2023/03/31 映画「ロスト・ケア」

現在のこの国の問題は、少子高齢化。

戦後の復興日本は貧しかったはずだけど、子供は産めよ増やせよ的なベビーラッシュ。

今の日本の方が貧しいのか?モノは溢れている。それでも人との繋がりはなくなっている。子供を育てるのはそんな簡単ではないのに、それを若い人だけに任せていると言えるのかもしれない。

そして、本来「家族」というチームで行うことだったはずの子育てを切り捨てられたけど、高度成長期を支えた団塊の世代の高齢化による「介護」の問題もある。本来ならもっと表面化しなければいけないようなものが見えなくなっているのかもしれない。

自宅での介護。訪問介護サービスがこの20年でかなり増えたように思うが、それでも家庭それぞれに状況は変わる。子育てと介護が同時になってしまう家庭もあるだろうし、方や老老介護という問題もある。

「ロスト・ケア」の作品を通して感じるのは、国として人が犯罪を起こす前に対処しなければいけないことが山積みになって雪崩になっているということ。

私が知りうるのはメディアがキャッチしたものくらいだ。

もし現実に「ロスト・ケア」を行っている介護士が居たとして、メディアはそれをどう報道するのだろう?彼らの報道次第で人々は煽動されかねない。誰がこの介護士を凶弾できるのだろう?

作中では坂井真紀演じる洋子は「救われた」と言う。

松山ケンイチ演じる斯波が見るに見かねて行動した相手の反応は違うものだった。

他人の限界なんて所詮、他人にはわからないってことなんだろうな。だから、他人を自分に重ねてした行為だとしてもそれは結局は自己満足なんだろう。

長澤まさみ演じる検事の大友もこの社会の現実。頭の良い層の人間にはどこか社会の現実を理解する力がない人が多いように思う。努力をすれば何でもどうにか出来てしまってきた人たち。努力をしたくても出来ず、助けてほしいと言っても正しく助けが届くわけでもない。それでも、「正論」と「法律」でしか考えられない。人間としての感情とか想像力はない。

明日は我が身ではない人間たちが明日もないような人たちを裁こうとすることがおかしいように思う。

認知症の親をなぜ介護しなければいけないのだろう?認知症という状態であって治るわけではないから病気ではない。グループホームなどの施設に入れる人は幸せなのか?家族に介護される人は幸せなのか?

そろそろ国として高齢化社会問題も考えて欲しい。全員が認知症になるわけではないだろうけど、増えていく高齢者を支える層は足りなくなるのが目に見えている。では、積極的にある程度の年齢まで生きたらその後のことは自身で選択をできるとかにならないだろうか。

認知症になって自分の意思で何も出来ないのに、生かされる意味が私にはわからない。もし自分が認知症になったら、私は生きていきたくはない。幸い、私は一人だ。だから余計誰かの世話になることはしたくないのだけど。

作中では斯波は結局どうなったのかは描かれていない。そしてなぜか検事が裁判後に自分について語りに斯波に面会に行くというシーンで終わるわけだけど。