復旧の影で
復旧活動が暑い中、ボランティアの方も含めて多数の方が懸命になっていることがテレビで流れてくる。
テレビが行ける場所はきっと限られているから、その何倍もの場所で同じことが行われているのだろう。
ダムが出来れば
その中で、報道され始めたのが「ダム」の存在。
広島では防砂ダムが設置されたばかりだったが、予想以上の豪雨で脆くも破壊され、それは人々の心の中に「慢心」を植え付けてしまったようなことが報道されている。
「ダムがあれば安全」
少しの雨でも氾濫していた地域ではダムの存在でそれが安心になると思ったのだろう。
それでも設置側は設置後も
「これで安心できるわけではありません。何かあったら必ず逃げて下さい」
この言葉が住民に届くことはなかった。
地形の問題があることもわかった。
そこに住んでいる人々はきっと日々感じていたことだろうし、倉敷市の水没してしまった町の人は自分の地域が水に弱いということを認識していた。
教科書にも載っていたとかって言っていた。
過去の石碑もある。
今回の雨はその石碑の水位を軽く越してしまったのかもしれない。
シュミレーションしたものの中には5m水位が上がったところがあるとかって・・・。
家がまるごと水の中になったってことだよね?
そっか。みんな屋根の上で救助待ってたもんね。あれは2階建てのお家の屋根だったんだ。
泥水にさらされたものは全てが災害ゴミ化している。洗ったところで使用できるものがないのだろう。
電化製品はほとんど無理だよね。
大丈夫なものはあるのかな?
思い出の品の処分。ただの水ではない。
写真の汚れのとり方とか乾かし方とかが出ていた。
まだアルバムが残っている時代。是非、残せるなら残してあげたい。
それでも現実は甘くないのかもしれない。
今はデータに残せるけど、逆にクラウドにあげないままパソコンなどにデータを保持していたら・・・データはどうなってしまうのだろう?
CDだったら汚れを流せば大丈夫か?
テレビで浸水したお家に取材で入る。リアルな現実。
それって、受ける人は許容量が大きいのか?
自分たちで必死だろうに。
カメラを向けられて・・・
子どもたちにまでカメラを向けて聞くことで子どもたちの心の奥にあるものをむき出しにしてないか?
そんなテレビを見ている自分がいるからいけないのかもしれないけど、知ることが大切なのか?
いろいろ考える。
あと、愛媛のケース。
国交省の対応があまりにもマニュアル対応過ぎて悲しい。
連絡をしたから流した。そうなることは想定していた。
想定が町の全壊ってことなら、国がしていることは何なのか?
今後、人々が落ち着いてきたら起こるであろう訴訟問題だろう。
自分たちが見殺しにされたと思う住民が多いように見える。
地球規模で想定が出来なくなっていることを認識しなければいけない。