【映画 ヒノマルソウル】感想。1年を経ての公開

長かったと思う

予告を観たときからとても興味深く楽しみにしていたわけだが、なかなか公開にならず、関係者全員がホッとしたことだろうと思う。

あのとき、原田選手がどんな思いだったのか、とてもわかった気がする。

テストジャンパーの存在

この映画を観なければ、オリンピックやその他ジャンプの大会では必ず居るのだろうが、知らなかった。

リレハンメルオリンピックで、男子のジャンプが銀メダルだったということを私はそれほど覚えていない。

それよりも長野オリンピックで視界がほとんどない中で船木選手がすごい距離を飛んで、それを原田選手が涙でコメントが出来なかったシーンが今でも思い出される。

その背景にあったいろいろな重圧。

冬季オリンピックとは言え、自国開催という重圧。

そして、団体戦という重さ。

キツイよね。それでも原田選手はすごい雑音や重圧の中、4年後にもしっかりと代表になった。それがすべてだ。

1990年代、ジャンプは結構冬場にテレビ中継されていたから観ていた。

それでも今ほど個人が目立つような感じでもなく、目立つ選手の名前は覚えていたという感じだった。

船木選手
原田選手
岡部選手

この3人は覚えているが、斉藤選手、葛西選手についてはこの頃はあまり目立った感じではなかったような気がする。

映画では原田選手にそっくりな濱津隆之がすごかった。

普通でも雰囲気が似ているし、原田選手そのままって感じだった。

西方選手については名前は知ってるくらいの存在だった。

それでも自国開催だったから起きた裏方の活躍ということなのだろう。

オリンピックの代表を目指していた選手とこれからの選手とそれでもテストジャンパーはやっぱり選ばれたものだったと思う。

が、選手という立場はそういうことよりも「なぜ自分がテストジャンパーなんだ」と卑下してしまうものなのか。

西方選手が代表になれなかったのは、やっぱり多くのものが足りなかったということだけだと思ってしまった。

確かにリレハンメルでは自分のジャンプは成功であった。

原田選手の失敗ジャンプで銀メダルになった。

それは事実だろうが、それを思いやる気持ちがあったのだろうか?

自分のことだけしか考えなかったことで怪我を隠し大怪我につながった。ギリギリで間に合わせたように見えたがそれは成績だけだったと言う見解だったのではないだろうか。

結局は団体戦でやっていく中で、自分のことしか考えない人間は怖くないか?

葛西選手も直前で外されて帰ろうとするが、帰ることが出来ずに観客席で見守ったのか。

それがあったからレジェンドになったのではないだろうか。

そこで帰ってしまったら、その後のオリンピックで活躍が出来ただろうか。

女子選手の小林選手役の小坂菜緒がすごすぎた。

実際には飛んでないとしてもあの場所に居なきゃいけないわけでしょ?

あとは山田裕貴。聴覚障害のある役ではあるが、それでも違和感なく表現をしていてムードメーカーで。

この二人の存在が実際にも大きかったということなのか?

金メダルはこのテストジャンパーなしでは語れない。

それでもメディアは伝えることはなかったと思う。

あと1ヶ月で東京オリンピックが始まる。

どんなものになるかわからないが、このようなドラマがきっと見えない場所では起きるのだろうなって。

参加する人はやっぱり携われることに感謝をして挑んで欲しい。