【2023年度は厄年だったんじゃないか?】過去で一番身体的変動が大きかったように思う

更年期突入だったのか

私の更年期障害的な症状は思えばコロナ禍のリモートワーカーになってからだったと思う。2021年か2022年の春にホットフラッシュが大変になって、春から汗をかいて大変だったのを覚えている。

1年前の今頃もそんな感じだったように思う。

薬を飲んで解消しつつある

今年になってからは少しは感じるし、夜眠れないのも体温が上がってってことなのだけど、発汗するほどでもない。

昨年そんな私の状況を見兼ねた知人が「エクオール」を買ってきてくれた。大豆イソフラボンの入ったサプリメントになるのだろう。

サプリメントをあまり飲む習慣のなかった自分ではあったが、藁にもすがる思いで飲み始めてみた。1ヶ月飲み終えたくらいで少しだけ変化を感じた。

それでも夏頃までは発汗をしていたのだと思う。去年は早い時期から暑くてどうしても軽装になってしまい、脛から汗をかいていた。

これは冷えだなって思うのだけど、暑くて何かを着るとかは嫌だなとサポーターを購入してみた。

着る岩盤浴というキャッチコピーのこの商品を膝下とウエストに着けてみた。

これは、着けても暑さを感じず、冷えないのだろう、汗をかくこともなくなった。

それによって夜中に眠れないが軽減したように思うが、去年は5月から7月まで3ヶ月、夜勤なんてことを引き受けてしまったことでもっと身体への負担を増やしたのだと思う。

夜の11時から朝の8時までの勤務。6月までは仕事終わりにウォーキングをして、一度仮眠して、夕方の6時から11時までを寝るというサイクルに出来たのだけど、7月になると朝の8時でもウォーキングに行けるような気温ではなくなってしまっていた。

その辺りからサイクルが狂ってきたように思う。

8月になり通常勤務になったけど、暑い関東を避けて釧路で過ごした。釧路は・・・暑い日が少しだけあったが、寒いくらいだった。

9月に戻ってきて通常生活に戻そうとしたが、この辺からかなり身体が重くなってきた。

8月末時点まではどうにか維持していた体重が一気に増え始めた。

しかも背中が固まったような感じになった。

それでも日々のウォーキングはしていたと思う。食べる量が増えたようには思わなかったのだけど、体重のコントロールが難しくなっていった。

毎週末の登山にも行っていたのだけど、疲れが取れないという感じなのか?これはちょっと考えなきゃと今まで行ったことがなかった鍼灸院に行くことにした。

そうしたら、若い女性の先生なのだけど、しっかりと身体を診てくれて食事のこと、まずは「休養してください」をかなり言われた。

身体は思っているよりも弱っていると。食事に関しては、それまで朝食はオートミールにしていたのだけど、白米にしてということで、白米を食べ始めた。

ウォーキングも距離を短くするようにとのことだった。が、私は歩くことに関してはあまり守れなかった。歩き出したら・・・歩いちゃうんだよね。

10月の末に行った山で膝を痛めた。山で痛めたわけではないのだけど、前日にストレッチをしていて、痛めた。それが、決定的だったかもしれない。

8月にも登山で膝に水が溜まった。9月以降もそんな感じだったけど、アイシングでどうにかなっていた。でも、10月の膝痛はかなり痛みを感じることになった。

当然、鍼の先生からは「休んでください」と言われた。

それでも登山はやめなかったからあまり意味がなかったのかもしれない。

12月になって、いよいよもって痛みが引く瞬間がなくなってきたところで整形外科へ行ってレントゲンを撮った。

変形性膝関節症

だよね。って多分2019年にMRIを撮っててその時に予備軍だって言われたいたのだけど、まぁ突入してますなって感じ。2019年の時にはレントゲンでは判断できなかったわけで。

さすがに4年で進行してるのを見ちゃうと怖くなるよね。うーん、歩けなくなる未来を手繰り寄せているような感じかもな。

鎮痛剤が処方されたから痛みはなくなった。

でも、痛みがあるってことは、動きを制御するためだってことだから、それを止めて動くことはどうなんだ?って葛藤。

ま、動かなくても動いてもきっと未来は変わらないはずとは思ったけど、ウォーキングはしなくなった。2年続いたウォーキング習慣が止まった。

寒かったからだけどね。で、そのまま運動しないわけにもいかないから、エアロバイクを買ってそれを漕ぐことにした。

ウォーキング習慣がなくなっただけで週末の登山はほぼ行っているわけで、下山時の負担を和らげるために少しでも強化は必要だったから。

エアロバイクはかなり効果的だった。

そんな感じで1ヶ月を過ごした頃、体重が自分のMaxを超えている事実を目の当たりにした。

下っ腹がかなり出てしまって自分の許容を遥かに超えてしまっていた。

でも、そんなに食べている感覚もなかった。

そこで、食生活の見直しをすることにした。と言っても食べているものをきちんと管理することだった。

「あすけん」というアプリをダウンロードしてカロリー計算をしてみると、自分は足りてなかったり、過剰だったりとしていた。

だから、蓄え体質になってしまって痩せるどころか増加するという悪循環だった。

それでも一向に体重が減る気配もなく、体重計に乗ってもきちんと入力を出来てなかったりしたから、3月になり、スマホ連動の体重計を購入した。

この体重計で脂肪以外にも筋肉量などもわかるようになった。自分にはタンパク質が足りてないこともわかった。

体重がしっかりと把握できるようになったこと、食べると太る食材、体重が減る食材が明白なってきて、3月の終わり頃、やっと暖かくなってきたことでウォーキングを再開した。

それとともに、Fit Boxing2をするようになった。全身運動でなかなか良い。

3月は食事を減らすということはなかったものの、食べるものに気をつけられるようになってマイナス1.8kgになった。

昨日はBMI的に許容値になってきた。

久しぶりに自分の身体と向き合わなきゃいけない状況になってしまったのだけど、今までのように感覚で生活をしていると維持するのは難しい年齢なのねってことがわかった。

鍼灸院は最初は毎週通っていたが、最近は1週おき。首は変わらず悪いのだけど、肩周りは動かしているおかげでかなり良いらしい。

ウォーキングを始めたことで、登山の翌日、翌々日の足への疲労もひどくなくなったし。

適度に運動を続けることの重要性を感じた1年だったと言える。

【国のやっていることは】いまだに手書きの書類が多すぎないか?

個人型確定拠出年金

昨年、auのiDeCoってことで、マネ活の流れか何かで登録をした。

でも、今年になって、「引き落としができません」とな。

あ、国民健康保険じゃなくなってたわ。

社会保険になったから

変更手続きが必要だという。これは電話をして知ったこと。

何かをちゃんと読めばきっと「常識」なのだろうけど、読まない自分は知らなかった。

そうしたら、提出資料が届いた。

記入要領、記入ガイドもあるのだけど、すごい面白いコピーになってる。

なんかカラーコピーなのだけど、かすれ過ぎてない?

まぁ記入するのに問題ないから良いけど。令和になってもこんな感じなのか。

極め付けは「事業所登録申請書兼第2号加入者に係る事業主の証明書」とやら。なんと同じ内容を3枚も書かなければならない。

私は自分の会社で自分分として作成するからまだ良いけど、これ、一般企業だと担当部署の方が申請者ごとに作成するのですよね?

すごいわ。

一般企業だと印鑑で可だったりするの?

同じ内容をまぁ記入するって・・・。昔だったら転写紙とかだったのかな?

まぁ驚く。

国の施策ってほんと遅れ過ぎてないか?っていつも思う。

まぁシステム開発の一次受けにパソナとかがある時点で終わっていると思ってるしね。

印鑑文化はさすがになくなっていたけど、それでもそれはまだ一部で私が唯一出す請求書には印鑑必須。もうさ、結局、データで取り込んで使っているわけで画像なわけ。それに何の意味がある?

久しぶりに字を書いたわ。

【ダイエット】体重計を買って1ヶ月。順調に体重は減ってきた

3月の結果

体重:-1.8kg

体脂肪率:-1.1%

良いペース

昨年の9月から体重管理が困難になり、今年になり恐る恐る体重計に乗ったら、自分の中の許容値をはるかに越えていた。

食べても食べなくてもというくらいの感じで体重が一向に減らないことを実感した。

1月の中頃からちゃんと管理しなきゃってことで、アプリを入れてみた。

「あすけんダイエット」

食べたものを入れたら勝手にカロリー計算をしてくれる。

食べるものの栄養素が出てくれるから、自分が食べているものの何が足りないのかが明白になった。

とりあえず「タンパク質」の摂取が足りなかったので、意識して食べるようにしてみた。

上の1月からのグラフで3月の中旬、ガクッと落ちた前の日、私は400gくらい豚肉を食べている。焼き肉だったのだけど、あと野菜とかも多めに。なのに、一気に体重が落ちてすごい驚いた。

食べたから体重が増えるわけではないってことを改めて実感した。

だから、その後は豚ロース肉を1日1食摂るようにしてみた。

最近は、薄切りロース肉で肉巻きにして食べるようにしている。

適当に2食食べていた頃は、本当に落ちなかった。

でも、今はきちんと3食摂るようにしているし、間食もしている。

お弁当などを購入する際は、まずカロリーを見てしまうから、余計なものを買わなくなったかもしれない。

詳細な比較はこちら

意識したおかげでタンパク質が増えている。が、これでも足りないらしい。このグラフは体重計のアプリなのだけど。

まぁ分析をすることが好きなのでこうやって目に見えると良き。

下腹のぽっこりもさすがに2kg減でかなり気にならない程度になってきたかな。出ててもいいと思うんだよね。年齢的には。でも、出過ぎはNGって感じで。

あ、あと先週からやっとウォーキング習慣が復活出来てのも大きい。

私はやっぱりウォーキングを6km以上でやっと維持になるのだと思う。それだけ歩いたら、普通に痩せるでしょって感じだけど、BMI22以下にはならないようになっているから不思議だ。

慣れちゃうってことなのか。

でも、真ん中のグラフの一番下のラインが目標体重。ってことでまだまだなのです。

でも、1カ月平均1kgが目標なのであと半年くらいでそこになれば良いのです。

昔は・・・ほんと30代の頃は、体重を落とすなんてその気になればすぐに1週間で6kgとかやれたのだけど・・・リバウンドというかすぐに戻るのだけどね。平均ではBMI22から23程度でいるかな。

脂肪率もきっと落ちてくるだろうから意識はしない。

骨格筋率、骨格筋量、筋肉量が落ちないようにしたい。

【目先の初任給よりも大切なこと】今の自分の価値を見誤らないようにしないと続かないと思うけどね

あの頃の自分に言いたいこと

中高の頃って、決まって言われたことは、「手に職をつけた方がいい」だった。

今の自分もきっと同じことを言うと思う。社会を知らない人間にとってその言葉はあまり身に沁みることはなく、勉強しておけばどうにかなると、私は勉強することを選んだ。

でもね、勉強をしたところで、「東大」に行ったところで、手に職はつかないのよ。しかも中途半端な成績だったら余計に。

中学生に戻れるなら、私は工業高校に行きたい。そこで手に職をつけたい。

商業高校でも簿記を勉強してそこから会計士までいけたら手に職かもしれないけど・・・最終的に短大は商科に行ったけど、簿記なんて知らないのに商科で簿記論なんて宇宙語にしか聞こえなかったわ。

情報処理

そう、商業高校に当時も情報処理課があったと思う。でも、その頃って何を教えてたのだろう?

結局、自分は短大でOAという授業でBASICを習ったのだけど、フローチャートの読み方くらいやったのだろうか?でも、教科書をインプットするだけだったのに、なぜか成績が「C」だった。他は出席日数がギリギリでも「A」か「B」だったのに・・・

世間はバブル景気で短大2年になってほぼ学校に行ってなかった自分が久しぶりに行ったら、みんな「リクルートスーツ」に身を包んだ同級生がわんさかいた。でも、その頃、まだ「リクルートスーツ」って名前はなかったと思うのだけど。

まぁ紺のスーツのイメージだった。

私はフリーターのような生活をしていたのだけど、何をしたいとかなくて、就職指導室に行って求人票を眺めていた。

そこで目についたのが多分「16万5千円」という給料だった。県内の企業は12万、13万が普通だったのだけど、都心の会社はプラス3万もするんだってことで、そこにした。

都心だからね、結局お金かかるわけなのだけど、都心に興味はまるでなかったのだけど、眺めた日に決めて、翌週には面接だったように思う。

でも、リクルートスーツなんて持ってなかったし、就職指導なんて受けてなかったから(やってたのだろうか?)、小田原のデパートで結婚式に着ていけそうな淡いピンク色のカクテルスーツを購入した。

面談は高田馬場駅から明治通りを行ったところだった。まだそのビルはある。会社はないけど。

面談と小論文だったように思う。小論文はなぜか時事ネタとして当時の事件を書いた。

合格だった。まぁバブルの真っ只中だったからね。だからと言って、私はそれ以上の面談は受けなかった。同級生は数社面談を受けて受かったと言っていた時代だった。

私が入社したのは今でいうところのSES(システムエンジニアリングサービス)だった。派遣契約や請負契約など様々な契約形態の業務形態だったから、先輩社員という人たちは全員がそれぞれの現場に行っていた。でも、企業意識のためなのか、月に1度は帰社日というものがあり、狭い社内がいっぱいになっていた。

私には同期が3人居た。最初の1ヶ月はそんな会社の社員向けの研修をしている会社に行った。自社に研修する力がない会社がたくさんあったのだろう。たくさんいた。

そこでCOBOLを学んだのだけど、私の職歴にCOBOLはない。

その後、会社は研修のためのお金はかけてくれた。次は自宅とは逆方向にある浮間舟渡まで行って第二種情報処理の資格取得の研修を義務付けられていた。が、ここは、仕事終わりに行かなければいけなかったように思う。だから、高田馬場から浮間舟渡までも1時間かかるのに、帰るのは2時間かかるという最悪な感じだった。

でも、企業をするとあの頃社長はどう考えていたのだろう?と思う。多分、私が入社する前の年まででバブル景気は終わっていたのだ。

私が入社した年は、損失補填という言葉が流れ、バブル景気は終焉になっていただろう。だから、私の同学年で4年制大学に行った人は最初の「氷河期」と言われた就職難民だ。

会社に入社したはいいけど、バーターで行ける現場はなかった。だから、半年以上、買殺し状態で何をすることもなく居た。半年くらいした頃、社長がCADオペレーターの仕事をもらってきた。そこでやっと仕事をすることができてホッとしたのを覚えている。

さすがにタダ飯はね・・・

確か半年くらいでグループ会社と合併をしたような。それでそこでやっていたCADオペの仕事を自分もすることになったような。当時、うちの会社にはオフコンと呼ばれるようなものしかなくて、パソコンがなかったから。

年が明けた頃、やっと外の会社に行けることができた。そこで雑務をさせてもらって、いろいろ覚えた。一太郎も使い方がわからなかったような状態だたけど、良き人たちだった。

合併して1年で私は別の会社に引き取られた。その後、会社が倒産したらしいのだけど。

引き取られたというか、CADオペの仕事を出してくれていた会社に引き取ってもらった。そこで私は社会人として一から教えてもらうことになる。

今だったら、ハラハラな感じだったけど、でも、そのおかげでその後の社会人として少しだけまともに生きられたように思う。

そこは小さい商社だった。そこはまだバブル景気の頃の余波がもらえる業種だったらしく、CADオペの仕事もかなりあった。土木系の仕事は続いていたからね。

そんな感じでその会社では人がいなかったから、総務から庶務からいろんな経験をさせてもらった。

でも、4年で辞めることにした。「石の上にも3年」は居たし、事務職を続けたとして、給料が上がる未来が見えなかったからが一番大きかった気がする。

仕事を辞めてすぐに私はなぜかゴルフ場でキャディをした。半年ちょっとで現実に戻って東京に戻ってそこから派遣会社に登録をする。

その頃の派遣会社はパソナかおー人事かって感じで私はおー人事のスタッフサービスに登録した。そこでAccessでちょっとした登録フォームを作成したりして、システム化をすすめた。

そこからしばらくはAccessVBAを独学でやって1年目の研修がやっと生きた感じだった。

でも、それ以上を目指したいとやっとソフトウェア会社に入社した。そこでプログラムを一から教えてもらった。が、まぁ会社という枠組みがほんとにダメで1年で退社した。飲み会とか・・・無理でさっさと社長に目をつけられていたし。

その後、Web系の勉強をし、その後そろそろ四半世紀になるのか!?この年齢になっても仕事をいただけている。

今、初任給が30万になるとかってあるけど、身の丈にあった給料の場所が一番だと思うよね。自分の身の丈以上の場所は結局合わなくなるから。

私は結局最初の会社の時は額面は16万5千円だったけど、それは手当含むって感じだった。確か、住宅手当が1万5千円で、家賃が5万円だった。ってことは・・・11万くらいで、東京の都下とは言え生活が楽なわけではなかった。まぁすぐに高田馬場のお隣でアルバイトするのだけど。

次の会社でも、住宅手当とかなくなっていたけど、多分25歳くらいで20万円にはいってなかった気がする。24で結婚出来たからそれで良かったのだけど。

最初の派遣会社は時給1500円とかだったんだろうなぁ〜。これでやっと20万オーバーかぁ〜。

でも、給料が良くてもしたくないことはしない主義だったから、お金で苦労をしたとは思ってなくて。アルバイトすればいいやとかってすぐにバイトを出来たから。

お金って追いかけなかったら廻ってくるって思っているタイプで。12年前にパートで入った会社はフルタイムで10万。しかも自家用車で平気で現場に行かせるし、そのガソリン代も請求させてもらえなかったな。でも、なんか良い経験をさせてもらったと思ってて。

職務経歴書にはお金とか書かないし、やった事実が書ける。だから、そこで初めてC#でプログラムを書くのだけど、習うより慣れろで、最初はまるで意味不明だったけど、2年もいれば慣れるし、自分がメインになってたりするわけで。社員でもないのに。

その職務経歴書がかなりその後の人生に有利で、8年前から都心で仕事を探し始めたのだけど、書類選考で面談に行った会社で落とされたところはなかったな。リクルートスタッフィングで行った場所は、相性がまるで合わなくて3ヶ月で辞めてたけど。

その後はSES系の会社で仕事をするようになって1年くらいになった。

そして、コロナ禍でリモートワークが主流になって、今の現場には最初に1度パソコンを受け取りに行ったっきりで、その後行くこともなく仕事は順調でなぜか1年半を終了する。

お互いに可もなく不可もなしなのだろう。また1年延長がもらえた。

給料よりもやりがいをもらえているように思える。やりがい搾取とかって言葉もあるけど、ほどほどに忙しく、ほどほどに暇なのだ。

今月はこの1年半で2番目に忙しいと思う。自分のペースだけじゃない時、「忙しい」になるのだと思うけど。

そう、単金も勝手に上がってくれたというか、多分、数年前からこの単金だったのかもしれないけど、SES会社に搾取されていたのだろう。私が急にすごく出来るようになったわけでもないし、求めれていることは変わらないわけで。

フリーランスで契約するなら、自分で単価を決めるより、「最大で」って言った方がいいかもしれない。めっちゃ、搾取されているから。

だから、こちらに用はないのに、しつこいくらいに「今の状況を教えてください」ってくる。持ちつ持たれつだけどね。面識もないのに勝手にメッセージ送られるのもほんとうざいんだけど。使い方次第ってことです。

長い・・・まぁ過去を思い出せるうちはまた書いてみよう!

難しい時代?優しくない時代?

Xという存在

TwitterがXと名称変更されてまぁ普通に旧Twitterとかってことになって受け入れられているけど。

フォローしてないのになぜかいろんなポストが流れてくるのだけど・・・

自分だったら?

私が最初に見たのは、なぜかイオンシネマが発表した文章だった。

その後に、その発表した原因のポストが流れてきた。

とりあえず読んだ。

私も観た映画。それを観たあとに悲しかったという投稿。

でも、なんかずれてないか?それが私自身の感想だ。

トランスジェンダーが根底にある題材の映画ではあるけど、うーん。うーん。

翌日になったら、いろいろな人が感想をポストしている。

私のところに流れてくるのは、私と同じような意見のものが多かった。

でも、それでいいのか?とも思えるし、だからと言ってどうするんだ?とも思う。

一人のインフルエンサーの身勝手と思う投稿からもしかしたら、もっと住みづらい社会に急速に舵が切られそうな気もする。

私自身、マニュアル人間に対してあまり良い気がしない。それでも、会社が従業員を「守る」ためにマニュアルがあるのではないかと考えるようになった。

イオンシネマの件は、あっという間に代表格の人から謝罪の文章がポストされた。その裏側はどうなっているだろう?

彼女がポストするきっかけを作った人。 受け止められた人によって言葉は湾曲する。それでも自分の知らないところでマニュアル以外の対応が常習化。それは決して良いことではない。それを伝えただけ。伝え方なんてきっと何であっても自分に不利なことを伝えられたら、人は拒絶しかない。

過去にしてもらえたことに対しての感謝がない。まぁそうなっちゃうよね。だって、1度してもらえた。ラッキー、これは未来永劫してもらえるんじゃないって思ってたわけだから。

イオンシネマなんてアルバイトで廻しているような場所なわけで、聞き取りとか自分が悪かったとか思わないようにしてあげて欲しいわ。

私は車椅子エリアの後ろで観ることが多いのだけどね。音がダイレクトに来るのが良くて。まぁ身体にガタがきているくらいだけだから、あまり身体に対しての不調を感じたことはないのだけど。 それでも身体の自由が効かなくなっている人には厳しかったりするのかな・・・。

一応、健常者ではあるけど、年齢を重ねたら階段が不安になってくる。そうすれば自分が選ぶ席は自分で行けるところになる。それは当たり前のこと。まぁ車椅子の人は映画館に決められてしまっていることが不満ということはあるのかもしれないけど、それでも私の行く地方の映画館でさえ、車椅子席は最前列の真ん中だけどね。

一人で映画館に行ける。そして自分の観たい映画を楽しむ。

あくまでも一人称で出来ることがサービスを受ける前提だと思う。

さて、難しい時代とは、社会は一応昭和の時代よりは障害者に対して考えられてきていると思う。昔の映画館なんてきっと車椅子で観るなんてことは考えられているようには思えないから。

私は結構映画館に行くことが多い方だと思うけど、それでも車椅子の人を見かけることはほんとに少ない。分母の問題なのだと思う。健常者だってどのくらいの割合の人が映画館に常に行くかって。だから、割合として車椅子エリアは2席分とかになってるのだけど。そのたまにしか訪れることのない人たちのために映画館はしっかりと準備はしている。

でも、それ以上のサービスは論外だわってこと。もし仮に目が見えない方が映画館に来ていて、白杖をついていたら、大変そうならお声がけはするかもしれない。それでも車椅子には近づくことはしない。私には車椅子を押した経験はないから(自分が乗ったことはあるけど)

弱者に優しくないと思っての投稿かもしれないけど、弱者に優しくするのは当然と言う感覚だと多分、社会はもっと窮屈で優しくないものになっていくだろうなと思う。

まぁ老いていく自分もそういうことを考えながら生きていかなきゃいけないようになっていくのだろうと思うけど。

他人に頼ることはいけないことではないけど、それを当たり前とすることは絶対にないことだということ。

【ダイエットには】簡単に計測できてスマホに連携できる体重計が必須だわ

体重を落とさなきゃ

いつからだ?2月の初旬くらいから体重を減らそうと体重計にのってきたけど、全然体重が変わらない・・・

乗っていた体重計は前回比が出る程度で体重と体脂肪率とBMIが表示されていたけど・・・

食べるもの

食べても食べなくても体重が減らない

それが1月、2月の頃の自分の感覚。

だから、アプリを入れてみた。「あすけん」というアプリで日々の食事を入れる。

カロリー計算なんてわからないから、とても便利だと思った。

昨日の食事のバランス

結局はこんな感じ。

こんなくらいに摂取カロリーを摂っていても1日の基準には満たない。難しいなぁ〜。

日曜日の朝と今朝の体重比較が下。

土曜日に400gくらいの豚肉を焼き肉で食べたのだけど、なぜか1.2kgも減っていて、昨日の朝は普通に先週のレベルに戻って、今朝は昨日マイナス0.2kgくらいだった。

こうやって計測されるといろいろ自分の身体がわかる。

今、太ってるのは認識しているからね。20kg以上も脂肪があるのは嫌だな・・・

でも、なんか骨格筋率は優秀ってことで良いな。

筋肉比もそれなりにあるし。骨レベルはまだ良いな。

タンパク質が低すぎるから痩せないんだろうなってことは理解出来ているわけで。どう増やそう・・・

納豆くらいじゃだめだね。

内臓脂肪は標準らしいのだけど・・・皮下脂肪たっぷりってことか。

【深い睡眠の重要性と維持することの重要性】9月から5ヶ月で5kg増しました。

ダイエットを気にしていたはずなのに

8月末時点、自宅ではないところでの生活だったので太らないように気にしていたのだけど、そこまで増えてなくてホッとした。

そこから3kg落とそうとしていたはずだったのに・・・なぜ5kg増えた?

過去最大まではいかない・・・わけでもないか

9年前が私史上最大だった。

当時、ニットソーイングにはまったこともあり、太っても着られる服に囲まれていた。

8年前に都心に復帰したことで往復3時間以上の通勤、スープジャーのお弁当生活で体重はすぐに標準に戻った。

そこからはまぁ痩せることもなく、ほぼ微増微減で推移していて、一昨年、登山を始めたことで、一昨年の11月には自分の目標体重になった。

が、すぐに冬シーズン。プラス引越しなどで体重はすぐに戻った。。。

そこからはまぁ標準体重をキープして9月までいたのだけど、ちょっとずつちょっとずつ増えていった。

そこまで食べているつもりがないのに代謝していかない驚きが日々あった。

体調もすぐれない感じになり、初めて鍼治療へ行った。そこで食生活のアドバイスをもらい、きちんと3食を摂取するようにしてみた。

まぁこれが一番いけなかったような気もする。

ほぼ糖質オフのような食生活をしていたのに、突然お米生活にしたわけで。太るわ。

しかも11月に膝を痛め、12月に整形外科で「変形性膝関節症」と言われて、やっとびびって2年間続けたウォーキング習慣を止めた。

日々6km歩いても体重が落ちないと思っていたら、しっかりと「維持」していたことにやっと気づくわけだけど、ウォーキング習慣は戻らない。

2年間、ほんと朝早くから起きて歩きたいって思考だったのだけど、今やいろいろと言い訳をして起きられない。ほぼ起きない。

そうこうしていたら、1日の歩数が500歩にも満たないような生活になってしまって、睡眠にも影響が出てきた。

更年期障害で数年、眠りが浅くて眠れない感じでだから、歩けていたのだろうけど、今は、深い眠りには1分も入ってないのに、目覚めない感じになってしまった。

この1分も深い眠りに入らないは、肥満への近道のような状態らしい。深い眠りの時に人間は代謝をするってことらしいのだが、まぁ代謝するにしてもだ。500歩歩いてないとやっぱり摂取過剰ということになるのか。

摂取量を減らすと今度は溜め込み体質のような感じだし、ほんと体重のコントロールが難しい。まぁ動けば良いのだと思うのだけど、まぁ難しい。

昨日、やっと久しぶりにエアロバイクを20分ほど漕いでみた。

その夜の睡眠がとても理想的だった。

これだけ深い眠りに入れてたら良きだわ。3時半に目が覚めてこの時に歩きに行けば良かったのかもしれないが、5時に起きようとしていて・・・結局、深い眠りに入ってしまって無理だったわけで。

まだね、言い訳としたら、氷点下だったからってことで。

はぁ〜とりあえず5kgは戻したい。5kgが全部お腹についたと思ったらほんとに怖い。。。

【デュアルSIMへの道】eSIMの設定に失敗してしまいました

あんしん遠隔サポート

今まで、どのキャリアであっても「あんしんサポート」に連絡することなんてなかったのだけど、購入してから1日おき毎日電話をしている状態になるとは。。。

加入した方が良いです。

eSIMにする

今回、docomoのiPhoneをデュアルSIMにするためにeSIMにする。

まずは、オンラインショップの「ドコモeSIM」を選択して「eSIMの発行(お持ちのeSIM機種で利用する」を選択して申し込み手続きをするのだけど、まず、この申し込み手続きで先に進めない。

購入時にショップで対応をお願いしたのだけど、まるでわからない感じで、ひとまず帰宅する。

月曜日に「あんしん遠隔サポート」に電話。まず、この手の相談は何になるのだろう?といつも思うのだけど、それっぽい番号を押す。

オペレーターの方に状況としたいことを説明する。

最近のオペレーターさんはすごい教育されているなぁを感じる。

そして、「恐れ入りますが、対応が別の部署になりまして・・・」と廻される。でも、状況は引き継いでもらっているので、ただ待つ。が、再度「法人様の契約なのでそちらになりまして・・・」と廻される。

そこでやっと先に進まなかった原因が判明。

「webサイト利用不可」になっているからだという。そりゃあ、オンラインで何かできないよね。で、それを解除するのはどうするの?ってことになったら、「こちらから固定電話にお電話で確認をさせていただき・・・」

いまさら固定電話?

ってことで、またショップへ行く。

今度はしてもらいたいことはわかっているから、すんなりとはいかなかったけど(対応してくれた方は初めてするみたいで)まぁとりあえず完了。

その場で、eSIMの手続きまでを確認して帰宅。

帰宅して、それでeSIMになったと思ったら、そうでもなく、その後にまだ対応が必要で、いろいろしていたら・・・アクティベート画面になるんだけど、終わったのかどうなのかがわからない感じで。

でも、「契約コードを入力してください」って出たから、「え?契約コード?」って感じで、入力してしまったら、エラーにもならなかったから、終わった?と思ったのだけど、確認したら・・・

無効って・・・

主回線なのに、使えない状態にしてしまった!?

SIMカードは無効だからもうしょうがないんだけど。

そして、再度「あんしん遠隔サポート」へ電話。そして、また廻されて、今度はやっとすぐに話がわかりそうな人だったのだけど、自分のタイムオーバー。そこで明日連絡したいのだけど、何番を選択したら良いのか聞いたら、「2番」だということを教えてもらい、今日になり、再度、電話。

でも・・・結局また廻されたのだけど。

もういいよ。そちらの料金だし、私は待つよって感じで結論的には

「ショップで再発行手続きをお願いします。」

ということだった。また再発行手数料が3000円かかると(に消費税?)

めっちゃ高い勉強代になってしまった。

でも、やり方は今度こそ理解できたからまぁ余裕を持って対応を行おうと思う。

デュアルSIMにするための準備として今まで使っていたスマホの情報を移行するのがまぁ大変。AppleIDも変更してしまっているから、通常の移行にはできない。

まず、銀行アプリなどの機種変更対応があるようなアプリから一つ一つ確認しながら作業をすすめる。

同じAppleIDだといつ入れたのかわからないようなアプリのショートカットとかも残っていたからちょうどいい。

連絡先もとりあえず移行しない。まぁMacには残っているからそれでいいかなと。

一番困っているのはサブスクリプションをAppleIDでしてしまっているアプリ。移行しない・・・よね。

この前1年契約をしてしまった英語のアプリがあるのだけど、どうしよう・・・まぁiPadで出来るからそれで良しとしようかな。

でも、いろいろやっている段階でPASMOのデータを消してしまった。

AppleWatchに紐づけたから良いと思ってたのに、いきなりAppleWatchのペアリングを解除してしまった。

この前、チャージしたばかりなのに。

うーん、もう一度ペアリングを戻したら戻るものなのか?

まぁデジタルには全然ついていけない。

追記:

PASMOは再度AppleWatchのペアリングを行い、バックアップを復元。その状態から、PASMOの状態をAppleWatchからスマホへ戻す。

スマホのPASMOアプリで確認ができたら、結局AppleIDが違っているとデータ移行は出来ないようで、払い戻しの手続きをする。

手数料は取られたけど、全額戻ってこないよりは良き。

ふぅ〜。大変である。いくらまでだったら、スルーするだろう?

あと、agodaでキャッシュバックも残ってて、やっと手続きができた。こちらも3000円以上。PASMOは2300円。バカにできない。

【WordPress】久しぶりに設定する

自分用のサイト

ブログだけを作ることはあった。去年は「Cocoon」で作った。が、HPは7年ぶり?だったし、自分用は初めてだった。

自分用って・・・難しい。

こだわり?

写真がカッコよく見えるテンプレートが良いなってテンプレートを見ていると、既視感しかないけど、やっぱりこれだよねって「Twenty Seventeen」

7年前もこのテンプレートで知人のお店のサイトを作った気がする。

でも、なんか勝手にしているだけで活用もしてもらえず、使用料も払ってもらえずで1年くらいでクローズしちゃったけど。

それでも、やっぱりこのテンプレートいいなぁ〜って思う。

最新の「Twenty Twenty-Four」は設定仕切れなかった・・・。英語表記が多くて直感的にわからなすぎて・・・

その点、Twenty Seventeenは良い。写真。ほぼ写真。でも、トップ以外の写真の変更がどこだかわからない。これが困った。

それぞれの固定ページにある?なんだけど、どこ?な感じで。

でも、調べたらちゃんと出てきた。

固定ページの右側に出てくる設定に出てくる「アイキャッチ画像」になるって。

なるほど。「アイキャッチ画像」なんだ。ほぉ〜。ブログで設定したら、どんな感じになるんだろう?

とりあえず、会社用として開設したわけだけど、こんな情報があれば良いよね。

メールアドレスは表記しない。お問合せを作る。これもプラグインを入れたら、さっさとできた。すごいね。

Contact Form7 良いです。送信確認してないけど。

さすが自分用。

自分用とは言え、自分の会社用だった。

Twenty Seventeenの写真、パキっとしてて好きなんだけどね。

自分のはスマホだし、そこまでパキっとしたものが撮れる場所でもないんだけど。

【薬屋のひとりごと】やばい。小説も既刊読み終わってしまった・・・

14巻・・・

終わる気配はまるでないままに終わった。

7ヶ月ごとに新刊が出ているらしいが。

次はいつ出るんだろう?

漫画も何巻出るんだろう?

漫画17巻目が多分小説の4巻目辺り。ってことは・・・多分4巻が終わるのは18巻か?

って計算してしまうが・・・

アニメは第一シーズンが大体小説の1巻分。

って続くのかな?

大体、どこに落とし所を見つけるんだろう?な展開になっているように思う。

モブキャラだと思ってたら、いきなりメインになってたり。

もう1回読まないと、読み流した部分で全然回収出来ないよ。

関係性が複雑すぎる。

小説を14巻読むなんて過去にあっただろうか?

「相棒」くらい?あれは違うか。

それでも中毒性がある内容かもしれない。