【映画 52ヘルツのクジラたち】今の社会が抱えている問題が詰まっている

流れ

成島監督作品はかなり観ている。どの作品も社会問題が背景にある。日常生活で自分には関係のない話しと普段は気にもしてないのに、なぜか気になって行ってしまう。

この作品は「八日目の蝉」を思い出すような雰囲気だった。もう12年も前の作品だけど、題材も違うけど、共通しているのは虐待をされている子供が登場すること。

虐待をする親、虐待されても親にしか頼れない子供。この構図は12年経とうが私が生きている間は変わらないのだろう。

世界で最もっとも孤独なクジラ

原作は町田そのこさんと言う方の長編小説。仲間のクジラが聞き取れない周波数で鳴き、懸命に歌っているクジラの姿を人間社会に投影したのはすごいと思う。

原作を読んでみなきゃとは思ったけど、実写化することで、その仲間のクジラには聞き取れない鳴き声を人間は癒しとして聴いている。とても切ない鳴き声だ。それでも、誰もが人間社会ではどこかでこのクジラのような感覚を持っているのかもしれない。

杉咲花が主演。彼女を見ていたら、「湯を沸かすほどの熱い愛」を思い出した。この作品で彼女はいじめられていて、教室で下着姿になった。この作品は8年前なのか。

杉咲花演じる三島貴瑚(みしまきこ)が移住した場面から始まるのだけど、大分の海の見える家なのに、どこか暗い。晴れている映像がまるでなかった気がする。光は月光くらいか。

海岸でiPodを聴く。隣に来た男性にイヤホンの片方を渡す。が、その男性の姿は彼女の中にしかない。

そこに一人の子供。原作では13歳設定らしいが、映画ではもう少し低年齢か。髪の毛が伸び、着ているものも汚れいている。

貴瑚が雨の中、倒れるとその子供が傘を差し出す。そのことで貴瑚は自宅へ連れて行き、服を乾かそうと脱がすと体には多数の傷がある。

子供はなぜ他人の大人に助けを求めないのだろう?といつも不思議に思うが、親に依存して生きるしかないと助けてもらう、助けてもらえるということを教えられていないのだと理解する。

髪の毛が長かったから私は「少女」だと思ったら、「少年」だった。

その「少年」について自宅の修理をしてくれた職人に聞くと、彼の母親のことを教えられる。と言うことは、周囲でも彼の存在は知るところではあるが、誰も助けることはしてなかったってことだ。

母親は自分の子供を「ムシ」と呼び、自宅に閉じ込めていた。ただ彼は喋らない子供だった。

貴瑚は自身の生い立ちから彼を助けようとする。

貴瑚自身も親から虐待を受けて成長していた。高校を卒業後は、継父の介護をさせられ、母親の精神的虐待、肉体的虐待は続いていた。母親が真飛聖だったのだけど、今ドラマでも虐待母の役をやってる・・・宝塚出身で珍しい感じを受けるけど、彼女の演技は虐待する側もされる側も悲壮感が出てる。

貴瑚は介護疲れで虐待され、生きる気力を失ったところで同級生の小野花梨演じる美晴と彼女の同僚の志尊淳演じる安吾に助けられる。安吾の助けで貴瑚は自分自身の人生を歩むことができるようになるが、安吾は貴瑚には「幸せになってもらいたい」と言うだけで付き合おうとは言ってくれない。

安吾は貴瑚に「52ヘルツのクジラ」の鳴き声の入ったiPodを渡す。

貴瑚は会社でのトラブルに巻き込まれたことで、社長の息子の専務、新名主税に見初められる。その息子が宮沢氷魚なんだけど、最初こそいい人なんだけど、次第に貴瑚を束縛するような面が出てくる。そして、友達と紹介された安吾に対して剥き出しの敵意を出す。

安吾は貴瑚に主税はやめた方が良いと伝えるが、どこか依存心がある彼女は聞き入れない。

その関係性は次第にこじれて、主税は貴瑚に暴力を振るうようになる。虐待をされた子供が大人になると今度はDV被害を受けるということがあるらしいが、その典型的な関係を安吾は心配したのだろうが、どこかに弱さが残る貴瑚には伝わらなかった。

そして、安吾がトランスジェンダーであることが主税によって安吾の実母に伝えられる。安吾の隠したかったこと。

母親はそんな自分の娘を受け入れられない。トランスジェンダーの問題まで入ってくるとは思わなかったのだけど、最初に社会で鳴き声をあげていたのは安吾だった。そして、安吾は同じように鳴き声をあげていた貴瑚に気付き、彼女を助けようと努力した。

が、彼自身を助けてくれる人はいなかった。

貴瑚は安吾を失い、やっと自分の生き方をしようと移住し、ムシを助けようとしていた。ムシの鳴き声を聞こうとした。

弱さを助ける連携が社会でもっと広まればいいと思うが、自分がその立場になった時に助ける側になれるか?と言えばできないと思う。自分もどこか52ヘルツのクジラ状態であったように思う。誰か気づいてと思っている自分が居たと思う。

私も助けてもらった側ではあるのかもしれない。が、助ける側になれる自信はない。他人と関わることは怖いと思う。

でも、もし近所で虐待されていたら、通報はしてしまうかもしれない。その行為もその家族にとって良いことなのかわからない部分は多いが、親が最後の人間らしさを失わないように。子供が親から虐待されていいはずは100%ないと思っているから。

子供は親がいなくても虐待されてない方が人間形成的には良いし、虐待された子供は親になってまた虐待してしまうと言う悲しいループが起こらないとは限らないから。

ムーブメントになって欲しい映画だけど、見て欲しい層には届かないのかもしれない。虐待とかをするような人はエンタメからかなり遠いところで生きているように思うから。