利はないのか」と言う。

難しい問題だ。

最後には結婚式をあげる二人の式を壊そうとするが元妻らに止められる。山内にしてみたら償いのあとに家族が戻りたかった意識が強い。それなのに勝手に他で家族を作ってしまうなんてという思いなんだろう。

山内の思いは通じず、息子からは「償いはこれからは自分がしていく。縁をきる。」と言われる。

難しい問題。

医療少年院の白石という先生を演じる富田靖子。どうしても若い時のイメージが大きかったから、ずっと「誰だっけ?」状態。

そして医療少年院ではずっと少年Aを担当し、自分の娘に対して何もしてこなかったようだ。

娘が突然堕胎証明書にサインをして欲しいとやってくる。が、「命をどう思っているの?」と言ってしまう。娘はそのまま出ていってしまう。

それからしばらくして病院から電話。と同時に医療少年院でサイレンが鳴り出す。

現場に駆けつける白石。そこにはいじめられていた少年がいじめていた少年を殺そうとしていた。

白石は「想像して。殺したらいなくなるのよ」と言い、そのまま病院へ。

病院では4ヶ月で流産した娘が寝ていた。

そこでは少年Aにかかりっきりだった母を責める娘がいた。

子供が出来たら幸せがあったと言う母。娘は「いつ殺されるのかわからない、いつ殺すかわからない」と言う。そう、自分がどう頑張っても殺人をする人は殺人をするし、事故で人を殺してしまうんだ。

それは許されないとして社会が成り立つのだけど。

記者の清美に益田なりにまとめたレポートを差し出す。それでも中途半端に感じた清美は「これでは彼に向き合っていない」と突き返す。

うーん、どの立場で言ってるんだ?

で、清美は「動画を見せて欲しい」と言う。

自分のスマホで見せる益田。

鈴木は美代子と仲良くなっていた。似顔絵を描いたりして幸せな感じ。

が、美代子の元カレはそんな美代子を貶めるためにAVのDVDを鈴木の家に投函する。それを見る清水たち。鈴木は怒りを清水たちに向けないようにテレビを破壊する。

それに怒り殴る蹴る清水。どっちが悪だ?犯罪者として更生しようとしている人間に対して一般人がしていることは何なんだろう?

美代子はまた犯されていた。

そんな美代子の元に駆け付ける鈴木。元カレの暴力を受け、自分を殺せと自分で殴る。

それを見た元カレは「狂ってる」と逃げ出す。

少年Aの現在が記事になってしまう。益田の動画の写真を掲載されて。

どういうからくりか全然わからないんだけど。

殴り込む益田だが、止められる。

帰ると雑誌を見ている清水たち。「殺人者と同居していたなんてゾッとする。」

人を殺めているかいないかで昨日までの友は他人となる世の中。

美代子に鈴木からのメッセージが。それに「ごめんなさい」とだけ返す美代子。

助けてもらっていてもやっぱり「過去」が引っかかるものなのね。

自分だったらどうだろう?

わからないな。その場にならないと。

知り合った人が全員善人なんてあり得ないけど、まぁそれなりに良かったのかもしれないけど。

鈴木は家を出て行く。

そして益田は自分のまたも犯してしまった罪と向き合うために最初の罪の場所へと向かう。

そこは中学時代の同級生が自殺をした場所。

この同級生の自殺は1986年に起こった「中野富士見中学いじめ自殺事件」がモチーフだろう。

クラス全員から「葬式ごっこ」をされた中学生が自殺をする。

そんな事件だ。

益田はそのクラスメイトで自殺した同級生の親友だったという設定だ。保身のために見捨ててしまった同級生への自責の念。

自殺をさせてしまった場所へ行く。

鈴木もまた自分が殺してしまった殺害現場へと行く。

益田は鈴木の元へ行かなければと思う。今度こそ友達を守るということを思って。

3つ、4つの罪が入り乱れる。

現実にあった事件をモチーフとして。

益田が起こした事件の当事者は今45歳くらいだろうか?彼らはどう思って日々を贈っているのだろう?

当時の教師は?

酒鬼薔薇聖斗は?

20年まで毎年届いたという謝罪の手紙。それが今年は届かなかったと言う。

手紙を書くことで罪と向き合っていて欲しいと願いながらも届けられる手紙が重かったという被害者家族。

加害男性も35歳。新しい戸籍で生きているのだろう。

数年前には告白本のようなものを出しているが、その後はどうしているのだろう?

そんなことを考えていた。

罪と向き合うこと。

日本ではかなり難しい。まぁそれはどこの国でも同じなのかもしれないけど。

【映画 恋は雨上がりのように】感想。大人の男に恋する時期

高校生の淡い思い

高校生の時期、私も好きな相手は社会人だった。同年代の男の子には全く目が向かない。

まぁファザコンだったのだろうと思う。

そして、小松菜奈演じる橘あきらも親の離婚もあって父親の存在と重なっている部分もあったんじゃないかって勝手に思っていたけど。

40代のおじさんは臭い

もうね、最初は大泉洋演じるファミレスの店長のおじさん臭が漂う笑い。

あきらと一緒にバイトをしている松本穂香演じる西田ユイは普通の感覚の持ち主で45歳の店長のことを「店長って何か臭いし」と言ってしまう。

それを聞く店長はおもむろにワイシャツを着替える。そして同年代の濱田マリ演じるベテラン店員に「俺って、臭いかな」とポツリ。

ベテラン店員は店長の煮え切らない態度をあまり良く思っていないこともあり、「臭いですよ。」と一刀両断。

バッサリと切り捨てる感じで小気味いい。

大泉洋と濱田マリの掛け合いがツボ。面白すぎる・・・

そんな店長に恋しているあきら。

美人のあきらをバイト先の磯村勇斗演じる加瀬亮介やクラスメイトでもありバイトも一緒の葉山奨之演じる吉澤タカシが思いを寄せる。

そんな二人には塩対応のあきら。

でもあきらの態度に店長は「嫌われている」と思っていた。

愛想のないあきらは見つめているつもりが店長は睨まれていると思う感じで。

ある時あきらは店長に打ち明ける。

「私、店長のこと好きです。」

突然の告白に嫌われていると思っていた店長の対応は「良かった〜」と想像と違っていた。

まぁまともに取り合ってもらってなかったのだけど。

あきらはお客様の忘れ物を届けるためにダッシュをする。すごいスピードに驚く。

あきらは陸上部の短距離走の選手だった。

でも、練習中にアキレス腱を断裂していた。

久しぶりのダッシュで炎症を起こしたあきらを病院へ連れていく店長。

距離が縮まるのか?

車の中で店長に本気の思いを伝えようとするが、さすがに45の分別ある大人は反応にこまる。

が、あきらの必死さに負けてしまう。

あきらはバイトを休んでいるところに店長がお母さんに挨拶をしに来たと手土産を持ってあきらの家の近所を訪れる。

横浜駅の近くの繁華街に住むあきら。

店長は「すごいところに住んでるね〜。何でもあっていいじゃない」と言うが、あきらにとって店長がいない場所は「何にもない場所」ってことらしく「何もないです。」と言う。

他の店のファミレスでドリンクバーからコーヒーを持ってくる店長。そしてミルクを手品で出す。

「うん?デジャブな感じ?」

ここでやっとあきらが店長を好きになった経緯がわかる。

怪我をしたあきらは松葉杖をついた状態で雨の中、ファミレスで時間を潰していた。

そこが今のバイト先のファミレスだった。

そしてぼーっとしているあきらに店長がコーヒーのサービスを持ってくる。

「ブラックは飲めない?」と言うと手品のようにミルクを出して驚かすのだった。

陸上だけに熱中していた彼女の心に店長がストンと落ちてしまったようだ。

そんな〜時代も〜あったねと by 中島みゆき「時代」

って感じ。

年齢とかじゃなくて、なんか突然落ちる人って居るなぁ〜。私も小学6年の時に新卒採用で来た先生に突然ビビビってきて初恋に落ちたもの。

未だに年賀状のやりとりくらいしている関係ではあるけど。

まぁ今思うと11歳上だけど、小学生だからね。

高校生と45歳よりはマシでしょうが。初恋なんてそんなものよね。

あきらは店長とデートの約束を取り付けたところで、店長への思いを高瀬に知られてしまう。

高瀬は黙っている代わりに自分とデートすることを要求する。

桜木町駅前で待ち合わせる二人。あきらはオシャレ要素ゼロの「空手チョップ」と書かれたTシャツとデニムというスタイル。

そしてホラー映画に行き、お茶をする。

高瀬は店長に憧れる行為を批判する。まぁそうよね。男ですもの。

店長とのデートも桜木町駅前。あきらはワンピースでオシャレをしている。

映画は高瀬と見たのと同じ映画。そしてお茶も高瀬と同じ店。

あきらは「次はどこに行きますか?」と要求するが、さすがにおじさん店長は「いや、もう帰らないと」と煮え切らない。当たり前ですね。

それでもしつこく要求し、「つまらない場所でもいい」ということで、二人で図書館へと行く。

店長は小説家を志していたが未だに何もない。

あきらは店長に「何かオススメの本がありませんか?」と言うと「君が必要とする本があるはずだから」と返す。

あきらは「Run」という陸上の本を手にする。

店長は九条ちひろと言う作家の小説を手にする。そこにあきらが来ると「これを書いた人間、知り合いなんだ」と言う。それを褒めるあきら。人はなぜ著名人と知り合いというだけでその人まで「すごい」と勘違いするのだろう?

ってことで、最初九条ちひろは別れた元奥さん?とか思ったのだけど、もっと衝撃的だった。

あきらの思いは止まらない。

両思いになれるというキーホルダーのことを聞くとガチャガチャをずっと回す。そこに親友の清野菜名演じる親友のはるかが通りかかる。

陸上部の部長なんだろうな。そして親友。あきらの復帰をずっと望んでいるけどなかなか言えない。

あきらは夏祭りにはるかを誘う。

浴衣の二人。

あきらの目的は子供と行くと言っていた店長と会うことだった。それを感じたはるかは「部活に来ないで何をしているの?」とけんかをしてしまう。

店長はお祭りの後に居酒屋へ。そこには先客が。

なんと九条ちひろ役は戸次重幸だった。

シゲと大泉洋が演技とは思えない感じで・・・すごく良かった。

でも恥ずかしいだろうな。そのまんまを演技するのってって感じ。

シゲの九条ちひろがなんかすごいピッタリだったわ。

まぁあとあきらの母親役が吉田羊で、まぁある意味ある組み合わせだなって思ったわ。

美人同士。

あきらは母親に陸上のスパイクやユニフォームを捨ててと持ってくる。

雨のシーンの多い映画。

反面、青空も印象的。

あきらの心を表したような天気だったのかもしれない。

店長は子供に「早く走れる靴」を探しに来ている。そこにはるかが居合わせる。はるかにとって、あきらをそそのかした感じの存在の店長。それとなく気にしてしまう。

はるかは店長に話しかけてしまう。そして「そんなに悪い人じゃないみたい」と感じる。

ファミレスのバイト先でお客に突然声をかけられるあきら。それは1学年下の山本舞香演じる倉田みずきだった。

みずきは他校の陸上部だがあきらを目標としていた。

そんなあきらが競技会からいなくなり、バイトをしていることにショックを受ける。

あきらの心が揺れる。

晴れた日にまた現れたみずきはゴミ出しをしているあきらに向かって全力で走ってきて壁ドン。

身長の高い小松菜奈に壁ドンするのが大変だったって言ってたシーンだな。これ。

そして、自分もアキレス腱を切って腐っていたときにあきらの走りを見てリハビリを頑張ったんだと言う。

店長はあきらのシフト希望を見て「もっと好きなことをしていいんだよ」と言う。

「好きなことなんてありません」

揺れ動くあきら。

風邪をひいて休んでいる店長の家に行くあきら。店長も大変よね。これで17歳が騒いだら、勝手に来ても45歳の負けだからね。

そんなことまで考えられないのがまた若さなんだけど。

大雨の中に行き、思いを届けようと必死になるが、おじさんも必死に「自分はそんなに好きになられる人間じゃないんだ」と否定する。

突然、停電する。

そこに乗じて抱きつくあきら。

それを返してしまう・・・店長。

電気がつき、平謝り状態の店長。「友達としてのハグだから」

タクシーで帰すときに店長があきらにお願いをする「友達としてお願いできるなら・・・」

暴風雨で飛ばされる店長。

翌朝、台所から朝食の準備をする音。

え、あきらは泊まったの!?

の演出のあとに実際にいたのはちひろだった。

夜中に「孤独死する」とちひろにSOSをしたらしい。

二人のやり取りは面白いし、いい雰囲気。

浜辺で店長と子供とあきら。

店長は雨の日の帰りに「友達としてお願いできるなら子供に走り方を教えて」と言っていた。

子供と一緒に海辺を走るあきら。

あきらは走ることが好きだった自分を思い出す。

風を感じるのが好きだった自分を。

そして店長は言う。

「橘さん、来週からバイト来なくてもいいからね。来月も再来月も」

あきらがやっと店長断ちできた瞬間だった。

そしてあきらは陸上部に戻る。まずははるかとランニングから。

競技会の名簿のあきらの名前に興奮するみずき。

いろいろな人の思い、支えがあって生きていることを感じるなぁ〜。

ほんと繋がりを強く感じる。

そして大泉洋がテレビで「自分は映さなくていいから」って言ってたシーン。

小松菜奈の綺麗さがほんといい。

川辺でランニングしている陸上部の団体とすれ違う店長。

久しぶりに会った二人。

店長「橘さん、元気」

あきら「はい。店長もお元気ですか?」

店長「今度、昇進することになったんだよ」

この後の感動するあきらの顔がね、いいのよ。うん。

喜びを一番に教えてもらったってことの感情なのか?わからないけど。

最初はクスって笑い、最後はホッとした感覚。

小松菜奈の眼力がほんとこの映画のポイントだなって思う。

彼女のシンプルな美しさがあって情けない要素になってしまっている中途半端な自分を引きずるおじさんとがいいのだろうな。

バイト先の高瀬や濱田マリの店員や。

私にとって今でも一番好きなのは初恋の相手だけど、もう還暦間際。どうなっちゃってるだろう?って感じだけど、きっと見た目とかじゃないんだと思うんだよね。

人を好きになるって。

ってことを思い出す映画です。

【モリのいる場所】感想。夫婦のあり方の理想なのか?

熊谷守一さんの晩年

日本を代表する役者さんの二人が初共演という作品ということに興味を持っただけで作品を全然知らないで劇場へ。

レイトショーで貸し切り状態のスクリーン。

映画の持つ世界観が全て私に伝わってきた。

時間の流れ

熊谷守一と言う人を実はあまり良く知らない。

ただ、10年ほど前にウォーキングをしていたときに確か「熊谷守一美術館」という看板を見た記憶があった。

作品はある夏の短い期間。それが2時間の作品になってしまう。

画家だけど、絵を描いているシーンはない。

絵を描く時間という設定はあるけど。

それで何故か伝わってくるものがたくさんある。

モリと呼ばれる仙人のような人を山崎努さんが演じられている。熊谷守一さんを知らないから山崎努さんがそのものなんじゃないかってくらいピッタリな雰囲気。

その妻を樹木希林さん。この二人がどういう掛け合いをするのだろう?それだけで興味津々。

樹木さんが「こういう奥さんだったら」ってことで、もっとおしとやかな方を想像していたのだけど、樹木さん風になったからなのか、そこまでの言葉のイメージはなかった。

時代を知る手段が来客の会話。

ドリフターズについて語っている。

そのときに「荒井注さんから志村けんさんになった」的な感じのことを言っている。

まぁドリフターズについても知らなきゃいけないんだけど。

で、私の記憶の中のドリフターズはもう志村けんさんで、荒井注さんがドリフターズのメンバーだったってこと自体を知ったのも近年って感じで。

で、それがいつだったのか?

荒井注さんのドリフターズ脱退が1974年ってことだからその頃なんだろう。

亡くなられたのが1977年。晩年のモリさんってことになる。

モリさんは豊島区千早の自宅から外に出ない生活を20年以上過ごされていた。

1956年に軽い脳卒中で倒れて以降ってことのようだ。

モリの食事風景から始まる。

モリと妻と姪の美恵ちゃん。映画では子供が先に逝ってしまってって感じだったのだけど、現実はそんなことはないようだ。だって美術館の館長とかって娘さんとかでしょ?

美恵ちゃんの存在は二人にとっては鬱蒼とした老夫婦の中にある明るさだ。

ただ、ちょっとぽっちゃりとした体型と運動不足なのか、すぐに足がつってしまう。

朝の食卓。

いきなりモリの面白い行動。お味噌汁の中の油揚げをお皿に移し、それをはさみで切ってから食べる。

ウィンナーは工具で挟んで潰してから食べる。

ウィンナーだからね、潰す瞬間に汁が飛び散る。

妻はハンカチを顔の前にかざして準備体制。美恵ちゃんはもろにかぶる。

それが何度となく繰り返される。

文句を言わない妻と美恵ちゃん。

妻は食事の後に夫に「今日はどうするんですかぁ〜?」と聞く。夫は「今日は池に行く」と。

背景をまるで知らないから何のことかわかってなかったんだけど。

家を出る支度をするモリはまぁいろいろと準備を腰に巻きつける。

そして家から出た途端、広がる小さな森のような茂み。

自宅の庭なんだろうけど、モリはそこに生きる生命ひとつひとつに語りかける。

カメラもモリの目線で虫を撮る。

久しぶりにハエの触角を見たわ。

モリは自宅の庭にも関わらず、ひとつひとつ丁寧に観察を続ける。

そして・・・はっと我に返ると。

そこはスタート地点の縁側の際。妻が洗濯物を干していた。

「あぁ、池に行くんだった。」

家を1周して戻ってきたらしい。

そして「池」とは。

なんとモリが家にこもってから自分で庭に掘ったものであった。

そこにはメダカが生息していた。

それをゆっくりとした時間の流れのまま見つめる。

モリの家には多くの人が出入りしている。

そこに三石研演じる雲水館という旅館の主人朝比奈が看板を描いて欲しいと依頼に来る。

突然の依頼にきたろう演じる画商の荒木や他の人は面白くない。

妻は朝比奈に「うちの主人は3文字しか書きませんから」と言う。

そこを何とか・・・と粘る朝比奈。

朝比奈が信州から来たことを知り、モリは描くことにする。

朝比奈の注文は「雲水館」

朝比奈は立派な木の板を持ってきていた。

そこにモリが力強く描き始める。

周囲の動きが止まる。

書かれた文字は「無一物」

妻は「だから夫は3文字しか書きません」と。

落胆する朝比奈に荒木たちは「いっそのこと、旅館の名前を変えたら?」と。

まぁそれでも財産になるよね。

モリは自宅にこもっているため、新幹線の存在を知らず信州からというと何日もかけて来てくれたと思って書いたのだろうと言うことだ。

モリの家には若い人も多く来ていた。

そしてモリの家を守ろうと言う看板をモリの家の周囲に。

時代の流れからモリの家の隣にマンションの建築が始まっていた。

それを反対する人の中に知らない男の三上博史が居た。

「お前は誰だ?」

逃げていく知らない男。

そんな感じでいろんな人がこの人には集まったということが伺える。

そのモリを取り続けるカメラマンの藤田を加瀬亮、アシスタントの鹿島を吉村界人。

加瀬亮がね、なんか最近ちょっと変わった感じがする。

私の中の加瀬亮のイメージが「SPEC」だからかな。去年の「3月のライオン」辺りから線の細いイメージになっている。

モリを撮るカメラマンの。初めてついてきたアシスタントは半ズボンでついてきて突然虫除けスプレーをかけはじめる。

その行為はここには合わない。

「帰っていいよ」と言う藤田。

虫が苦手ながらも鹿島は謝り一緒にいる。

藤田はメモを鹿島に見せる。それは自宅を書いたもの。

モリが座る場所が番号で記されている。「天狗の腰掛け」とかって言われていると言うと「誰にですか?」と返されてフリーズ。

モリがある椅子に座ったまま固まっている。

それを撮る藤田。鹿島は「何をしているんですかね?」と藤田に聞く。きっとそういう人を見ることが初めてだったのだろう。

ときは高度成長期。時間の流れが早かったんじゃないだろうか。

突然止まった時間。

若者にはどう映ったのだろう?

モリが見つめている石はモリが見つけたものだが、その石がどこから来たのかを考えていた。

毎日観察している自宅の庭になぜ?どこから?と思ったんだろうなぁ〜。

時間は進まない。

お昼ごはん。うどんを茹でているところにお隣からカレーが差し入れられ、急遽カレーうどんに変更。

カメラマンやお隣さんとワイワイしながらの食卓。

そこでドリフターズのことが会話に入って時代背景がわかる。

モリはカレーうどんをなかなか箸でつかめずにいる。

そして、なぜかその後のオチで「タイル」がカメラマンたちに落ちるという・・・。

ドリフターズのネタを盛り込んでいる。

うーん、この映画の対象は最低でも45歳以上じゃないか?

ザ・ドリフターズのタイルネタっていつまでしてたの?って感じ。

美恵ちゃんはプールに泳ぎに行く。そこでもしっかり足が攣るんだけど。

藤田たちは今度はモリと同じ体勢になってアリの観察を始める。

「ちゃんと見て」と言われてもモリの世界は見えない。

アリの動きがあまりにも早すぎて凡人には見えないが、天才には見える景色があるようだ。

全員が横になって一心にアリを見続ける。

鹿島が変わっていく。たった1日で。

帰り際、鹿島は藤田に「明日も行くなら自分も連れて行って欲しい」という。

モリの魅力に多くの人が惹きつけられたいったのだろう。

藤田たちが帰った後、マンションのオーナーの水島役の吹越満と工事の現場監督の岩谷役の青木崇高が訪れる。

マンション建築に反対する看板の撤去を求めに来ている。

妻としては、庭に陽が入らなくなるとは聞いてないし、あれは若い人がやっていることだからとひかない。

それでも工事現場の人が来ても快くトイレを貸したりしているわけで。

岩谷はトイレに行くとそこにモリの姿が。

岩谷はなぜかモリに息子の絵を見せる。岩谷は自分の子供に絵の才能があるなら教育方針を一から考えなきゃだと言う。

モリは「才能はありません。才能のない絵がいいのです。」と凡人にはわからないことを言う。

「才能があることは終わりなのだ」と。

そこで意気投合したのか?

モリは池を潰そうと思うと妻に告げる。

妻にも思うところがあったようだが、聞く。

聞くと、池を戻す算段がついたというのだ。そこに帰ったはずの岩谷が来る。そして「これだとトラック15台分必要だな」という。

そして「なぜ、潰すんだ。こんないいものを」と言うが、「勝手なことを」と呟くモリ。マンションが建ったせいで陽が入らなくなるからだ。

モリは岩谷に「この魚を責任を持って持ち帰って子供に描かせたらいい」と言う。

すごい物々交換だ。

モリに多くの人が近づき利益を得ようとしていたのだろうが、それを排除するのではなく取り込む人たらし術があったように思える。

美恵ちゃんが帰ってくる。大量の肉を持って。

当時はまだ冷蔵庫がなかったのだろう、暑い夏の日に大量の肉の処分に困る。

が、「あぁ独身の男ねぇ〜」と妻がいい、夜はどんちゃん騒ぎになる。

なんと工事現場の人を招いてしまうのだ。

マンションが建ってしまうことは自分たちにとっては不都合なのに、人を憎むことをしない。

すごい人達だ。

モリは外にもう一人いることに気づく。

そこには誰だか知らない逃げていった男がいる。

彼は言う。「モリ、池と宇宙が繋がった」と。

きっとモリの妄想なのだろう。

彼はモリに一緒に行かないかと言うが、モリは拒否する。

「妻をこれ以上忙しくさせられない」

モリのために妻は献身的に尽くす。

多くの人がモリを目当てに訪れるために妻は息もつけない。

それをモリは知っている。

夜、モリは妻と囲碁を打つ。

モリは弱い。

そして夜。

モリは勉強の時間だと言う。

「みんなは勉強がなくていいな」と。

そこからモリの「画家」としての時間が始まる。

フクロウの見守る中で、昼間に見たモノを形にしていく。

そんなことを続けていた人生だったのだろう。

87歳、文化勲章の内示を辞退し、92歳勲三等叙勲も辞退した。

老衰で亡くなったのが97歳。

自然と生きた人は長寿なのか?

この映画には私が生まれた頃のちょっと都心が描かれている。

住宅街の中の茂み。

マンションの建設。

それを守ろうとしている若者。

映画の最初に昭和天皇が「この絵は・・・」と困るシーンからだけど、天才の絵はほんとわかりづらそうだ。