【映画 世の中にたえて桜のなかりせば】感想。宝田明さんが伝えたかったこと

訃報の直後に

先月、宝田明さんの訃報のニュースを見た。その直後に、この作品の予告を観たことで、とても気になった。

企画立案から宝田明さんってことなのだろう。

3月10日の公開記念舞台挨拶に登壇した直後に息を引き取るって悲しい。

不登校にも意味がある

最初のシーン。板書された黒板。すごいな。全部書くの?って感じで、タイトル回収ってわけではないのだろうけど、「さくら」をこれからあと何回見ることがあるのだろう?と思う女子高生。

女子高生、咲役が岩本蓮加。でも、次の展開では彼女は不登校になっている。

彼女はなぜか「就活アドバイザー」のアルバイトをしていた。

そこに来た老紳士、敬三役が宝田明さん。

マニュアル通りに言葉を発する彼女とマニュアルなんて関係なく気持ちを問う敬三さん。

実際に対応するお客様は2人。

一人は遺書を書かなければいけないのだけど書けないと来る。

どんな職業なんだ?

次は徳井優さん演じるサラリーマン。川関係の仕事をしてきたってことでそれを撮って欲しいと言う。

これについてはマニュアルにはないという敬三さんに対してやりますという咲。

咲は学校の男子と一緒に撮影に行く。そこにあるのは「道」川の気配はないが、そこには川が流れている。

今の人はどこまでの人が「暗渠」を知っているのだろう?

自分が生活している場所でもこの10年で暗渠になった場所がある。10年前は川が流れてたなって思うのだけど。

高校生の二人にとって何を感じただろう?

咲は「南雲先生」と呼ぶ女性の元へと通う。

彼女は誰なんだ?「死にたい」と言う彼女。

不登校の咲。どういう関係なんだ?

咲は敬三さん、お客さんとの中で様々な勉強をしたと思う。それは閉塞的な学校でイジメをする人たちの中ではできなかった経験。

私は思う。

誰が他人の人生を変える権利があるのだろう?

イジメは確実に他人の人生を変える力がある。

咲はイジメの相手に「そんなことをして何が楽しい?」と聞く。

私は今の時代に生まれなくて良かったと思う。

まだ「先生」と呼ぶ相手を敬う気持ちがある時代だったから、公立高校とは言え、学級崩壊とか先生に対しての失礼なことはなかったから。

クラスに一人でも異分子が居たら、同調圧力でなぜか不真面目に移行する傾向がある。真面目にすることがかっこ悪いとかって思う低レベルな発想。それが子供なんだろうけど。

南雲先生はその犠牲者になった人だった。咲はそれでも南雲先生を慕っていた。だから、南雲先生を追放した教室に戻りたくなかったのだろう。

南雲先生に寄り添った。そして、なぜ「就活アドバイザー」をしようと思ったのかはわからないけど、引きこもりじゃないのはいいなって思う。

敬三さんに対して咲は喜ばせたいと行動する。

今の技術ってすごいね。敬三さんの奥さん役に吉行和子さん登場。

リアルなのか?って感じで宝田明さんが居る。

そんな映画。

お互いを助ける間柄で70歳の年齢差があってもとても良い感じ。

どちらかがどちらかの存在に対して口を挟むことをしてはいけないんだなって思う。その年代にはその年代で考えていることがあるわけで。

昭和のスターがまた逝ってしまった。